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ノキオンヘブン

朝目覚めて、起き上がるのに力が入らずベッド柵を掴んでやっと身体を持ちあげる。ベッドから左足をおろすと末梢神経のしびれや感覚鈍麻により足元がふらふらする。立ちあがろうとしたらどうも血圧が下がったようで気を失いそうになる。どうしようもないのでまた身体をベッドへ寝かせてやり、数分後にここまでの動作を再び繰り返した。やはり立ち上がれないから仕方なしに床を這いずってトイレを目指す。腹の異物が邪魔だし気づかわなければならないからゆっくりと丁寧に這った。つるつるとした冷たい陶器につかまり便座へ座り、陰茎をおろしてやるが切迫した尿意に反して小便は出てこない。前立腺肥大による慢性的な尿閉。薬を飲み続けて治るものでもなくそろそろ管を通した排尿が必要となるだろう。下腹部を押しこんだり体勢を変えてなお残尿感を残しつつもなんとか終える。次は腹の異物の元をかたしてやる。固いゴムのようなものが腹に直接取り付いていてそこに透明なビニール袋を装着している。その中は目覚めるといつもパンパンに膨らんでいて便が溜まっている。ある程度時間が経つとこうなってしまうから目覚めは多くの場合こうなる。腹の袋を開けると中のガスが出てきてあたりに臭気が漂う。便を捨てて袋の中の空気をある程度抜いてから封を閉じる。腹の皮膚とゴムが接触している部分が少しただれているから痒くて痛い。そろそろ交換しなければならない。その場で立ち上がってみると少しぼおっとするが意識は保てそうなのでふらふらしつつ壁をつたって歩き出しリビングへ戻る。いつもふらふらと歩きづらいのは低血圧や足のしびれだけではなく去年の8月に右膝から下を切断したからだ。

職務上いつも革靴を履いていたのだけれど、いつのまにか足の裏を怪我していたようで靴下に染みが確認できるようになった。痛みもなく気にしていなかったのだけれど、そうして足の裏を見てみるとぐじゅぐじゅとした怪我になっていた。ぎょっとして一週間後に近くのクリニックへ行くと、医師は深刻そうに大きな病院を紹介するから早く行けと言った。大病院へ行くと即入院たちまち切断ということになった。最近少し熱っぽかったのだがどうやら骨髄炎を起こしているようで、もう切断しかないとのことだった。親指の付け根というのか、少し大きめの丸っこい骨が出っぱっているところ、4センチくらいの傷だった。それなのに膝から下を切り落とす必要があると言われてひどく狼狽した。そんなわけない、そこまでする必要はないだろう、仕事ができなくなって困る、何とかしてほしい、と唾を飛ばしながら訴えた。傷は見た目以上に深くまで達しており、さいばしのような長い金属の棒を突っこまれても痛みを感じなかった。肉は腐っているようで嫌な臭いがした。糖尿病性末梢神経障害、糖尿病であることもここで初めて知ることになる。足首のあたりまでおそらく菌がまわっている、そこを切るのではなく更に上を予防的に切ったほうがいいとのことだった。答えをしぶって翌日をむかえると朝から高熱をだした。朦朧とする意識の中、切断を迫る医師にお願いしますと言ったことをおぼえている。

たいして動くことのない身体でも腹は減るもので買い置いた菓子パンを思った。本当はこんなもの一番避けるべきなんだ、と袋の成分表を一瞥しインスリンのダイヤル8のところまでカチカチカチとまわした。近くのコンビニにあって安価で腹を満たせるのはこうした炭水化物ばかりになってしまう。義足をつけてあまり遠出する気にはなれないし、支給額は最低限だから毎月切り詰めないとならない。すべてが必要最低限。そうしていると朝とも夜ともつかない生活になり昼夜逆転する。寝つけない夜が続くと安酒をあおって無理やり眠るようになった。少しずつ酒量が増え続けると今度は夜中に目を覚ますようになった。これはよくないと思いかかりつけで入眠剤を処方してもらったがそれも悪手であった。酒も眠剤も手放せなくなりもはや眠りをコントロールできなくなった。部屋を暗くすることやまぶたを閉じることが無駄に思え、テレビをつけっぱなしにして煌々とした部屋のなかで気絶するような眠りかたをするようになった。

ただでさえリスクを抱えているのに。咳をするようになってから日も経たず肺に腫瘍が見つかった。ステージIV、末期癌らしい。悲嘆に暮れた。おかしいところは咳くらいだから癌というインパクトを受け入れられない。放射線治療や抗がん剤の説明を受けたが、何というか、もう気力が湧かない。湧かないというよりもう私の気力は空っぽで残っていない。寛解に至るであろう可能性の低さも私を投げやりにさせた。実施するなら早い決断を、と迫られたわけだがそうこうしているうちに胸が痛むようになってきた。どうやら胃へ転移し胃の痛みからそう感じるのだと。オキノームという痛み止めを処方された。頭がぼぉっとして眠気がでるようだが痛むたびに飲んでいいものらしい。

ふくらんでいく腫瘍の圧迫感は日を増すごとに強くなる。痛みで寝ていられなくなるのも時間の問題だった。もうずぅっとぼぉっとしている。短い間隔で痛むようになり、そのたびにオキノームを飲む。痛みが恐ろしくて横になれず座ったまま眠るようになった。眠気で不意に身体が倒れるとその衝撃で胃だけではなく脆弱なすべての私が音をたてて軋み痛んだ。その頃にはもう自分の世話を他人へ任せるようになった。歩く必要がなくなった義足はプリペイド式テレビ台のうしろにあるはずだった。腹の袋の世話もできなくなった。他人へ袋の中の臭いをかがせてしまう恥辱もためらいも麻痺した。小便にかんしてはとうに管を通してバッグへたまるようになっている。まだセックスに取り憑かれていた頃では考えられないほどこの陰茎は何の用も成さなくなった。あたりまえにできたことほどできなくなったときにはもう取り返しがつかない。死ぬとき以外に二度とまともな眠りは来ないと思った。麻薬で曖昧になっていく意識のなか、身体の中心から少し下方にあるビニール袋へ私とこの生き地獄もろとも吸い込まれ流されてゆくように感じながらまぁ交換すればいいか、とまぶたを閉じた。

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