自分をゆるしていないこと
「その場の空気を読まずに、自分の想いのまま感じるまま行動する自分をゆるしていない」
先日参加した開闢という講座で明らかになった自分のこと
そんなときの私は、
本当は苦しくなっている
なのに、当たり前のように自分をゆるしていない行動のほうをとっている
不思議ね…
そして、書きながら思う
私にとっての"その場"の"空気"って
何だろう
講座のときは、
"講座の場"の"空気"
家族と居るときは、
"家族と一緒に居る場"の"空気"
日本に住んでいるから、
"日本という場"の"空気"
今、この世界に生きているから
"この世界の場"の"空気"
その場の空気を読み、その場にそぐうように振る舞うことは、自分にとってどういう意味があるんだろうか…
そして、私が思う"その場"の"空気"とは?
具体的にしていってみると面白そうだ
⚫︎今回知った私の部族的信念
その場の空気を読んで行動したり、話すことが
成熟した大人というものだ
⚫︎今回、得たもの
無いものを絞り出そうとする私
⚫︎今回、得られなかったもの
自分がそのとき感じている感覚への信頼
⚫︎どんな一日になるだろう?
私にとっての、
「"その場にそぐわない"って何?」
を具体的に想像してみる。
そして、それを実際やりたいのかどうかを
自分に聞いてみる。
⚫︎私はどうしたいのか?どうありたいのか?
自分の感覚を信頼する
⚫︎チャクラのこと
第五チャクラと、
第六チャクラ
『自己イメージは自分のことをどう思い、世の中に対してどう表現するかを支配しているとても大切なものです。』
https://www.timeless-edition.com/archives/11832#google_vignette
を参照
〜私の「部族的信念」の定義〜
子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提