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田舎の考察 ”農的なくらし”

田舎に移住するとなって、おそらく大体の人がまず初めにやりたいなと考えること。それは食べ物を自分の手で育てて食べること。憧れのスローライフの一歩はやはり「食」から始まる。

私がいるのは北海道のどまんなか、富良野。平地が広がる農村地だけあって住んでいる家にはそこそこ広い庭がついている。でもたとえそれが市街のアパートだったとしても、ここではだれでも借りれる市民農園もあるから家庭菜園する畑を手に入れることは結構簡単。今年は何を育てようか?毎年雪が解けたころから地元のホームセンターは野菜苗を探す人たちで賑わう。

トマト、キュウリ、たまねぎ、かぼちゃ、なす、ズッキーニ、ジャガイモ、ピーマン、アスパラガス、いちご、大根、小麦、キャベツ、大豆、すいか、メロン、とうもろこし(北海道ではトウキビという)。私も移住した初年はあれもこれもと気合をいれて大量の野菜たちを植えた。農的な暮らしとは自分たちの食料は自分たちで確保することなのだ。

ここまで書くとおそらく予想されるかな?「そんなにたくさんだと手に負えなくなって、どれもこれも育たなかったんでしょ?」

結果は、、、驚くことにほとんどが食べられるように育ったのだ。もちろん全部に手間はかけられなかったので、伸び放題の雑草に埋もれた野菜を探し出すのは苦労したし、ほとんどはスーパーで売られているサイズの半分ぐらいにしか大きくならない。それでも収穫の時には取り切れないほどだった。野菜は人間が手をかけなくても勝手に伸びていくことを学んだ。

問題はそのあとやってきた。こちらの予想が当たった人はおそらく私と同じ経験をしてきているはず。そう、いわゆる「野菜もてあます問題」。せっかく新鮮な時に収穫したのに処理しきれず食べきらず手にあます。なんとか手放そうと近所におすそ分けとして持っていくと、お礼という名の野菜が倍返しになって戻ってくる。終わることなく無限に増殖する野菜たちに怯えながら、初めての収穫祭は幕を閉じた。

次の年からは家庭菜園の大きさはそこそこに留めた。ご近所から回ってくる頂き物を予想して苗を植えるようになった。新鮮な野菜を求めてスーパーを覗くようになった。普段使う野菜は欲しい時に手に入れるのが一番便利だった。

そのとき、自分たちが食べるためのものを作ることだけが農的な暮らしではないと知った。周りのことをよく知ることが、望んだ結果につながるよい循環をもたらしているのだと気づいた時、私は田舎で暮らす農的な知恵を身に着けたような気がした。



でもやっぱりなにか自分で楽しむための農的暮らしもやってみたいよね?ってことで新しいことに挑戦。今年はお米をバケツで育ててます。果たしてこれもちゃんと育つのか?

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