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2022年3月 強迫性障害 OCD発症。 突然何もできなくなった人間のどん底の日からの…

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2022年3月 強迫性障害 OCD発症。 突然何もできなくなった人間のどん底の日からの新しい人生の物語。

最近の記事

病気を伏せながら駆け抜けたカフェ1年間

2023年4月、はれてmunicoffeeはオープンし、たくさんの知り合いや少しずつ常連さんがついてきて駆け抜けてきた。 コラボカフェをしたり焙煎を手伝ったりPOPUPをしたり…municoffee以外の人との繋がりを大切に地域に密着した形で営業を行なってきた。 時には利益に苦しみぼーっと立ち尽くしてしまう日も。雨の日にはお客さんが来なくてどうしようと。晴れの日はとにかく試飲を配りまくりました。何事もアイデアをたくさん出して全力でやってきた。 パタンとなったのは3月。m

    • カフェ開業前事件

      1年間の中でデイケアに通い、転院をし、いろんな模索をしながら治療に励んだ私は2023年、母と2人で間借りでコーヒー屋さんを始めた。 最初は利益が出るなんて思ってない。むしろ初期費用がかかってマイナス。それでも”今できることから始めよう“私の考えはこれだった。 完治にはいつまでかかるかわからない。何をもって完治とするのか?寛解しかしなくないか?いろんなことを考え、一年たったちょうど4月店を開けた。そこに至るまでにはたくさんの困難と葛藤、屈辱、いろんなことが待っていた。まさか

      • 1番症状緩和した認知行動療法〜7つのコラム〜

        私は今でも症状が出る時は多々ある。 その時に毎回やっていること、それは7つのコラム、通称7コラである。 デイケアに通い始め、すぐ認知再構成法というプログラムをとったが、周りの意見がクレームに聞こえトラウマが思い起こされたり、当時人の考えを受け入れる余裕がなく必死で辛い思いをたくさんしたりと集団治療があまりできなかった。 そんな時に主治医に相談してみた。 認知行動療法の集団プログラムに出れないと。 そしたら一言。 「診察でやればいい。」 一からやり方を説明してくれた。

        • ヘルプマークの存在とつけるきっかけ

          私は今、一人暮らしをしているが、外に出る時は常にヘルプマークをしている。それは電車の席を譲ってほしいからではない。具合が悪い時はそういう場合もあるが、基本的には自分の日常生活を送る上で自分を守るため。お守りみたいなものである。生きていくために必要と判断したからだ。 それならつけなければ?そう言われてしまうかもしれない。でもこれまで、目に見えない病気と闘い、見えないがゆえに体験してきた恐怖や悔しさ、いろんな感情がありこのヘルプマークをつける決断をした。 1番のきっかけがある

        病気を伏せながら駆け抜けたカフェ1年間

          地獄の曝露反応妨害法

          強迫性障害の治療と調べると1番先に出てくるのが曝露反応妨害法。 これはつまり、敢えて不安な状況に晒し、ひたすら耐えるという治療。そして何も起きなかった成功体験を積み重ねて治していく。 わかりやすい例で言うと不潔恐怖。 手を洗う回数を減らす。手を洗わない。 汚いものに敢えて触れるなど。 …でも加害強迫の場合は? 外にいる時は人に当たってないか後ろを見ず歩き続ける。電車に思いっきり乗るなどある。 しかし、基本は目に見えないものが多い。 それは「人に傷つくことを言ったのでは

          地獄の曝露反応妨害法

          強迫性障害の薬物療法

          強迫性障害でよく使われる抗うつ薬。それはSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)のフルボキサミンである。 私は50mgから開始し、MAX200mg飲んでいた。最初の副作用は、よくわからないふらつきと眠気。酔っ払いのおじさん並みにぐらぐらした。副作用は人それぞれ違うので一概に言えないが、これは立ってられない。体力が半減した気分だった。効果が出るまで時間がかなることもあり、なかなか苦戦したが、やはり私の治療の1番の核となる薬になったことは間違いない。 徐々に容量を増やして

          強迫性障害の薬物療法

          転院という人生の決断

          転院をしようも思ったのは2022年10月頃。 当時通ってた心療内科の先生の薬の治療方針とデイケアの管理医の治療方針が全く異なり私は混乱の嵐。誰を信じればいいんだ。2人いるなんておかしい。そう思い、違和感を感じ始めた。 どちらか1人に絞りたい。そう思った時にはもうどちらにするか決めていた。それは転院。つまり、デイケアの管理医を主治医に変えることだった。 1番の決め手はデイケアという1つのコミュニティで生活しながら実践的に治療できること、そして私の性格を理解してもらいやすい

          転院という人生の決断

          セカンドオピニオン 主治医との出逢い

          デイケアに通い始めて1ヶ月。 管理診察という形で当時通ってたクリニックとは別でデイケアの管理医がついていた。週1回の診察。たまたま代診をしてくれた先生(のちの主治医)に言われた言葉で私の人生は少し変わった。 「強迫の人に白黒思考(〜すべき)をやめてグレーゾーンを作りなさいと言って作れると思う?」 「無理だよ。だからパーセントで考えるの。白黒の間にはグラデーションがあるんだよ。例えばこの人は見た目はいいけど性格が合わない。グレー75%みたいにね。それがグレーゾーンだよ。」

          セカンドオピニオン 主治医との出逢い

          居場所ってどこにあるの〜デイケアの選択〜

          家で籠り、病院だけ通院する生活をしていた私は、いつ治るのか漠然とした不安と社会と繋がっていないことに不安を感じ、どこかに所属したい欲が出てきた。 症状は全くよくなっておらず、人と話すのでも精一杯にもかかわらずなぜだろう。不思議。 人間というものはどこかに所属したい生き物らしい。どこかに通いたいらしい。つまり居場所がほしい。そこでアイデンティティを確立させる。 私ってこういう人間なんだと。 でもどこ行けばいいの。学生時代は無条件に学校という居場所があった。社会人は会社。

          居場所ってどこにあるの〜デイケアの選択〜

          コーヒーとの出逢い

          今、私はコーヒー屋さんをやっている。 よくいろんな人から聞かれる。 いつからコーヒー好きなんですか? なぜお店を開こうと思ったのですか? …話すとものすごく長い。 ただ1つ言えるのはコーヒーしかなかったから。 入院を諦め、家と通院で治療を選んだ私は外に出たくても1人で外に出られず家で籠る生活をしていた。引きこもりたいわけではなく、出れないのだ。外に出たら人にぶつかって人を倒すかも知れない。スーパーに行ったら物を盗むかもしれない。銀行行ったら人の口座が見えてしまうかもしれな

          コーヒーとの出逢い

          新卒入社を諦め勧められたのは精神病棟入院

          2022年3月30日 実家の近くの海辺で母と2人。 就活で内定が決まっている新卒の会社に入社できるかずっと考えていた。 できるはずもない状態にも関わらず悩み続けてた。今考えると意味がわからない。でも当時の私は何がなんでもレールから外れず生きたかったのだと思う。 そんな時、母がふと言った。 「地元のコンビニでバイトでもしたら?」 それもありじゃない?と。 私は即答で、「できない。」 ここで決まった。仕事はできないと。 母にお願いして内定を辞退。コロナ禍、必死に就職活

          新卒入社を諦め勧められたのは精神病棟入院

          病院を見つけるまでの葛藤

          加害強迫と知り、病院を探そうと思った私。 最初は千葉の実家の近く、昔大学受験の時に通っていた神経内科に行った。そこで言われたとてつもない言葉。今でも忘れられない。 「あなたは神奈川に戻る気はあるのか? 病気を少しでも軽くするなんて根性で解決する問題でもなんでもない。軽くする言葉なんてないに無理に決まってる。ここの病院に通いなさい。」 この突き放されたような言葉だった。 私はすぐにこの病院に通院することを辞めたが、当時前が見えなかった私には、病院からも突き放された、自分

          病院を見つけるまでの葛藤

          加害強迫と気づいたきっかけ

          今でも忘れられない出来事がある。 それは実家のリビングでドライヤーしながら泣き崩れる私。死ぬしかない、そう思ってしまった人生で2度目に最悪のできごとだった。1番は何かって…それはまた今度。 おかしいと気づいたきっかけは友人のハンカチ。 借りていたハンカチを返し忘れていた。しかも洗濯機で洗ったらなぜか一部破れてしまった。きっとその子はハンカチを貸したことすら忘れてるレベル。でも私は急にこのことが気になって仕方なくなった。その子は就職したら遠くに行ってしまう子。一生会わなかった

          加害強迫と気づいたきっかけ

          発症理由③ 感情と行動が伴わない〜アルバイトでのストレス〜

          前回、お話した私の病気。 強迫性障害となんの関係があるんだ? 主に加害強迫に繋がってくる。 私は、コロナ禍の就職活動で、本来行きたかったエンタテインメント業界に進むのをやめ、もう1つ興味のあった美容の道に進むことにした。 私が新卒で決まっていたお仕事は美容系事務。 言葉遣い、お客様への対応が命の世界。 学生のうちに学んでおこうと大学4年で某ショッピングモールのインフォメーションカウンターのご案内係のアルバイトをした。 これが病気発症の引き金。 一見、綺麗な制服を着て

          発症理由③ 感情と行動が伴わない〜アルバイトでのストレス〜

          発症理由② 強迫性障害になるきっかけの病気

          第1章で強迫性障害になったきっかけは主に3つと書いた。今回はその一つ、学生時代に見つかった病気について。 これを書くにはかなりの勇気がいる。それでも書くのには理由がある。それは同じような境遇の方に同じような思いをしてほしくないから。ただそれに尽きる。これをどのくらいの人が見てくれるかはわからないが、当時の私がこれを見ていればよかったなと思う程度には書きたい。 私が患った病気。 それは婦人科系の病気である。 PCOS(多嚢胞性卵巣症候群) 高プロラクチン血症である。 ある

          発症理由② 強迫性障害になるきっかけの病気

          強迫性障害と共感覚

          小学生の時の晩御飯での会話。 「1は小さいおじさんで、2は可愛い少女だよね。3はタオルを首に巻いたつなぎ着てるおじさんで…」 姉とそんな会話をずっとしていた。 母はぽかんと聞く。 そう、私たち姉妹には共感覚があったのである。 数字に性別があり、色があり、性格がある。 つまり人に見えるのだ。 この時は知らなかったが、のちに姉が心理学を学んでこれが共感覚(シナスタジア)だと知る。 私は、小学生の頃から算数が大嫌いだった。 足し算でも7+5=12は仲いいけど、3+4=7は

          強迫性障害と共感覚