過去に縋るということ
人は、過去に囚われてばかりの愚かな生き物だと思う。
過ぎ去った過去やその過去に犯した過ちは、どれだけ想ったって、どれだけ待ったって、もうどうしようもないことなのに。
自分が囚われている「過去」を振り翳すことは、時として他人を傷つけることにさえなる。
そんな過去に囚われるなんて、甚だ愚かしい。
年の瀬だから、なにかを振り返りたくなったのだろうか。
なんとなく読みたくなった、一年と少し前の日々のことが記されている日記。ふと目についたから開いてみた、高校の卒業アルバム。
過ぎ去ったことだと蓋をした想い出たちも、蓋を開けてみれば、それなりに鮮明に蘇ってくるものだ。あの時の匂い、温度。あの時の私が見ていた世界、あの人。楽しい想い出に、苦しい想い出。嬉しかったこと、悲しかったこと、わたしのこころの機微。
ああ、そうか。わたしも結局、過去に縋っている人間なのか。
過去の経験が、いまのわたしを形作る。
蓋をして、なかったことにしてしまったあの日々も、幻みたいに遠のいてしまった過去の事象も、そのすべてが「わたし」だ。
今日のわたしを作っている、わたしがこの世に生まれ落ちてから、今までの過去。
過ぎ去った過去に囚われて苦しむのは愚かだと思うけれど、過去をやさしく抱きしめて生きていくのは、案外悪くないのかもしれないね。
過去をかかえて生きる、明日のわたしは、どんな一日を過ごすのだろう。
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