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運は作るもの~偶然ではない

この間

よく足を運んでいたコンビニで

働いていた方が

新たな人に代わっていたの

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私はコンビニに足を運ぶ時って

公共料金を支払う時が多くって

その際に日付の入った

ハンコを押すのだけれど

その方は

ハンコを押してすぐに

手渡さずに

近くにある紙を

優しくプレスして

その紙にインクを映し

手渡してくれたの


その何気ない心使いに

凄さを改めて感じていたの


すぐに手渡してしまうと

もしも

お客さんがお財布などに

領収書を入れた時に

色移りしてしまう事まで

想像を広げられる

その方の能力の高さを

感じていたの


その方は他にも

様々な気遣いがある方で

自然に心地よい対応に

いつもそこに足を運んでいたの


あとで風のうわさで

その方は40代の方で

特に理由はないのだけれど

今まで働いで所をやめて

別の仕事をしようと思い

少し好きな事をした後に

新たな仕事を探すまでの間

コンビニで働かれていたそうなの


その方はその後

たまたま話したお客さんが

仕事に誘ってくれて

新たな会社で

働かれているそうなの


その方は自分の事を

運がよく

今まで恵まれてきたそうで

運に身を任せる事に

怖れなどはない方のようだったの


私が感じたのは

「運も実力のうち」という

フレースが重なるくらい

その方は無意識に

運を呼び込む

所作や言葉・表現などが備わっていて

普遍的な運を

ある部分で

コントロール

できているんじゃないかなって

感じていたの


仕事だけではなくあらゆる事で

言われた事も出来ない人

言われた事だけをする人

言われた以上の事が

出来る人がいたら

言われた以上の事が出来る人に

人は高い能力と感謝を感じ

更なる場所を

提供したくなるものだと思うの


私たちは

自分で意識が出来ない部分が多く

無意識に溢れる言葉や所作が

周りの印象になっていると思うの

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私自身も

私が思っている自分と

周りの評価は重ならない部分も多いの


たとえば

パートナーの実家へ行くと

私は竹を割ったような性格で

ハッキリものを言うと

表現されるのだけれど


私の中では

パートナーの実家で

自分の意識の上では

最大限に気を使い

意見は最小限に

控えているつもりでいたけれど

自分の無意識の部分で

自己表現をしているんだろうなって

感じていたの


他にもよく出会う

すべての人に

昔から自信に充ち溢れていると

表現される事があるのだけれど

私の意識はま逆なのに・・・


そのような無意識の部分が

自分を好意的に

思ってもらえない部分だったり

逆に

面白く思ってもらえる

部分なんだろうなって

思っていたの


運とは普遍的で

何となく天から

突然降ってくるような

印象があるけれど

脳科学や

行動心理学などの分野では

少しずつ普遍的な運も

一部コントロールできる方法などが

語られていて

運は偶然でもなければ

降ってくるものでもなく

ある程度は自分が

招き寄せている部分もあるようなの


自分の事は

なかなかわからないけれど

自分以外の人の歩みの中に

学びとれるものが

たくさんあるんじゃないかなって

思うの

名称未設定のデザイン04

この間

京都大学大学院教授の藤井聡氏の

面白い研究発表があって

その中で

心に響いてきたのは


利己的な人ほど

運をつかむチャンスを失い

ますます損をする

法則が

実在するという事のようなの


自分の損得ばかりを考えて

行動する利己主義者は

正直者を出し抜いて

一時的には

得をしますが

長い目で見れば

必ず損をする

運命にあると・・・


それは

人の心理に繋がっていて

自分の損得ばかりに

焦点が合っている

利己主義者は

「お互いさま」で成り立っている

人間社会では

最終的には

「嫌なヤツ」として

人々から思われてしまい

そのため

よいパートナーに恵まれて

力が倍加したり

窮地を支援者の助けで

脱したりという

幸運にも恵まれづらく

「互恵」が「不能」になるので

結局は

正直者より損をするようなのです


利己主義者は

(1.互恵不能原理によって)

周囲から排除されるのを

防ぐため

表面を取り繕う

行動に出ますが

「この人の力を利用できれば得だ」

計算した相手の前では

愛想よく振る舞い

自分はいい人だと

アピールします

逆に

自分にとって

利益がないと

判断した相手には

冷たい態度をとります

損得計算に基づく

姑息な「態度」の使い分け

見せかけの利他性は

いくら表面をごまかしても

利己主義者であることは

すぐバレてしまいます


人間には

利己主義者を見分ける

能力がきわめて

強力に備わっていて

その部分でも

人からの協力を

得られないようなのです


相手の利益を考え

裏切ることもない人と

一緒にいると

不安もなく安心で

それだけで心身には

損もなく得なのだそうなの


繋がりの中で

与えた時には

受け取った相手は

「ありがとう」と感謝して

無意識に

その1.5倍を返そうという

思いが生まれるそうなの


その様な自然な流れに

気がつけば

運の良い人と

そうではない人が生まれて

利己主義者は

やがて

自分は

うまく立ち回っているつもりなのに

運がない

不幸だと感じるように

なるそうなの


運というものの研究は

様々な方向から続けられていて

私も心惹かれている

分野なの

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私の小さな世界では

わかりやすく善悪の法則が

きっちりと働いているので

自分の価値観が長い間

安定的に保たれてきたけれど

大きく世界を見渡すと

急に

自分が信じてきた価値観の

信ぴょう性に疑問が生まれて

また新たに

様々な方向から運について

学んでいるの


善い行いが必ずしも

良いものを引き寄せrるとは限らないと

表現すると

なんだか

悲しい気持ちになってしまうけれど


そもそも

善い行いっていうもの自体

すべての人にとって

良いものかどうかという事から

見つめると

その方それぞれの立ち位置や

刷り込まれた教えなどによって

善いものも違うと思うの


自分がそう信じているだけで

実際にはわからないものだと思うの


ジャッジする人が

全か悪かを決めているだけで・・・


ある方向から見つめてみると

無意識に

善い行いよりも

良く無い行いの方が

多く重ねているい事も

あるんじゃないかなって

思うの


人間社会で生きる中では

自分がそのグループの中で

ターゲットにならずに済むために

防衛として

誰かと望まない会話をし合わせたり・・・

悪気はないけれど

自分が知りもしない人の事を

貶める事に力を貸していたり・・・


上手な生き方ができる人に多い

流れではあると思うの


そのような流れは

最初は上手に

流れに乗っているように映るけれど

最終的には

多くの時間を費やしてきたのに

孤独感や裏切られた感など

自分が無意識に生み出してきたものを

受け取る時間が待っているんじゃ

ないかなって

感じているの


ひとつ前の時代では

繋がる人が多いことが

自慢だったり

時に

自分を保証してくれるもののように

思われていたけれど

これから始まるステージでは

自分を纏うあらゆるものが取り払われて

「個」として

互い繋がりあう時代なので

自分の思い込みや決めつけという柵で

新たな幸せゾーンに

出て行けなくなることがないように

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たとえ

相手の望むものではなかったとしても

自分にとって

正しい愛の選択ができる

勇気を育む事が

大切なんじゃないかなって

感じていたの



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