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自分のこと徒然その3-人生の早い時期に音楽にそっと距離を置きました-

 久しぶりの投稿。
 世の中は騒然としてるし、そのくせ私の身の回りは「不要不急」ではない用事が立て込んでいた。主たるものは、娘の結婚式と実家への帰省。2週間以上、なんだかドタバタ動き回っていて、とうとう体調を崩した。幸いコロナではありません、念のため。
   時々行く(医者自体、めったに行かない)クリニックに行ったら、いつになくガラガラだったのですぐ診てもらい、薬をもらえた。喜ぶべきか・・.

  とにかく、少し落ち着いたので続きを書きます。こんな騒然としてる時だからこそ、ちょっと腰を据えて来し方を振り返って、今いるところを確認する作業も悪くないな、と思っている。

  どういう流れでだったかは覚えてないが、音楽教室は、たぶん小学校に上がって辞めたと思う。叔母のピアノレッスンは続いた。今思えば、周りが「音楽過ぎて」おなか一杯だったんだろう、私は練習が大嫌いな生徒だった。それなりにハイソな地域だったので、学校にもピアノを習っているお友達は少なくなかったが、ほとんどの友達は「あ、明日ピアノや。きょう練習しなあかんわ。」とか、「今週2回しか練習せえへんかった。怒られるかなあ。」というノリ。
 一方、我が家はと言えば、両親から「ピアノは、やるんやったら毎日1時間は練習しなあかん。それができへんのやったらやめなさい」というお達し。練習はしたくないけど、やめる勇気も出ない私は、自分の下手な練習をテープに録音して、それを流しながら横で本を読む、なんてことまでやってのけた(私にとっては不幸なことに、両親は耳が良いのですぐばれて叱られた)。

 そんな私が初めて「発表会」なるものに出たのは6歳の時。楽曲名は覚えていないが、ノスタルジックな曲で、けっこう好きだったことは覚えている。本番はまずまずの出来だった、と子どもながらに思ったような気がするのだけど、舞台裏に戻ると、ある人びとの評価は「さすが先生のお嬢さん」だった(と思う、記憶は定かじゃないけど)。一方ある人びとは(おそらくごく近しい、親しみをこめての言葉だったろうが)「先生のお嬢さんなのに、あそこ、まちがっちゃったわね」といった言葉。後年(すっかり大人になってから)あるきっかけがあって、この時のことを思い出したのだが、とても苦い、心がちくっと痛むような思い出としてよみがえった。おそらく私は、人生6年にして、「私には音楽の才能はないんだろう」「上手くいっても失敗しても、うちの子だから、うちの子なのに、ってなるんじゃたまらんな」と、心の中で音楽に見切りをつけていたのだと思う。

 それでも、結局小5の終わりまで、毎週叱られながらも叔母の家にレッスンに通ったが、6年生になって「中学受験をしたい」という大義名分を見出し、とうとうやめることになった、実際はしなかったんだけど。

 中学、高校時代は、正式に習うことはなかったが、父は時々私を呼び出して「さあ、ピアノはやっぱりやっといた方がええ。ちょっとこれからレッスンするぞ。」といきなりレッスンを始める。私は、自分の意思をちゃんと伝えたのかどうかさえ、今となっては覚えていない。「いやだ」と明確には言えなかったんだろうな。

 けれど、親というのは甘えが出る半面、我が子にはどこか期待してしまうものらしい。いったんレッスンが始まると、そのレッスンが練習の場、時間となり、なかなか終わらない。「もう一回」「もう一回」と父が納得するまでやらされ、2時間以上に及ぶことも珍しくなかった。

 そのくせ、1回のレッスンが終わると、次のレッスンは「今度父の気が向いた時」だ。「ここやっとけ」と言われていても、元々練習嫌いな上、いつ次のレッスンがあるかわからないので、甘えもあればモチベーションをも下がる。ろくに上達しないままに、だらだらと続け、高2の夏にモーツァルトのピアノソナタK545というのを弾いたのを最後に、今度は大学受験を理由にようやくやめた(のだったと思う、たぶん)。

懐かしくて検索しちゃった。この曲 ↓

https://www.youtube.com/watch?v=M0HMSTy0GpI

 それ以来、約20年にわたって、ピアノを弾こうとすることはほとんどなかった。ピアノが多少弾ける、ということをあまり人に知られないようにしていたし、同じ音楽をやるならポピュラー、ポップス、ロックなどがいいな、と内心思い、楽器もやるならピアノじゃなくてギターがいい、と中学から大学生のころまで、少しギターをさわっていた。いつも心のどこかで、人前で演奏することへの憧れのようなものを抱いていたが、同時に常に人からの「評価」への恐れがつきまとい、友達がやっているバンドなどに関心がありながらも「私もやりたい」と積極的に言えたためしはなかった。

 そんな、音楽に対するいびつな感情を抱いたまま、私の人生は展開していくのである・・・。

 

 

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