正解
小説、数学の方程式、宇宙、音楽、美術。
過去のわたしが好きだったもの、今のわたしが好きなもの。
好きなものたちに向き合うことって、歳をとるにつれて、辛さも増してくる。
「正解」を求めてしまうからだ。
正解を求めて、好きなことが本当に好きかもわからなくなってくる。
入試では、模範解答どおりに小説の読解を進めなければならない。数学では、解を求めるプロセスは重要視されず、ただしい解を求めることだけが大切だ。宇宙の神秘に思いを馳せることは、テストという紙切れ一枚の上では要求されることはなくて、宇宙や惑星の構造を丸暗記すれば社会から認められる。
音楽や美術だって、同じことが言えるかもしれない。交響曲の読解、美術に描かれたテーマの読解。
正しくあることで評価される世界に生まれて、大人になるまで命を繋げた代償かもしれない。
だったら、わたしは大人になることを拒否したい、と思う。
わたしが小説を好きなのは、わたしが数学の方程式を好きなのは、わたしが宇宙を好きなのは、わたしが音楽を好きなのは、わたしが美術を好きなのは、それらが美しいから。わたしの魂をどこか遠くの異世界に連れて行ってくれる気がするから。ただそれだけだ。
好きなことに、理由やただしさは必要ない。
好きなことに対してただしい捉え方を持つことは、必ずしも必要であるとは限らない。
そもそも、ただしいってなんだ?
だれかの考えた「ただしい」に合わせることがただしいということ?
様々なことに疑問を持つのも子どもの特性だったか。大人になるということは、思考を止めることなのか?
わたしはわたしでいるために、ただ純粋に好きなものが好きだった子どものままでいたい。
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