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近代の根本的矛盾としての強制不妊手術・優生思想・障害者差別(2)

「バッカーノ!」のOPが好き、ほがらかです。
 後編の記事は、前編で見たような強制不妊手術がなぜ行われたのか、なぜ優生思想が生まれたのかを解説していきます。文字数が限られているので、簡潔な説明になっています。もっと内容が知りたいかたは学問と社会をつなぐサロンのゼミにご参加ください。

前編の記事もありますので、まだの方はご覧ください。

〇2種類の障害


「障害」という言葉の意味は2種類あります。この2種類の区別はとても重要です。一つ目はインペアメントです。これは手足の一部、または全部の欠損、あるいは手足の欠損や身体の組織または機能の欠陥をもっていることで、自然的事実、物理的事実としての障害です。
二つ目はディスアビリティです。これは身体的なインペアメントをもつ人々をまったく、またはほとんど考慮せず、そのことによって彼らを社会活動の主流から排除する現在の社会組織によって生じる不利益、または活動の制約のことで、社会的事実としての障害です。
近代以降、障害は基本的にインペアメントとしてとらえられていました。その結果、障害者が被る社会生活上の支障はその人に原因があるととらえられてきました。

〇近代以前の「障害」について


 この障害という概念は近代以前と近代以降で、その解釈のされ方が大きく異なります。つまり、近代以前は障害がディスアビリティとして解釈されていたケースが多く見られます。
 以下は障害が必ずしも社会生活上の障害とみなされていない事例です。(マイケル・オリバー(2006、明石書店)『障害の政治』からの引用)
例1)先天的に足の指が2本しかない人が大半を占める、西アフリカの人里離れたところに住んでいるある民族。ここでは足の指が2本の人とそうではない人々を分け隔てるものはない。
例2)メキシコのある村について。フィラリア症に誘発された視覚障害は全能の神による介入の結果であると広く信じられることで、基本的に適切な文化的対応が現れる傾向にある。視覚障害者に子どものガイドがつくことや、視覚障害者に敬意を表する人々への社会的賞賛、またそれをしない人々への社会的制裁、そして視覚障害者をコミュニティに参加させ、統合していく精巧でインフォーマルな社会メカニズム。土着の医療技術や呪術で視覚障害を治療する試みはなされない。目の見えないことは特定の個人を襲った悲劇ではなく、コミュニティを取り巻く厳しい環境を生き抜く苦闘の一部とみなされる。
例3)アメリカのニューイングランド海岸沖合にあるマーサズ・ヴィンヤード島について。近親婚が多く、ろうの遺伝子が優勢であることから、この島ではろう者の占める割合が非常に高い。しかし、島民全員が手話で話すことができ、社会が「機能的にバイリンガル」であるためにろう者は社会から疎外されることはなく、ろう者のためだけのろう文化が作られることもなかった。ろう者が完全に社会参加している。
例4)ナバホ族。先天性の股関節の紡機のため、足が不自由な人の発生率が高いことが明らかにされたが、ナバホ族の人々はその状態をスティグマや無力化をもたらすものと見なかったので、近代医学による治療をすべて拒んだ。

これらの例からわかるのは、インペアメントがあることはすなわち社会生活上の支障をきたすことではないということです。いわば障害はディスアビリティとしてとらえられ、社会が「障害」をなくすための対応を迫られています。このような障害のあり方は近代以降、個人の問題としてとらえられえることが一般になっていきます。
(近代以前に障害者差別が全くなかったわけではありません。古代ギリシャでは「生きるに値しない人間」に何の治療もしないという不作為と、病弱な人間に子供を産ませないという作為とよる、そうした人間の存在、再生産を否定する優生政策が行われていたといわれています。しかし、ここで注目したいのは、近代以降、このような優生思想がより大きく広がるということです。これは社会の構造が根本的に変わったからにほかなりません。)

〇働き方の変容と「障害」の誕生


 このような変化に大きく寄与しているのは、働き方の大きな変化です。
近代以前の主な経済的基礎は農業や小規模な工場でした。大半の障害者は生産過程に組み込まれて、完全に参加できなくても、部分的に貢献することはできました。社会から隔離されることはなかったのです。
近代以降、仕事場が主に自宅から工場へ移転した産業化の過程において、生産過程から障害者が排除されるようになっていきます。多くの商品をつくるために大規模化し、作業スピードが速まった工場において、障害者は工場内の協業についていくことができなくなります。産業が発展するにつれてほとんど全ての障害者は労働力としてみなされなくなっていくのです。
ここで初めて、工場労働をどれだけこなせるかという価値尺度が浮上し、あらゆるインペアメントを持つ人々は労働力市場の底辺へと追いやられることになります。

〇国家による生活への介入


工場労働についていけない人々の問題は社会的、教育的問題として浮上し、国家の介入が始まります。というのも、それまで人々は各々自由に働いていたにも関わらず、工場労働はとても厳しい規律を労働者に求めました。多くの人々が働くことを忌避したのです。働かない人々は「正常で健全な生活の規範を逸脱した問題状況として、放置しておくことができない社会問題」としてみなされました。
例えば、19世紀イギリスでは、働けるのに働かない人々は社会から排除すべきとして犯罪者化されていました。国家が働けるのに働かない貧困層、近代産業社会において増え続ける都市部の貧困層の身元を確認し、分類する必要が生じ、その際に働けない人々としてカテゴライズされたのが障害者でした。
働くことのできない多くの障害者は救貧院や保護施設へと隔離されるようになりました。施設へと人々を社会から引き離すことで障害者に対しても部分的にせよ、障害は恥ずべきものへと変化していきます。すでに犯罪化されていた就労可能な人々への差別が、就労不可能な障害者にまで及んだのです。

〇「科学」により「精密化」する優生思想


 19世紀の社会は「働けるが働かない者/働けない者」という単純な二分法で人間を区別していました。しかし、20世紀に入ると、より精密な臨床的な規準あるいは機能的制限に基づいた、新しい定義によって障害者がラベリングされていきます。そして生まれるのが優生学です。
 優生学とは、19世紀末から20世紀半ばにかけて多くの先進国で受け入れられてきた考え方で、進化論と遺伝学を人間に当てはめ、集団の遺伝的質の向上や劣化防止を目指す政策論です。
 19世紀後半は、ヨーロッパの研究者が自国植民地の様々な「人種」の身体を次々と測定していました。また、国民国家成立による徴兵制実施に伴う身体検査、植民地再分割後の「原住民調査」、義務教育の実施に伴う学校保健などによって人間のデータが蓄積されており、それらのデータの統計学的処理によって優生学は誕生します。
優生学は人間のすべての特徴が生殖細胞に由来するという考えに基づいており(このような自然科学主義的な考えは言うまでもなく、多くの批判があり科学的な根拠がないといわれています)、生活改善や教育の効果を否定する政策論でした。
*優生学の祖、フランシス・ゴルドンは「優生学とは、ある人種(race)の生得的質の改良に影響するすべてのもの、およびこれによってその質を最高位にまで発展させることを扱う学問である」と優生学を定義しています。「人種」の質を最高位に発展させるために、不健全とされた人々の存在は社会で否定されることになります。
*ちなみに、イギリスにおける精神障害者への差別は、大工業の要請による学校教育の義務化により、顕在化します。1870年の教育法の成立で大量の極貧層の子供たちが教育を受けるようになります。ところが多くの子供たちが授業についていけず、肉体的・精神的欠陥が明らかになるのです。このような別の人種に見えるほどに肉体的にも精神的にも衰弱した人々の状態は、「精神障害」という医学的な課題として把握されていくことになります。精神障害は遺伝するととらえられ、強制収容と性的隔離を含む精神病法によって迫害の対象となりました。

〇優生思想は極右の思想か


 ナチスは「T4作戦」という遺伝病や精神病者を安楽死させる政策を行い、データに残ってるだけで約7万人もの人々が殺害されました。このT4作戦は優生学に基づき、「民族の血を純粋に保つ」ために行われました。ゆえに優生思想といえばナチスを連想する人が多いと思います。
 しかし、優生思想は必ずしも極右の専売特許ではありません。20世紀初頭、多くの社会主義者や自由主義者は優生学は社会改革に合理的な基盤を与えてくれると期待し、支持していました。フェビアン協会のウェッブ夫妻、経済学者のJ・ケインズなども優生学には肯定的だったといわれています。手厚い福祉で有名なスウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドなどでも優生手術が行われていました。日本でも戦後の旧優生保護法を最初に提起したのは社会党の議員でした。
 なぜ、優生手術は進められたのか。その背景には経済成長のための犠牲は仕方がないという前提が存在しています。福祉国家やその他の福祉を成立させるためには経済成長であり、そのためには犠牲はつきものである、経済成長の足かせは排除するべきであるという社会的合意が存在していました。ゆえに右派、左派を問わず、優生手術は推進されました。

〇優生思想はなくなったか


 日本をはじめ、多くの国では優生手術を合法化する法律は改正ないし廃止されています。しかし、社会から障害者に対する差別はなくなったでしょうか。
2016年7月26日に神奈川県の社会福祉法人の障害者施設にて元職員が重度の知的障害者である入居者19名を殺害、施設職員を含めて27名が重軽傷するヘイトクライムが発生が発生しました。犯行に及んだ植松聖氏は「障害者は不幸しか生まない」「重複障害者は生きていても意味がないので安楽死すればよい」との発言をしており、優生思想に基づいた犯行だったことは明白です。
優生思想に立ち向かう取り組みは世界にたくさんあります。それでもこの社会では障害者に対するヘイトクライムがなくなっていません。差別をなくすために何をするべきか、私たちはまず差別がなぜ起こっているのかというところから考えていかねばなりません。

参考文献
石川准、長瀬修(1999)『障害学への招待』明石書店
米本昌平等(2000)『優生学と人間社会』(講談社現代新書) 
マイケル・オリバー(2006)『障害の政治 イギリス障害学の原点』明石書店

法学部4年 ほがらか

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