見出し画像

自分のこと徒然その10―人生は思いがけない形に展開していくことがありますね―

 ピリカと出会い、親しくなっていくプロセスで、私はもう一度「音楽って自分にとってなんだろう」ということと向き合うようになり、同時に、それを通して親との関係を見つめ直すこととなっていった。

 最初に、シンプルに気づいたのは「私、ほんまはピアノ好きやったんや」ということ。ピリカの弾くピアノの音色、アレンジが、私にはハマった。彼女の弾くピアノは、私の心を揺さぶった。「あんなふうに弾けたらええなあ」と、思っている自分に気づいた。

 彼女も元々はクラシックピアノから音楽の道に進んだ人だった。でも、そのスキルと感性を土台に、ポップス、そしてジャズやゴスペルのテイストもにおわせるオシャレなアレンジで音を奏でていた。

 私はと言えば、教会で、讃美歌や、時には現代な曲想のゴスペルソングを歌うのに、必要に迫られて伴奏することはたまにあったが、基本的に譜面通りに弾くクラシックの弾き方しかできない。そんな私にとって「コードを見て自由にアレンジして演奏する」というのは憧れだった。

 私は、月に2度、隔週で彼女の自宅にピアノを習いに通うようになった。
片道1時間半ほどかかる距離をだ。
 
 「習い事に通う」こと自体、20年以上ぶりだった上に、それが他でもない「ピアノ」だったのだから、人生って面白いものだと思う。いやいやでもなく、仕方なく、でもなく、喜び勇んで楽しみにして、そして毎回びっしり練習をして、私はピリカのレッスンに通った。

 子どものころのピアノレッスンのことを書いたのはこちら。 
    ↓

https://note.com/sallygrace/n/n670d89fa2ce6


 楽しくて、うれしくて、わくわくしながら習うけれど、始めてみて気づいたことも多かった。習得すべきことが多すぎて、ちょっとやそっと練習しても、思うように指が動かず、簡単には弾けるようにはならない。家事、子育てがあり、練習にかけられる時間もエネルギーも限られている。

 そんな現実のなかで、私の内側には何とも言えない「苦味」のようなものが湧いて来るのだった。

 「私がやりたかったんって、こういうのやったんやん・・・。人生の時間をいっぱい無駄にしてしもた。もう取返しつかへんやん・・。」
 「もっと早く気づいて取り組んでたら、自分も今ごろはもっと思うように音を奏でてたかもしれん。ひょっとしたらミュージシャンにかて、なれてたかもしれん・・・。」

 そしてその無念さ、くやしさ、いたたまれない思いは、親への怒り、恨みとなって表れるようになった。どうしようもない、そのどろどろした思いを当初はどう処理していいかまったくわからなくて、本当に精神が疲弊してしまう状態だった。

 そんな、自分では「大人げない」と恥ずかしく思っている葛藤も、ピリカとは分かち合い、話し合った。彼女のほうも、他の人には言えないような自分の中のどろどろした思いも分かち合ってくれた。

 そんななかで、私自身がだんだん気づいていったのは、音楽との関わりにおいても、自分が親から強いプレッシャーを受け、コントロールを感じて育った、ということだった。

 「音楽との関わりにおいても」と書いたが、私はそれまでにすでに、自分が、両親それぞれの、人間的な弱さやバランスの悪さによって、少なからぬ傷を受けて育ったことに気づかされていた。そして、その事実と向き合うことによって、少しずつ「生きづらさ」から解放されている途上だったからだ。

 自分がどこか自由でない感覚ー人の顔色を窺ったり、本当に望むことが何なのか、自分でわからなかったりーを持っていて、それが人間関係にも良くない影響を与えているみたい、ということに気づき始めていたのだ。

 少し、具体的に例を挙げてみる。
 父は典型的な「ゲージツ家」で、気分屋。その日の機嫌によって、態度や対応が変わる。夜は外でお酒を呑んで遅くに帰って来て、悪酔いした日には母に暴言を吐いて暴れることもある。
 母は、無言のプレッシャーで、私たち子どもが彼女の願うように動くことを要求し、それができないとヒステリーに声を荒げる。そして、こちらが「私は、忙しくて大変なお母さんを思いやれない悪い子ども」と自分を責めるように仕向けることで、従わせようとする。もちろん本人は無意識に。

 親との関係を通して子どものころに受けた傷や歪みが、自分の人生に色濃い影響を与え、生きづらさになっていることに気づき、気づいては向き合い、取り組み、乗り越えて、少し楽になったと思うと、また新しく別な問題に気づかされる。

 そんな繰り返しに、少々辟易としていたところに、この「音楽との関わり」における自分のしんどさが、また加わった。そしてこれは、それまで以上にコアな部分らしいことが、直感的にうっすらわかったので、かなり逃げ出したい思いにもかられた。

 この時期、ピリカという存在があり、自分の苦しみ、混乱、葛藤を受け止めてくれたからこそ、このしんどさに向き合い、通りぬけることができたんだなあ、と今になってもしみじみ思う。


 きょうはここまでにします。こんな、超絶個人的な記録を読んでくださってありがとうございます。

 次は、どうやって親との関係に起因する「混乱」、「生きづらさ」から解放されていったかを中心に書いてみたいと思います。

 応援感謝します。スキ、フォロー、コメント、よろしくお願いしますね!

 今回はトップ画像に、msy.さん https://note.com/msy03 のすてきなイラストをお借りしました。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?