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人はなぜお祭りに心踊るのか

2024年4月15日。
弟ハッピーバースデイ!!!
誕生日も一種のお祭り
みんなで歌って、おいしいケーキ食べて、
生まれたことに感謝する
その人にとってその日は特別だし、
その周りの人にとってもその日はなんだか特別

おまつりに人がなぜあんなに集まるのか
要素分解してみる

お祭りと思って、まず思い浮かぶのは、
屋台、花火、神輿、人いっぱい
といったところか
わっしょい、とか、おーーーーと重なる声とか、
ぱちぱち拍手、音楽にのって体が揺れている人
が容易に想像できる

大人になってもお祭りと聞くと、
人がいっぱいだから、またあの息のしづらいところにいくのかって
うんざりする人も多いだろうけど、
いいねお祭り、なんだか楽しそうだねお祭り
今日は祭りだ!!と聞くと
心が少し弾むのはなぜだろう

こどもの時、
いつもは夕方5時以降、外に出てはいけませんとか言われるのに、
お祭りの日だけは、夜から外に繰り出して、
お金使って、屋台でいつもは食べられない、
いかとかとうもろこしとかバナナにチョコかかってるやつ食べて、
何気ないのにそれだけでルンルンしてたっけ

おまけに夏のセミがみんみん鳴いてる夜に、
虫スプレーされながら、甚平に着替えて、
おっきな花火みて
わーーーーーって騒ぐの
すっごく楽しかった思い出がある
みて!!♡の形!ってわざわざ同じものみてるお母さんに報告したり、
お互い無言で、口開けて、わぁだけ漏れ出てるときとか
最高に頭使ってなくて、心使って時間を過ごしてて、ほんと幸せだったよな

花火大会に
人があんなにも集まるのってなんでだろう
やっぱ夏だけ、あの時期だけ、年に1回だけって決まってるからだろうか
なかなかいつもは見られないものだからだろうか

単純にきれいだからか
美しくて、感動するのが分かってるからだろうか

人が集まり、
浴衣とかひとりひとりの声とか拍手とかで
みんなで一つの空間をつくる
「おまつり」といったらこれでしょみたいな
食べ物を一緒に食べて
同じものを見て、感動を共有して、
その時にしか見れない、その時にしか感じれない何かを
五感で味わえるから

だから人がワクワクするんだろうか

いつもの変わり映えのしない日常を
ちょっと彩ることができるから

だから人はお祭りにいくんだろうか

幻想は幻想のままで
非日常は非日常のままでないと
人はそんなエンタメにワクワクしなくなるのかもしれない

日常は変わり映えなくていいのか?

ん?

その日常で
自分が生きている意味が見いだせず
自分をただ浪費しているだけだったら、
自分を好きになれないかも、自分を大切にできないかも
不健康になるかも?
健康じゃないと、いつ来るかもしれない楽しいワクワクをキャッチできない

ということは
心と体の健康のために、
日常もちゃんと自分のためにあるべき
どんどん削られていくものじゃなくて
このために生きている、
これのために時間を使い、お金を払い、身体を動かし、
日々生活しているのだと

自分が分からないまま社会に出ていき、
貢献しろだの、働けだの、会社のために業績挙げろだの
言われて、そのまま従っていては、
できなかったときに自分を責める
他人任せにしてしまう
人と比べて自己嫌悪に陥る

色々悪い方向に向かってしまう

その前に
自分はこのために生きているという
確かな支えがあったら
たとえうまくいかないことがあっても
立ち直りがはやいのでは?

ということは
このための、この、を早いこと知る必要がある

そうだ、
そのために、
それを見つける旅を若いうちにする必要がある

うん
疲れたから終わる



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