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年末

路面凍結のスリップにおびえながらも山のふもとへたどり着く。もう日が昇っているせいか道路は普段と変わりないようだった。駐車場の手前にあるセブンイレブンへ寄る。この時点で手先の感覚がないほど身体は冷え切っており顎ひもを外すのにも手間取る。水、ポカリ、プロテインバー、チョコレート、サンドウィッチ、いま身体を暖めるためのコーンスープを買う。低山とはいえこのあたりの気温は都心よりも低く肌を刺すような空気のためにじっとしていられない。コーンスープの粒に見切りをつけて駐車塲へ向かう。ジャリ駐の奥にある鉄柵10番がバイク置き場でその眼前は切り立つ山のようだ。足元の雑草に一面霜がおりている。やはりこの時期の二輪車は無謀なのか。着てきた防寒具をリュックに収めて案内所で500円を支払う。ここは交通安全祈願の神社の境内でもあるらしい。山のふもと、といってもここから登り始めるのではなくここから電車で奥の登山口へ行く。バイクでも行けるが山道に入るためまぁ間違いなく凍っているだろうからやめた。坂道で滑ってしまったらどうにもならない。ホームで電車を待つあいだは白い吐息を大きくして遊んだ。

登山口からしばらくは舗装されているがきつい傾斜が続く。山肌に建つ民家のあいだを通っていくと各家庭が無人販売所を設置している。柚子、銀杏、原木なめこ、自家製梅干し。原木なめこ、これが舞茸の一房ほどにデカくてみそ汁なんぞにしてみたらそれはもう美味いだろう。きつい登り坂ゆえ早々に汗が噴き出る。キーホルダーの温度計は1℃を示しているがもうTシャツでよい。しばらくして舗装路が終わるとごつごつした木の根や石の多い地帯へ入る。ここまで来ると周囲を木々に覆われているせいか日当たりが悪い。霜柱があちこちに見える。大きな霜柱を手に取りキレイだと写真を撮ってみたが実のところ土だらけで汚らしく別段美しいものでもないから捨てた。

このルートは最初の2時間がピーク。それまですれ違う人はほとんどなく、さぶいあついきついなどと呟きながら孤独に歩く。山頂を越えると他ルートからも登山客が流入してくるため人も多くなる。それまでの孤独が好きだ。胸元のポケットにスマホを逆さまに入れて音楽を流す。誰にも会わないし暖かい時期ならば熊避けにもなるだろう。ボブディランをシャッフルする。ディランの『北国の少女』、ジョニーキャッシュとディランがデュエットした曲だ。初めて聴いた時はディランの声が変だしキャッシュとの歌もズレているから嫌いだった。こうした静寂のなかで流れるとかえってルーズで牧歌的な雰囲気がとても煌びやかに聴こえてくる。山頂に着くと足場の状態が悪い。日当たりがあるせいか夜間に地中からでた霜柱が溶けるのだろう。足元を泥だらけにしつつ芝生のほうで昼食をとる。サングラスをかけた中年男性が様々なポーズをとりながら自撮りしている。楽しそうだけどああなりたくないと思った。乃木坂46のイベント限定ポーチからリップクリームを取り出し乾いた唇へこすりつける。太陽がまぶしい。

山頂から隣山までの途中、峠で一休みする。眼下にごみごみした都心部が見える。いつもならその上空に黒いもやが立ちあがっていた。大晦日ともなればそのような暗黒は無くなるようだ。空気がとても透き通っているから雲の切れ間からひかりはまっすぐに差す。緑の豊かなあたりだから皇居かな、スポットライトに照らされているようだった。私の斜向かいに若い女がおり峠名の刻まれた看板と自撮りをしている。そこへ高齢男性が現れ女に声をかける。撮りますよ、と言ったのだろうか。お互いを撮影し合うとまた分かれていくのだけれど、男性が一眼レフを置き忘れていたので私が小走りで送り届けた。お礼に、とレモンの飴をいただいたが溶けて再度固まったであろういびつな形をしていた。気持ちが悪いので自宅で捨てた。登山ルートからわずかに逸れると山々と谷を一望できる場所へ着く。あまり人が立ち入らないので正午を過ぎても道が凍っている。以前ここへ来たときはまだ陽を受けた赤と橙が映え草のいきれが残っていた。冬はすべて色褪せ白々しいすすきが揺れる。スマホでパノラマ写真を撮る。いま眼前にある景色と同じように写せないからもどかしい。

下山後、近くのカフェに寄る。ドリップコーヒーと苺のショートケーキを注文した。少し前に買った野坂昭如『エロ事師たち』を読む。タイトルと表紙は官能小説のようなのでさすがにカバーを付けた。関西弁でまくしたてるように書かれている。まだビデオが登場する前時代の話か。関西弁を使い活弁士のような語り口で書いている。内容的にも今後絶対に出てこないタイプの文章だ。奇しくも物語の背景は年末年始であった。

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