見出し画像

事象はダイヤモンド/ベトヴェン生誕250周年に、ピリオド楽器で第九を聴く

みなさまごきげんよう

秋の夜長をいかがお過ごしでしょうか。

私はきょう(あと少しで日付が変わりますが)、みなとみらいホールで芸術の秋を堪能して参りました。

画像1

メイン演目が「第九」という祝祭的なものでしたし、何より緊急事態宣言以降はじめてのコンサートホールでの演奏会でしたから、装いは華やかになることを心掛け、ボルドーカラーのパンプス+レッド系のワンピース、それにボレロで出かけました。会場には素敵な装いのマダムやパリッとスーツの紳士も多くお見えになっておりました。

感染症対策やソーシャルディスタンスも考慮しながらホワイエの喫茶コーナーも営業しておりました。うれしい。

今年はせっかくのベートーヴェン生誕250周年を祝う、祝祭的な一年ですが、くだんの感染症の影響でさまざまな演奏会が延期になったり中止になったりした中で、きょう、この演奏会を聴けたことは本当に感謝でしかありませんでした。

きょうの演奏会の特徴は一般に「ピリオド楽器」と呼ばれる楽器でオーケストラが編成されていたこと。ピリオド楽器とは古楽器ともいわれるのですが、わたくしたちに普段馴染みのあるモダン楽器とは楽器も音も少し異なります。
ざっくりと説明してしまうと、例えばモーツァルトやベートーヴェンといった音楽家が活躍していた時代のピアノと現代のピアノはかなり違っていて、鍵盤の数(音域)はもちろんのこと、響きや音量といったものが違うのです。
これはピアノに限らず、さまざまな楽器がそうで、モーツァルトやベートヴェン等が活躍していた当時のヴァイオリンと、現代のモダン楽器のヴァイオリンでは奏法(弓使いなど)も違います。
作曲家が生きた当時の楽器や奏法を用いて演奏することをピリオド/古楽、などという風に呼びます。

今宵、そのピリオド楽器を奏でたのがオルケストル・アヴァン=ギャルドです。

そうした訳ですので、今宵の演奏は聞き馴染みのあるモダン楽器+大編成のそれとはずい分違ったものでした。
因みに以下、今宵のプログラムです。ポップスでいうところのセットリスト?ですね(笑)

ベートーヴェン
バレエ音楽「プロメテウスの創造物」Op.43より序曲
ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58 
交響曲第9番 ニ短調≪合唱付き≫ Op.125

ピアノ協奏曲で使用されたピアノもといフォルテピアノはJohn Broadwood &Son の1800年頃の楽器で2020年(まさに今年ですね)に太田垣 至さんによって修復されたものとのこと。

フォルテピアノの柔らかな音はモダンのピアノでは表現できないものです。
個人的な感覚での表現になりますが、モダンピアノの音がクリスタルクリアだとするとフォルテピアノは真珠が陽を反射するような柔らかさと高貴さ。

今宵のソリストは川口成彦氏。
初めて演奏を拝聴いたしましたが、演奏がとても素敵で思わずファンにならずにはいられないものでした。

それでね、今夜はじめてつくづくと、「あぁ、ホールも楽器なんだな」と思ったのです。
みなとみらいホールで演奏会を聴くのも実は初めてだったのですけれど、正直なところ、きょうの楽器であの大きなホールは、奥の客席(しかも頭上には2階席が張り出している)にいた私には少し物足りないといいますか、演奏に非があるのではなく、単純にホールの前半分の客席の更に真ん中あたりだと音がまた違ったに違いないと感じることができる程度にはフォルテピアノの音は届きにくいものでした。それでもあの柔らかな音色には感動しきりだったのですけれど、それだけではなくて、ピアノコンツェルトになってからオケの鳴りが変わったのです。
オケだけでなく、ホールも。

「ホールが呼吸している。演奏に呼応している。ホールも生き物なんだ!」とこんなに強く感じたことは初めてでした。

これは、もしかするとピリオド楽器という個々の楽器の音がモダンよりも明晰に響くものだったからこそ味わえた感覚だったかもしれません。

そして、第九。

一楽章からして各パートの旋律が浮き彫りになるような演奏に改めて感動。柔らかな響きが滑らかに旋律をつないでいき、対話するように抑揚があって音楽が躍動する。
個人的に、元々第二楽章が好きなのですけれど、きょうのティンパニはことさらに印象的でした。因みにティンパニは藝大フィルハーモニア管弦楽団の井手上達さんでした。
そして、いつもはあまり興味のない(←コラ!)第三楽章。
もしかしたら初めて感動したかもしれません。
第三楽章の冒頭のまろやかさは、これまた抽象的かつ個人的感覚で恐縮ですがとろりとした濃密な、でも澄み切った琥珀色のような貴腐ワインのような感じ。そしてやっぱり対話が続いていくのです。

オルケストル・アヴァン=ギャルドは若い音楽家が中心なのですけれど、若さゆえの血気盛んさというのはなく、程よく成熟したおとなの色気とでもいうような演奏。

第四楽章の合唱はクール・ド・アヴァン=ギャルドによるものでしたが、この合唱メンバーが!普段ソリストで大活躍されている面々ばかり。
そのクオリティたるや...です。

その合唱の皆さまの前には感染症対策として透明アクリルパネルが取り付けられておりました。

あぁ、あれがなかったら更に良い演奏だったろうにと思います。
ソリストの配置も通常では見かけないような場所に陣取られていて、それぞれのソリストの間にやはりアクリルパネルがありました。

ただね、アクリルパネルがあったのは残念ではあるけれど、それでもやはり、今夜こうして演奏会が行われたことが素晴らしいと思うのです。

2020年に世界を揺るがした感染症によって、さまざまな制限が生まれ、それを嘆きただ小さくなるひともいれば、その制限や制約の中でも工夫をこらして益々輝きを放つひともいる。

すべての事象は本当にダイヤモンドと同じで、多面カットのその輝きの、どの面を見つめるかで生き方や在り方はまるで変わってくる。
今週は、ちょうどウィーンフィルハーモニーがこの状況下に飛行機をチャーターして来日してくれて、きょうもサントリーホールでは彼等の演奏会もありました。

「できない」「むり」「しかたがないよね」

と、片付けてしまうのではなく。
制約はあってもその中で最大限輝きを放つにはどうするか、常に模索して前進する。もちろん、どう足掻いたってできないことというのは世の中に存在しますし、挑戦しないことを非難しているのではありません。
ただ、僅かにでもチャンスがあるなら。
光があるなら。
それを逃さない。

その在り方にもまた、感動するのです。

制約と言えば、ピリオド楽器そのものが結構制約があるといいますか、モダンより扱いが難しい面が多々あるのです。でもその中で、それでもピリオドの放つ輝きを見つけてそれを更に磨く奏者の方々がいるから、今日(こんにち)のモダンとピリオドがそれぞれのフィールドで共存する世界が築けているのですよね。

ひとつの事象のどこを見て、何を想い、何を工夫し、どう行動へ移すか。

いま、私たちが目を向けたいのは光と希望。
創意工夫と実行するチカラ。

ただそれだけなんだなぁと。

あらためて「在り方」にも思いを馳せる一夜となりました。

今宵の演奏会を催行してくださった
みなとみらいホール
クール・ド・アヴァン=ギャルドのみなさま
オルケストル・アヴァン=ギャルドのみなさま
フォルテピアノの川口成彦氏
そして指揮者の渡辺祐介氏

すばらしい音楽を、最高のギフトを、ありがとうございました。

蛇足ですが、めでたく?11月11日の午前1時11分を迎えたときにこれを書きながら自宅で「予祝」をいたしました~♪
予祝のお供は数年前に大好きなお友だちから頂いたLoui Rodererのロゼ。
最高に幸せな夜です。


いただいたサポートはより分かり易く、お子さまにも楽しんでいただけるような教材づくりに役立たせていただきます。