林檎の妖精

織姫と彦星が、一年にたった一度だけ会うことを許された日。
「七夕」まで、あと数日。

― 七月三日 ―

(幕間~幕間~、お出口は左側です。)

電車が家の最寄り駅に到着した。
時間は夜の8時を少し過ぎた頃だろうか・・・私は改札を出て、家までの道のりをのんびり歩いていた。
東京都内とはいえ、郊外はこの時間になると人通りも少ない。
気温も日中に比べると、大分落ち着いている・・・いや、むしろ涼しいと感じるくらいだ。
今週も疲れた・・・明日は休みだし、今日はお酒でも飲みながら録画した番組を見よう。

そんなことを考えていると、徐々に家が見えてきた。

玄関を開けると、その音に気が付いたのか部屋の奥からドタドタ走ってくる足音が聞こえる。長女の琴(こと)だ。

「あ、父さんお帰り~!はい、これお手紙だよ。」

そう言って、折り畳んだ紙を私に差し出した。
今年で5歳になる琴は、まだしっかり字を書くことは出来ない。
この「お手紙」に書いてあるのも、文字ではなく絵だ。
様々な色を使って、沢山の絵が描いてある。

「おぉ上手に描いたねぇ~、これは何?」
「えっとねぇ~これは太陽で、こっちは木だよ。」

琴は得意げに絵の説明をする。
毎日のように絵の描かれた「お手紙」をくれる。
娘とのこのやりとりに、一日の疲れが癒されていく。

「あ、お父さんだ!お父さんだよ!」

元気な声がもう一つ、部屋の奥から聞こえてくる。
どうやら次女も起きているようだ。
この娘たちの笑顔で、毎日頑張れている。
少し前までは仕事が多忙な時期が続いており、家に帰るのは日付が変わる頃というのも珍しくなかった。
その時間ともなると、子供達は当然ぐっすり寝ている。
その頃から比べると、最近は仕事が落ち着いており、帰る時間も早くなった。
こうして少しの間だけ、寝る前の子供達と触れ合うことが出来る。

部屋に入ってカバンを置き、ワイシャツのボタンを外そうとしていると、後ろから妻に一枚の紙を差し出された。

「今年の七夕のお祭り、中止らしいよ。」

このお祭りというのは、子供たちが通う保育園のイベントだ。
渡された紙は、それが開催出来ないという園からのお知らせだった。
今年は新型のウイルスが猛威を振るったため、こういった人が集まるイベントは軒並み中止になっている。

「夏の水遊びも中止じゃなかったっけ?」
「うん、そう。」

子供達の大好きなイベントが中止になるのは、親としても辛い。
どんなイベントも、その年はその1回きりだ。2回目はない。

「この調子だと、運動会も危ないのかな。」
「この子が産まれる頃には、色々と落ち着き始めてると良いんだけどね。」

お腹をさすりながら、妻が苦笑いを浮かべる。
現在、妻のお腹には3人目の命が宿っており、まだ性別は分かっていない。
私が子供の頃に比べると、現代の子供たちは試練が多すぎる。
もちろん、その子供達を育てていかなければいけない親も同様だ。

「何にせよ、3人とも幸せな人生を歩んでほしいね。」

そう口にしたし、いつも心から願っている。

― 七月四日 ―

翌朝。

「お父さん起きて!朝だよ!!」

休日の子供はとにかく早起きだ、半ば無理やりに起こされる。
今日は天気もあまり良くないので、家の中でお絵描きをして過ごすことにした。
前に買っておいた大きな模造紙を納戸から引っ張り出してきて、子供達を呼んだ。姉妹がそれぞれ模造紙にクレヨンを自由に走らせていく。

さすがに琴は日頃の「お手紙」の成果が感じられる。
ちゃんとした絵を描けるようになってきており、明らかに何か分かるものを次々と描いていく。
それに比べて次女は、まだまだグルグルを線を描いているばかりだ。

ふと気が付くと、琴が見慣れないキャラクターを描いていた。
頭はリンゴで出来ており、目がハートになっている人型のキャラクター。

(これ何だろう・・・見たことないな・・・。)

気になったので、聞いてみることにした。

「琴、これはなに?」
「あ~これはねぇ、イシキュアマナムだよ。」

(・・・え?)

「え?・・・何?」
「ん?イシキュアマナム。ずっとず~っと昔からの友達だよ。」

何かのアニメのキャラクターだろうか。全く聞き覚えが無い。
それとなく妻の方に目をやってみるが、こちらを見て首をかしげている。

(ずっとずっと昔からの友達・・・。)

イシキュアマナム・・・聞いたことはないはずなのに、何故か初めて聞く名前ではないような気がする。何とも不思議な感じだ。
この見た目も・・・名前も、どこか懐かしさを覚える。
次女が模造紙からはみ出して書いたクレヨンを拭きながら、そんなことを考えていた。

午後になって、子供達は部屋でアニメを見ている。
私はスマホでイシキュアマナムを検索してみた。

(該当なし・・・か。)

情報で溢れる昨今の世の中で、こんな短い単語で該当ゼロなんてことあるだろうか。
関連するワードと画像とか、何かしら出てきそうなものだけど。
パソコンを立ち上げて検索してみたが、結果は同じだった。
イシキュアマナム・・・一体何なのだろう。
そして、どこかで聞いたようなこの変な感覚は一体・・・?

その日の夕方、朝から降り続いていた雨はすっかり止んでいた。
良い感じに涼しかったので、琴を連れて少し散歩に出かけた。
家の近くを少し歩くだけでも、それなりに気分転換にはなるだろう。
玄関を開けると、思ったより肌寒かった。

(雨上がりとはいえ、この時期にしては思ったより寒いな・・・。)

琴の方を見ると、そんなのお構いなしに盛り上がっている。
さすが子供は風の子といったところだろうか。
空を見上げると、とても空気が澄んでいる。
雲もほとんどなく、明日は晴れそうだ。

歩きながら、何気なく琴に尋ねてみた。

「イシキュアマナムって、今はどこにいるの?」
「ん~とね、ずっとずっと遠くだよ。」
「遠く?いる場所は分かるの?」
「それがねぇ~、分からないんだよ。お手紙もあげたいんだけどねぇ。」

・・・手掛かりなしか。
だが、琴の中には確固たる何かがあるようだ。
ずっと遠くにいる、昔からの友達。

その日の夜。
妻と子供が寝てから、過去に撮ったホームビデオを見返していた。
昨年の運動会の映像だ。徒競走に玉入れ、お遊戯などを頑張っている。

(今年は出来るのかな・・・。)

ふとそんなことを思ったとき、カチャッと寝室のドアがゆっくり開いた。
琴が目を擦りながら出てきた。目が覚めてしまったようだ。

「ダメだよ~、寝てないと。鬼さん来ちゃうよ?」
「でも、目が覚めちゃったんだよ。」

(やれやれ・・・。)

ひとまずトイレに行かせる。
その後、戻ってきた琴はテレビで流れている運動会に気が付いた。

「あ、琴の出てるやつだ。」

ニコニコしながら見ているので、怒るのも可哀想になり少し一緒に見ることにした。自分の走る姿をみて笑っている。不思議なものだ。

(こういう思い出を、どんどん増やしてあげたいな・・・。)

そう思った次の瞬間。

「あ、イシキュアマナムだ!」
(・・・え!?)

慌てて一時停止を押す。少し戻して再生する。

「どこ!?」
「・・・あ、ここだよ!!」

一時停止。巻き戻し。再生。

「・・・ここ!!」

確かに今何か見えた。
赤のようなピンクのような何かが一瞬横切る。
一瞬過ぎて何かは全く分からない。
しかし、琴にははっきり見えているようだ。

(え・・・去年の運動会にいたの?)

― 七月五日 ―

翌朝、妻に昨日の夜の出来事は話さずにいた。
不思議と琴も話題に出すことはなかった。

私は通院のために、病院へと車を走らせていた。
肌の調子が良くないので、定期的に通っている。
運転しながらも頭の中では、これまでの出来事がぐるぐると回り続けている・・・。
誰に相談出来るわけでもなく、それでいて解決の糸口すらない。
気にしなければ良いだけのはずなのに、何か引っかかるものがあって妙に気持ちが悪い。

病院に向かう途中、本屋が目に入った。最近出来たようだ。

(・・・後で寄ってみようかな。)

通院を終えると、先ほど見かけた本屋に入り少し立ち読みをしていた。
ふと、店内のポップが目に入った。

「七夕」

もうすぐ、七月七日。
琴の誕生日だ。

(今年は何をあげよう・・・。)

自粛が続いていたので、おもちゃ屋にも全然来ていなかった。
欲しがっている物も分からない。

(帰ったら、それとなく聞いてみるか・・・。)

そんなことを考えながら、読んでいた本を棚に戻すと、急に後ろから声をかけられた。

「あの・・・これ、落ちてましたよ。」

振り返ると、中学生くらいの小柄な男の子が立っていた。
その子の手には、青いしおりが一枚。

「あ、ありがとうございます。」
「いえいえ(笑)」

立ち去るその人を見送って、手元のしおりに目をやる。

(・・・これ、誰のだ?)

思わず受け取ってしまったが、落とした覚えがない。
少し大きめのしおり・・・いや、これは・・・短冊?
何でこんなところに。表も裏も、特に何も書いてはいない。
受け取ってしまったけど、私の物ではない。
辺りを見渡したが、特に短冊を飾ってある様子もない。
平積みの本の上にそっと置いて、その場を足早に立ち去った。

その日の夕方。
気分転換に一人で散歩をしていた。

(明日から仕事か・・・。)

日曜の夕方は憂鬱だ。
いざ月曜が始まってしまえば、何てことは無いのだけど。
何とかシンドロームって言ったっけ、例外なく毎週襲ってくる。
だからこそ、この何でもない散歩が良いのだ。
缶コーヒーを片手にのんびり歩いていると、辺りが段々薄暗くなってきた。
スマホを取り出すと、もうすぐ午後6時を過ぎようとしていた。

(そろそろ帰ろうかな。)

そう思い辺りを見渡すと、思わず身体が固まってしまった。

(あれ、ここどこだ・・・?)

見覚えがない、全く見覚えが無い広場に立っていた。
薄暗く木々に覆われており、どっちから来たのかも分からない。
家からそう遠く離れてはいないはずなのに、どこを見ても全く場所が分からない。

困った。困ったぞ。

昨日今日と不思議な体験をしたこともあって、何だか妙に不安になる。
怖い。
ひとまずここから離れようと思い、一歩踏み出したその時だった。
後ろから、もの凄い光が辺り一面を照らした。
ほとんど目が開けられない中、薄目でその光の先を見ると、何かがこちらに近付いてきていた・・・。

車・・・?

いや、もっと大きい・・・。

あ・・・、列車だ。

ふと足元に目をやると、私はいつの間にかレールの上に立っていた。
慌ててその場から離れる。
ゆっくり、ゆっくりと列車が近付いてきて私の目の前で停車した。
扉が開くが、だれも降りてはこない。
列車は、扉を開いたまま静かに止まっている。

(これは、乗れってことか・・・?)

怖い。どう考えてもおかしい・・・けど、このあり得ない現象に不思議と不安はすぐに消え去った。

(乗ってみるか・・・。)

恐る恐る列車に乗り込むと、すぐに扉が閉まった。
列車の中へと進んでみると、私以外にも何人か乗客がいた。
同い年くらいの男性、若い女性や子供もいる。
みんなどこか不安そうだ。

(この人達はどこへ行くのだろう・・・)

もう乗ってしまったし、覚悟を決めて席に座った。
列車はすごいスピードで走り続けている。

どのくらい時間が経っただろうか。
長かったような、短かかったような・・・。
途中、何度か停車したような気もするが、不思議とここは降りる所ではないような気がして、席は立たなかった。

少しして列車が停まった、後ろで扉の開く音がする。
車掌の声が聞こえたような気がしたが、残念ながら駅名までは聞き取れなかった・・・が、どうやら終点のようだ。
周りに座っていた人も、次々に立ち上がって列車を降りていく。
慌てて私も列車を降りた。

降りて辺りを見渡すと、妙に明るかった。
列車に乗る前までは日没を迎えて辺りは薄暗かったのに、昼間のような明るさだ。乗っている間に、日付が変わってしまったのだろうか・・・。
辺りを見渡してみるが、「別世界」という言葉しか出てこない。
見るもの全てが不思議な色や形をしている。
変わった木、変わった花、変わった建物。

(・・・外国に来ちゃったのかな?)

近くに人のいる気配は感じられない。
列車から一緒に降りた人も、皆いつの間にか姿を消していた。
どこかへ行ってしまったようだ。
乗ってきた列車も、いつのまにか消えていた。

(・・・ひとまず歩くか。)

ここがどこなのかも、どこへ行けばいいのかも分からない。
ひとまず、ここがどこなのかを知りたい。人を探そう。
幸いにも少し歩いたところで人に会うことが出来た。
そして、これまた幸いにも言葉が通じた。

「あの、ここは何という場所なのですか?」
「う~ん、何って言われてもなぁ・・・。」
「地名というか、何か名前があるでしょ?」
「う~ん、この辺にいる奴ぁここから離れることがないから、あまりそういうの気にしないんだよなぁ~。」

(・・・どういうことだ?自分の住んでいる場所を知らないという事か?)

質問をすればするほど、分からないことが増えていく。
困った・・・、何か解決の糸口はないものか・・・。

(・・・あ!)
「あの・・・、イシキュアマナムってご存じですか?」

思い切って聞いてみた。

「あ?・・・イシ何だって?」
「イ・シ・キュ・ア・マ・ナ・ム。探してるんです。」
「そういう名前の人がいるのか?・・・う~ん、聞いたことないなぁ~。」
(やっぱりダメか・・・。)

もしかしたらと思い聞いてみたが、ここはイシキュアマナムとは関係のない場所なのだろうか。
・・・だとしたら、あの列車は何故ここに私を連れてきたんだろう。
もしかして、本当は乗ってはいけない列車だったのか?
・・・だんだん不安が増してきた。

その時、地面が少し揺れたような感じがした。

「あ、そろそろ時間だ。」
「え?」

どこからか音が聞こえる。
列車の汽笛だ。

「ホレ、お迎えが来たよ。」
「え?・・・あ、はい。」
(お迎え・・・?)

後ろを振り向くと、驚いてしまった。
すぐ近くにあの列車が停まっていたのだ。
辺りを見渡すが、一緒に来た人達が戻ってくる気配はない。

(あの人達は乗らなくても良いのだろうか・・・?)

列車に乗り込むと、すぐにドアが閉まり走り出した。
今回は私しか乗っていない。
しばらく列車に揺られ、どのくらいの時間が経っただろうか・・・元の場所に戻ってくることが出来た。
列車から降りて辺りを見渡すと、見覚えのある場所だった。
子供たちが通っている保育園からすぐ近くの公園・・・運動会をやった場所だ。ビデオの映像が蘇る。
列車に乗ったのもここだったのか・・・?
そう思い振り返ると、いつの間にか列車は姿を消していた。

(・・・家に帰ろう。)

もう一つ気が付いたことがある。
周りの暗さが、列車に乗る前とほとんど同じだったのだ。
そして、スマホを見て愕然とした。
時間が全く進んでいなかったのである。

(一体、何がどうなっているんだ。)

こんな話、家族にどう説明すれば良いのだろう。
どんなに説明しても、何一つ伝わる気がしない。
家に着くと、子供達はいつも通り部屋で遊んでいた。
妻からは「おかえり、夕飯どうする?」と尋ねられたので、少し考えて「たまには食べに行くか。」と切り出した。
何だか色々なことがあり過ぎたので、気持ちを切り替えるためでもあった。
妻は子供たちに出掛けることを伝えると、二人とも大はしゃぎしている。
外食というだけでテンションが上がるのは、いつの時代も同じだ。

「よし、行くよ~。」

子供達と手を繋ぎながら、駐車場に移動する。
お店まではそんなに遠くないが、帰りも考えると車移動の方が何かと都合が良い。

「何食べたい?」

そんなことを聞きながら、エンジンをかけて車を走らせた。

運転していると、琴が色々な話をしてくる。
保育園で流行っているのか、知らないゲームや言葉の話を次々と出す。

「お父さん、これ知ってる?」
「へぇ~、そんなのがあるの?」

周りの友達から色々なものを吸収しているのだろう。
今のうちにどんどん吸収して、色々な可能性を見せてほしいなと思う。

少し暗い道に差し掛かった。
細道だが、ここを通る方がお店に早く着くのだ。
横に雑木林が広がっている。

「ほら、琴見てごらん。森があるよ。」
「ほんとだ!イシキュアマナムがいるかもしれないね。」
「そうなの?」
「そうだよ、イシキュアマナムは森にいるんだよ。」

ここにきての新情報だった。森にいるのか。

(あれ?あの時会った人に、森の場所を聞けば良かったのかな・・・?)

「イシキュアマナムは、いつも森にいるの?」

もっと聞いてみる。

「森にもいるし、川にもいるよ。」
「川?」
「そう、川だよ。凄い大きくて、きれいな川だよ。」

次、あの列車に乗ることが出来たら、会うことが出来るかもしれない。
何だか妙なワクワクを感じていた。

会うことが出来たら、聞きたいことが沢山ある。
誰なのか。何故、あそこにいたのか。そして、琴とはどこで知り合ったのか。今はどこで何をしているのか。

ゆっくり夕飯を食べて、その後はおもちゃ屋に行くことになった。
琴の誕生日が近いので、そのプレゼント選びも兼ねている。
おもちゃ屋の入口のところに、沢山の短冊がぶらさがっていた。
子供達のお願い事が色々と書かれている。
欲しいおもちゃが書いてあったり、大人っぽい願い事を書いている子もいる。

「・・・琴は、保育園でお願い事を書いたの?」
「書いたよ!えぇ~っとね、みんなで温泉に行きたいって書いたよ。」

(温泉?マジか・・・自分が保育園の頃に【温泉】なんてワード出たかな。)

短冊を色々見ても思ったが、今の子供は案外みんなこんな感じなのだろうか・・・。
おもちゃを眺めながら色々話をして、これが欲しそうだなという目星をつけた。明日こっそり買いに来よう。
建物の外に出ると、星が奇麗だった。
都内とはいえ、郊外ともなると結構見えるものだ。

「琴、ほらあそこの星が見える?」
「うん、見えるよ!」
「あれが、琴座。琴の名前は、あの星座から取ったんだよ。」

琴の誕生日は、七月七日。七夕だ。
今年は平日なので遊びには行けないが、次の週末はどこか出かけようと思っている。

「あ!」

琴が大きな声を出した。

「どうしたの?」
「光がシューってなった!」

・・・流れ星だろうか?そのあと皆で少し眺めていたが、それ以降星が流れることはなかった。
あと少しで誕生日の琴だけが偶然見れたのは、何か運命的なものを感じる。

(・・・なるべく早めに温泉に連れて行ってあげよう。)

そう思った。

その日の夜中、琴から前にもらった「お手紙」を眺めていた。
こうやって見ていると、本当に絵が上手くなったなと感心する。
毎日のようにくれるので、結構な量だ。
一枚一枚、丁寧に見ていく。
次々と見ていると、ふと気が付いたことがある。
所々に「イシキュアマナム」が描かれていたのである。
改めて見返してみると、これまで何度も描いていたようだ。

(全然気付かなかった・・・。)

よく見たら、森の中に居たり川の横にいる絵も描いている。

(何でもっと早く気が付かなかったのだろう・・・。)

あの世界にもう一度行きたい。
何の確証も得られていないのに、あの世界に「イシキュアマナム」が居る。
何故か自信がある。

(どうやったらまたあの列車に乗れるのだろうか・・・。)

ネットに何も情報が無いことは既に分かっている。
何か取っ掛かりになるようなものはないか。

列車に乗ることが出来たあの瞬間を、順を追って思い出してみることにした。
夕方にぼーっと歩いていて、気が付いたら見慣れない広場に居て。
急に列車が来て、乗ったらあの世界に居た。

(・・・ダメだ、何の取っ掛かりもない。)

どこに行けば良いのか、何をすれば良いのかサッパリ分からない。
たった一度のチャンスを逃してしまったのかもしれない。

たった一度。

「イシキュアマナム」に会える、たった一度のチャンスを。

― 七月六日 ―

翌朝。

起きて、身支度を整えていつも通りに会社に向かう。
帰りは、おもちゃ屋に寄って、琴の誕生日プレゼントを買うのを忘れないようにしないと。

仕事をしていると、メールが来た。

ー 休日出勤、お願い出来ますか? -

(・・・マジか。)

正直なところ周りの状況を見ていて、少し予想は出来ていた。
いや、むしろ好都合だった。

ー 了解しました。前もって、7日に張替休暇を消化します。 ー

よし、琴の誕生日にお休みを入れることが出来た。
プレゼントを買いに行くのも、当日で良いだろう。
何ならプレゼントは後日で、当日は少し遠出をしようか。
選択肢が色々と広がる。

(・・・いっそ、温泉行っちゃうか?)

最速で短冊の願いを叶えることが出来る。
これもアリだ。

(・・・帰りに、本屋でガイドでも見るか。)

目的が少々変わったが、帰りに寄り道をすることが確定した。

仕事帰りに、会社の近くの本屋に立ち寄った。
家の近くにも本屋はあるが、都心に比べると規模が小さいので、色々見比べるのは都心の本屋の方が都合がいいのだ。
お店に入ると、入口からすぐのところに新作コーナーが出来ていた。
今日の目的はガイドブックだったが、ちょっとだけと決めてその新作コーナーを眺めていると、一冊の小説が目に入った。

【夢幻鉄道】

東山さんという人が書いた本のようだ。

(新人さんかな?聞いたことないな・・・)

中をパラパラと呼んでみると、思わず鳥肌が立ってしまった。
私が先日体験した不思議な出来事とよく似ていたのだ。

(いや、まさか・・・単なる偶然・・・)

そう思ったが、少し考えてみた。

(もし、私が乗った列車がこの【夢幻鉄道】だったとしたら・・・この小説に、何かヒントになることが書いてあるかもしれない。)

しっかり読んでみようと思い、購入することにした。
何ならこの東山さんという方に直接話を聞きたいくらいだ。

「これください!あ、袋は要りません。」
「じゃあ、テープで失礼しますね~。」

購入した小説をカバンにしまい、本屋を足早に立ち去った。
温泉地のガイドブックを買うことは、とうに忘れてしまっていた。

帰りの電車に揺られながら、購入した小説を読み進めていた。
微妙に違う部分もあるが、私が体験したことがほぼそのまま書かれていた。
差し込まれている挿絵も、私が見た景色そのものだった。

(こんなに似るものだろうか・・・。)

この東山さんと話をしてみたいと思ったほどだ。
この方も実体験を小説にしているのだろうか。

小説を読み進めていくと、どうやらこの列車は現実世界と夢の世界を繋ぐ乗り物らしい。私が乗った列車がこの【夢幻鉄道】だとしたら、私が見た景色は「誰かの夢の中」ということになる。

一体、誰の夢なのだろうか・・・。

私自身があの世界にいるから、私の夢ではないと思う。
となると、琴か?・・・いや、あの時間は恐らく起きていた。
私が家に帰った時は、妹と一緒に部屋で遊んでいたし。
でも、もしあの世界に仮にイシキュアマナムが居るとしたら、琴以外の誰の夢なのだろうか。
これさえ分かれば、またあの世界に行けるキッカケを作れるかもしれないのに・・・。

・・・ダメだ、肝心なところが結局分からない。
どこの誰の夢か分からないなら、列車に乗れるタイミングさえ掴めない。
イシキュアマナム・・・会えるなら会って、直接話をしてみたいのに。

(・・・今日は、帰ってからこの小説を読み進めてみるか。)

そう思いながら、窓の外を眺めた。
もうすぐ降りる駅に到着する。
駅を降りると、雨が降っていた。

(明日は晴れると良いが・・・)

今の時点では予報は晴れになっているが、少し不安もある。
何せこの雨が予報にはなかった。
折り畳み傘を広げながら、足早に自宅を目指した。

家に帰ると、風呂場から声が聞こえた。
どうやら全員で風呂に入っているようだ。
カバンを置いて着替えると、パソコンの電源を入れた。

(夢幻鉄道・・・と。)

検索すると、この小説が最初に出てきた。
どうやら驚異的に売れているようだ。
確かに面白い・・・けど、私はそんな悠長なことを言っていられない。
何せ、これを現実世界で体験してしまったのだから。

分からないことは、3つ。

まずは「イシキュアマナム」だ。
琴から少し情報は聞いているが、実態が全くつかめていない。
そしてあの世界、あれがもしこの【夢幻鉄道】と同じ世界なのだとしたら誰かの夢の中ということになる。それが誰の夢なのかが分かっていない。
そして、何故あの世界に私が行くことが出来たのか。
あの列車が私の前で止まったという事は、恐らく私に関係のある誰かの夢の中なのだろう・・・確証はないが。

あの世界にもう一度行きたい。
そして、イシキュアマナムがいるなら会って話がしたい。

― 七月七日 ―

翌朝。

天気予報は的中した。快晴だ。

(夜は、奇麗な星空が眺められそうだ。)

折角だから、夜はもっと山の方へ車を走らせてみるか。
奇麗に星空を眺めることが出来ると思う。
日中は、近所の商業施設に足を運んだ。
中にフードコートもあるし、子供達が遊べる施設も揃っている。
一日中遊ぶことが出来る。

新型ウイルスの影響で、遠出を控える傾向にあるので、家の近くにこういう施設があるのは非常に助かる。
文字通り、日が暮れるまで子供達と遊んだ。
ここ最近、あまり出掛けられていなかったので、子供達も嬉しそうだ。
色々思い出も作ることが出来て、本当に良かった。
夕飯を食べ終えると、外に出て空を見上げた。奇麗な星空だ。

(よし、もう一つ思い出作りといこう。)

車に乗り込むと、家とは反対に車を走らせた。
少し走ると、妻が気が付いた。

「ねぇ、どこに向かってるの?」
「せっかくの七夕だし、もう少し星が奇麗に見えるところに行こうと思ってね。」

その言葉を聞いた段階から、琴は既にウキウキし始めている。
妻はやれやれといった感じで、お腹をさすっている。
辺りが徐々に暗くなってきた。
もう少し進んだところに、大きな湖があるので、その辺りまで行ってみることにした。
車を停めて外へ出てみた。風も少しあって涼しい。
辺りはすっかり暗くなり、街灯も少ないので星が奇麗に見える。

(やはり、ここにきて正解だったな。)

琴に星の話をしていると、妻が何かを探している。

「ん?どうした?」
「いや、写真を撮ろうかなと思ったんだけど携帯が見つからなくて。」
「まさか、お店に忘れたとか?」
「ん~・・・いや車で見てたから、多分席に置いてきたのかも。」

私は妻に車のキーを預けた。妻は次女と車の方に歩いていく。
私は、琴と一緒に空を眺めていたが、周囲に座るところがないか探してみることにした。あまり離れると、妻が困惑するから周辺を見渡してみた。

琴が、何かに気付いた。

「お父さん、あれ。」
(・・・え?)

少し離れたところにある木々の向こう側に、大きく光っているものが見える。

(車かな?・・・いや、あそこに車が入っていくのは無理だ。とはいえ民家があるわけでもない。)

「ねぇお父さん、見に行ってみようよ!」

琴が、私の手を引っ張る。
この場から離れるのは少し抵抗があったが、妻も何かあれば携帯に連絡をくれるだろう。

「よし、暗いから足元に気を付けてね。手を放しちゃダメだよ?」
「うん、わかった!」

私は琴と手をしっかり繋ぎ、光の方へ歩いて行った。
ゆっくりと光へ近づいていくと、徐々にその正体が見えてきた。

(・・・列車だ。)

そう、私がもう一度乗りたいと心から願っていたあの列車だった。
あまりの突然な再会に声が出ない。

「お父さん!電車だよ!!」

琴は興奮した口調で、私の手を引っ張る。
わたしはまだ上手く喋れない。

「ねぇお父さん、乗りたい!」

琴は、テーマパークにある乗り物のような感覚で私に提案してきた。
私はまだ反応出来ずにいた。
これがもしあの【夢幻鉄道】だとしたら、今まさに誰かが夢を見ているということだ。
これで、うちの娘達の夢ではないことが確定した。

(・・・一体、誰の夢なのだろう。)

悩んでいる時間はない。
この夢を見ているどこかの誰かが起きるまでの限られた時間しか、あの世界にはいられないのだから。

「ねぇ、お父さん!」
「・・・あ、あぁ・・・よし!乗ろう!!」

琴と一緒に駆け足で列車に乗り込むと、ドアが閉まり列車はゆっくりと走り出した。
乗り込んですぐのとこにある席に、琴と並んで座った。
離れたところに車掌が立っているのが見える。
私は立ち上がって周囲を見渡してみた。
今日は私達以外に、乗客はいなかった。
あれからどれくらい時間が経っただろうか。
琴は飽きずに窓の外をずっと眺めているが、特に不安に感じている様子もなく、移り行く景色を目で追いながら笑っている。

(そろそろ駅に着く頃だろうか・・・。)

前に一度来ただけなのに、何だかそんな気がした。
列車が徐々にスピードを落としていく。もうすぐ到着だ。
何だか緊張してきた。

「琴、駅に着いたから降りるよ。」
「は~い。」

手を繋いで、ゆっくりと駅に降りた。
見るもの全てが不思議な色や形をしている。
変わった木、変わった花、変わった建物。
間違いない・・・ここだ。

「わぁ~、凄いねぇ~!」

琴は周りを見渡しながら、目をキラキラさせている。

「琴、もしかしたらここにイシキュアマナムがいるかもしれないよ。」
「そうなの!?」
「まだ分からないけど、お父さんと一緒に探してみようよ。」
「うん、わかった!!」

琴と一緒に歩き始めた。
歩き始めたはいいものの、どこを目指そうか・・・。

「琴、イシキュアマナムがどこにいるか分かる?」
「ん~とね、イシキュアマナムは暗い森にいるんだよ。」

確かに、前にそんなことを言っていたな。

「森か・・・じゃあ、まずは森がどこにあるか探してみようか。」

更に歩き続けた。
歩き始めると、見覚えのある人がいた。

「あ、あなたは!」
「ん?・・・誰だお前。」

前にここに来た時に話しかけた人だと思ったが・・・私のことを覚えていないようだ。
思い出してほしかったが、あまり時間をかけてはいられない。

「あの、この辺に森ってありますか?」
「森?」
「あのねぇ、暗い森で川もあるんだよ!」

横から、すかさず琴も補足をする。

「ん~、川があるかは分からないけど、森はこの道をまっすぐ行ったところにあるよ。」
「本当ですか!?」
「木が大きく生い茂っていて、陽はあまり差し込まないだろうから多分暗いと思うよ。」
「多分?」
「森があるのは知っているけど、中に入ったことがないからね。」

迷っている時間はない、早速そこに行ってみよう。

「ありがとうございました。琴、行ってみよう!」
「うん、そうだね!」

手を繋ぎ、その人に見送られながら道を歩き始めた。

(・・・そういえば、あの人の名前を聞いておけば良かったかな。)

言われた通り、道を歩いていると本当に森が見えてきた。

「あった。」
「お父さん、森が見えてきたね!」

ここに本当にいるのだろうか。
いや、きっといる。
いったい誰なのか、そしてこの世界が誰の夢なのかを教えてもらおう。
ゆっくりと、森の中に足を踏み入れた。
陽はわずかに差し込んでいるが、木々がかなり生い茂っていて若干薄暗い状態になっている。
普通なら不気味に思う暗さだが、不思議と怖さはなく落ち着いた雰囲気だ。
少しずつ、少しずつ奥へと進んでいく。
一本道になっており、帰りは迷わなそうだ。

(・・・ん?)
「お父さん、何か聞こえるね。」
(・・・水の音?)

僅かにだが、この道の先から水の流れる音がする。
周りが静かなので、その音だけが聞こえてくる。

「この先に、川があるかもしれない。」
「本当?じゃあ、イシキュアマナムがいるね!」

琴は目を輝かせている。
更に奥へと進んでいく。
早くその姿を見たいという気持ちから、徐々に足早になっていく。

会える。ついに会える。

一本道が途切れたその先に、大きく光が差し込む空間があった。
その空間を横切るように、川が流れている。

その川の人影が見えた。

頭はリンゴで黒いマントのようなものを羽織っている。
どうやら、後ろを向いているようだ。顔は見えない。

いた・・・本当にいた・・・ついに会えた。

「お~い!」

琴が、私の手を離れて走っていく。
琴の声に気付いて、こちらを振り返った。
その顔は、琴が絵に描いたあの顔だった。
私も小走りに近付いて声をかけた。

「あなたが、イシキュアマナムですか・・・?」

突然名前を呼ばれて少々驚いた表情を浮かべていたが、すぐに微笑んでゆっくり頷いた。
琴はニコニコしながら抱きついていたが、すぐ近くに花畑をみつけて走り出した。

「お母さんにあげるお花を取ってくるね!!」

よく見ると、花畑の所にもイシキュアマナムがいる・・・いや、琴と同じくらいの背丈だ。イシキュアマナムの子供だろうか?

(・・・どうして私の名前を?)
「え?」
(あ、驚かせてすみません。私は喋ることが出来ないので、あなたの頭に直接話しかけています。)
「そうだったのですか・・・」
(なぜ、私の名前をご存じなのですか?)
「あの子・・・琴っていうんですけど、この前あなたを絵に描いて教えてくれたんです。」
(そうでしたか・・・私のことを覚えてくれていたのですね。)

イシキュアマナムは琴の方を見て、微笑みながらも目に涙を浮かべている。

「あの・・・あなたは、琴とどこで会ったんですか?」
(・・・ちゃんとお話しをしないといけませんね。)
「ずっと昔からの友達だって言っていたんですが、私には何を言っているのか分からなくて」
(・・・すべてお話しします。)

(私は、現実世界に存在する生き物ではありません・・・人がこの世に生を受ける前に出会う、想像上の生命体なのです。)
「え?想像上の・・・生命体?」
(人は寝ている時に毎回夢を見ています。大人も子供も・・・もちろん産まれてくる前の胎児も。)
「胎児も夢を見ているんですか!?」
(もちろんです)
「でも、夢って経験とか記憶の寄せ集めだって聞いたことがありますよ?」
(確かにそれも夢になりえますが、胎児も非常に抽象的な夢を見ています。その中で唯一具体的に見るのが、私の姿なのです。)
「そ、そうだったんですか・・・。」
(人は誕生の瞬間に、光や音や臭いなど外部からの強い刺激によって私のことを忘れてしまいます・・・あなたも覚えていなかったでしょう?)
「え、ちょっと待ってください・・・確かに私は覚えていません。でも、琴はあなたのことを覚えていましたよ?」
(私もあの子に名前を呼ばれた時に、本当に驚きました・・・でも、嬉しかった。あの子が授かった特殊な才能なのかもしれません。大事にしてあげてください。)
「・・・分かりました。」

「お父さ~ん!これ見て~!凄いキレイなお花だよ!!!」

琴が両手いっぱいに花を抱えて走ってきた。
その時だった。
物凄い音とともに、辺りが大きく揺れた。

「え、地震ですか!?」

琴はその場に花をおいて、私に抱きついてきた。

(いえ、違います・・・そろそろ、時間のようですね。)

「え?時間って?」

辺りがまた大きく揺れた、そして次の瞬間空に亀裂が走った。
あまりの突然な出来事に言葉が出てこない。

(もうすぐこの世界は終わりを迎えます。じきに列車がここに来ますので、あなた達はそれに乗って元の世界に戻って下さい。)

「ちょっと待ってください!あなたは!?」

(我々は、こちら側にいるべき生命体・・・ここでお別れです。)

「やだ!!!!」

突然、琴が大きな声をあげた。

「やっと会えたんだよ!?もっともっと、お話しがしたい!!」

眼からポロポロと大粒の涙が出てきている。

その時、辺りが大きな光に包まれた。
前にも経験したことのある、この眩しい光・・・後ろを振り向くと、あの列車が既に停まっていた。

(さぁ、早く乗ってください!)

「・・・。」

(早く!!)

私は、琴を抱き上げた。
列車に向かって歩き出す。

「待って!お花を持っていきたい!!」

仕方なく、さっき琴が花を置いたところに戻った。
いくつかの花を拾って、再び列車に向かって走り出した。

列車に乗り込むと、後ろを振り返った。
イシキュアマナムがこちらを見て微笑んでいる。
横には同じ顔の小さい子もいる。

「ほら、ちゃんとバイバイしないと。」

琴は覗くように見ているが、ぐしゃぐしゃに泣いてしまい喋れない状態だった。

私も辛い。本当はもっと長い時間、一緒にいさせてあげたかった。
またいつか会える・・・そう思いたいが、心のどこかで多分もう会えないような気がしていた。

あの小さい子が手を振っている。
琴も、一生懸命それに応える。

汽笛が鳴った。1回・・・2回。
ドアが閉まり、ゆっくりと走り始めた。

席に座ると、琴はまだ少し泣いている。

窓の外を見ると、周りの景色にどんどん亀裂が入り崩れ始めている。
これが、この世界の終わりか・・・。

琴は、少しずつだが落ち着きを取り戻してきた。

「お花、ちゃんと持っててね。お母さんにあげるんでしょ?」

「うん。」

(・・・何か元気を取り戻す方法は。)

向こうに置いてきた妻達は、私たちが急にいなくなって不安になっていないだろうか。
そもそも、どのくらいの時間が経ったのだろう。

(携帯、携帯・・・。)

・・・無い。

(あれ?・・・いや、こっち来てからは出していないから・・・車に置いてきたか?)

カバンの中を一生懸命探していると、見覚えのある一枚の紙が出てきた。

あの時渡された短冊だ。

(・・・あれ?これ、持ってきちゃったんだっけ?)

少しその短冊をボーっと眺めていて、思いついた。
慌ててカバンからペンケースを出すと、中からサインペンを取り出し琴を呼んだ。

「琴、ほらこれ見て!」

琴も短冊とサインペンを見て、笑顔を取り戻した。

「・・・よ・・・う・・・に。」

琴は短冊に願い事を書くと、持っていたお花を一輪私に差し出して。

「お父さん、これ紙に貼りたい。」

「え~、貼るっていっても・・・お父さん、テープ持ってないからなぁ・・・。」

「えぇ~・・・。」

カバンの中を探して、気が付いた。

「あ!琴、あったあった!」

カバンの中から取り出した小説に貼られていたテープをはがし、花を短冊に貼り付けた。

窓を少しだけ開けると、風が勢いよく吹いている。
琴はその窓の隙間から、短冊を外に出した。

短冊は風に乗って、空高く舞い上がった。

「バイバ~イ!!」

琴は短冊に手を振って、ゆっくり窓を閉めた。
満足したのか、ニコニコしている。

「おねがいかなうといいなぁ~」
「そうだね、叶うと良いね。」

列車は青い光のレールを凄いスピードで走り続けた。

画像1

琴の誕生日から数日が経った。

あの日、みんなで星空を見に行った・・・ところまでは覚えているんだけど、その後何かあったような気がするが・・・思い出せない。

琴に聞いても、星が奇麗だったことと夕飯が美味しかったことしか言わない。

(何かあったような気がするんだけどなぁ・・・。)

今日はお休みだが天気もあまり良くないので、家の中でお絵描きをして過ごすことにした。
前に買っておいた大きな模造紙を引っ張り出して・・・来たが、何だか枚数が減っているような気がする。

(・・・何かに使ったっけ?)

広げて子供達を呼ぶと、姉妹が飛んできて絵を描き始めた。
それぞれ自由にクレヨンを走らせていく。

さすがに琴は絵らしい絵を描けるようになってきており、こちらが見ていても明らかに何か分かるものを次々描いていく。
次女はまだまだグルグルを線を描いているばかりだ。

(上手くなるもんだなぁ~。)

ふと気が付くと、琴が見慣れないキャラクターを描いていることに気が付いた。

頭はリンゴで出来ており、目がハートになっている人型のキャラクター。
手には四角い物と、お花を一輪持っている。

「琴、これはなに?」と聞いてみた。

「これはねぇ、イシキュアズーだよ。」

【おわり】


■あとがき

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