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感謝を感じる旅


飛行機で旅をするなんて何年振りだろう。
最後に乗ったのはコロナの襲来前、約3年前の冬に私の第二の故郷、大阪に帰省した時だった。

旅は私の人生において最も欠かせない重要なアイテムのひとつ。

というよりはむしろ、私は常に人生そのものを旅している感覚さえある。

そう、私は今も壮大な旅の途中にいる。

3年ぶりに来た空港は人でごった返しているようにも見えたけど、コロナ前がどうだったのか、どの状態が賑わってるというのか、その以前の基準値みたいなものをもう忘れてしまった。

自動化、機械化の波は着実に進んでいて、チケットの購入はもちろん、チェックインは移動中に済ませ、荷物の預け入れもセルフ、一切、人の手を借りることなく、目的地まで辿り着くことが出来そうだ。これじゃあ、空港で働くことに憧れを抱いても、どうやらそこはかなり狭き門になるだろう。



だから尚更、搭乗時に迎えてくれるCAさんの笑顔にはほっとする。ならば客室乗務員はこれからも、憧れの職業であり続けるに違いない。

飛行機は生き物。

これは自分がCA時代に感じていたこと。
私には飛行機は意志を持っているように見える。どんなところがと聞かれても答えられないのだけれども、その周りで働いている人達の飛行機の取り扱い方を見ていると、まるで生き物を取り扱っているように見えてくるので、本当にそうなんだと思う。

キャビンクルー、フライトアテンダント、呼び名は色々あるけれど、客室乗務員という仕事は、第一線で顧客と接するので、昔から花形の職業と捉えられていて、着目を浴びることが多いけれど、実際ひとつのフライトの運行はその他大勢の人達の働きによって成り立っている。

客席の窓から見える空港での人の動きを見ているとたくさんのドラマが見えてくるし、滑走路に向かう旅客機に向けて手を振るグランドスタッフの姿を目にすると無条件に泣けてくる。

今回も例に漏れず。
非常口前で向かい合わせに座った、CAさんの視線が気になるが、溢れる涙を止めることができない。

そこから私の思考はどんどん膨らんで、目の前で今見ていることなのか、かつて私がCA時代に経験したことなのかもはや区別がつかなくなる。

そして、ふと、今朝、母に新幹線の駅まで送ってもらった時に感じたことを思い出した。

こんな風にして、親に見送ってもらうのは一体何度目だろうと思った。電車の駅まではもちろん、仙台空港までも、何十回と送ってもらった。そして、必ずといっていいほどくれる餞別をいいのにと言いながらも黙って受け取って来たけれど、これは、きっとただのお小遣いじゃないんだと思う。言わばお守りのようなもの。道中安全に、そして何か困った時の助けになるように、そんな想いが溢れ出てくる。

そんなこんなで、今回も案の定、涙涙の離陸になってしまった。

そう、きっとこの旅の目的は、溢れるほどの【感謝】を感じること。それなんだと思う。

戻って来た。旅する感覚が戻って来た。



上空から見下ろす世界。

マッチ箱のようなお家の数々。
その中では泣いたり笑ったり、日々ドラマが巻き起こっている。

まるで今にもパズルのピースのようにあっちとこっちを入れ替えたり、そっちとこっちを繋げてみたり出来てしまいそうな感覚に陥る。

そう、その目線に立ったとき、私は私の世界の創造主になっている。

そして、無敵になっている。

それを初めて知ったのはおそらく本当に無敵だった20代の頃。

それから、私は高いところが好きだし、その感覚を味わうのが人間にとって、如何に重要であるかを知っている。だから敢えて時々自分を高いところに連れて行くことにしている。

そして、だから下界にいる時は、ついつい空を見上げてしまうのかもしれないなぁ。



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