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人がキレる瞬間が好きだ

何か始めても続かない人のことを三日坊主とよく言う 

三日、、朝昼晩が三回、七十二時間、東京からひたすらに歩けば名古屋まで行くことができてしまう

かくいう私はと言えば、そもそも始めるところまででさえ行きつかない。頭で思いついても行動に移せない。何が足りないのだろう。十歳そこらの修行僧にあって、私にないもの。

新しいことを始めるには、莫大なエネルギーと少しの嫌な事で萎えたりしない希望が必要だと考えた。う~ん、どっちも足りていない。結局傷つく可能性があるならやりたくないし、始めてすぐに日の目を浴びないと「ほらね、やっぱり才能ないじゃーん」と逃げてしまう。友人やずっと応援しているアイドルの努力が、私の知らないところで認められて、気づいたときにはもう知らない誰かになってしまう。いや、もうすでにそうなのかもしれない。

でも、いつか ”知らない誰か” に気づいてもらえるように今日からnoteを書いてみようと思う。私が一番苦手な、続ける努力をしてみようと思う。


話は変わって、タイトルの話をしたい。
大切な人(ここで言う大切な人は、恋人に限定しない)の一番好きな瞬間は何だろうか。朝一番に見る愛おしい寝顔を見たとき?ふとした冗談で笑いあう時間?帰宅して一緒に食卓を囲む時間?

私は大切な人がキレる瞬間が何より好きだ

最初に断りを入れておきたいのだが、これは大切だったり興味がある人限定の話だ。知らない人がキレていても不快なだけである。
加えて、自身は世界一の平和主義者で、人一倍傷つきやすいので、人と関わるとき小学一年生で習うようなチクチク言葉は使わないし自分が言われて嫌なことは言わないようにしている。知らない人が知らない人にキレている場面に遭遇したら二週間は引きずるし、自分が誰かに怒られたりなんてしたらずっと忘れられない。ヤフコメなんて見た日にはこの世の終わりくらい落ち込む。

これらを踏まえて、大切な人がキレる瞬間が好きだと言っているのだ。
意味が分からないだろう。

私の大切な人は、ただムカつくからとか、ただ気に入らないからという理由でキレたりしない。人がキレるのには理由がある。
信念や守るべき人を傷つけられたとき人はキレる。

中学生のとき、何を言われても笑っていた彼女が、恋人の悪口を言われたとき号泣して教室で盛大なゲロをぶちまけた、あの瞬間から私は彼女の虜だ。高校生のとき、やる気のなさそうな新任英語教師が、授業中あくびを一回した生徒に殴り掛からんばかりの勢いでキレていた。その後、授業時間いっぱい使って自分がどれだけ英語に救われたかを語っていた。当時の生徒には心底同情するが、新任教師の信念には胸を打たれた。母は、私のことを大切にできなかった祖父と何十回も話し合いを重ねた末、縁を切った。

怒るのにはたくさんのエネルギーを使う。無視すれば必要なエネルギーは使わなくて済む。なのに、声を上げてわかってもらおうとする。私は、人のそういう人間らしいところが大好きなのだ。

百回の好きより、一回のキレ。

その人の本質に一番早く近づけるのは、キレだ。仲良くなりたい人がいたら、人生で一番キレたことを聞いてみたらいい。大切にしていることは何かが分かればもっと上手くいく。きっと。




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