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「不思議な薬箱を開く時・薬種・薬剤編」

いらっしゃいませ。
歴史の片隅に息づく神秘の伝統薬をご紹介致します。

「不思議な薬箱を開く時・薬種・薬剤編」へ、ようこそ。
今回は、どの様なお薬が登場致しますか。
ささ、薬店内へ、どうぞ、お入りくださいませ。

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「”おんやどり”という腫瘍と、”おんやどりさま”いう風土病罹患者についての考察」

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今回は、歴史の中に埋もれてしまったかもしれない、
「人面瘡」と、同じ症例を持つ奇病についてのお話です。

広い海域に点在する、
小島に約160人から200人ほどの人口で、
長い年月を暮らしていた人々がいた、と、
古い資料に残されています。
残されてはいますが、様々な事情もあってのことでしょうが、
漁の為などの一時的な逗留であり、
子々孫々が、その小島にいたわけではない、と、されていますが、
実際、近隣の大きな島民や、役所の資料には、

「吉利支丹の弾圧より逃れた者たちが住んで居た」小島が、
幾つかあったとされています。

鬱蒼とした熱帯性の気候で、田畑も作れず、狩猟も出来ず、
ただ、細々と漁業を営み、その漁も、島民が生きながらえる為のもので、
島以外の者たちとは、関わり合いを絶っていたとか。

歴史に言う、”カクレ”であるが故の閉鎖的この上ない生活であったようです。

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江戸時代末期から、明治時代に入る1868年、
日本固有の風土病の研究に一身を捧げておられたという、
村上姓の男性の医師が、離島の測量調査団に
2人の看護人を連れて、同行。
島民が200人を満たない小島々を巡って、
医療活動を展開し、珍しい風土病や奇病の調査をし、
熱耐性医療の資料作成に心血を注いだとか。

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「地図上に島名のなき小島には、
島民は居ない、無人島であるとかんがえていたが、
K島での診療の際、
島民から、西乃島、裏西と称したる小島があると聞かされた」

島民が居ない小島には、医療の必要はありませんので、
医師も、無人の島として、診療活動から除外していたようです。
しかし、老人たちの診察を行っていた際、
無人だとばかり思っていた西乃島、裏西に島民がいると知ったのだそうです。

「私は、K島の古老らが、
裏西と呼ぶ離島へ、診療に行きたいのだが、と言ふと、
Kの島民は、あちらの来る事はあつても、こつちから行く事はない、と、
頑なに拒まる。
古老どもは、みな、
かの島には、おんやどりがいるのだから医者はいらぬ、と言ふ」

要約しますと、
K島の古老たちは、”裏西”と呼んでいる小島には、
“おんやどり”と言う、宗教的役職があり、
全ての厄災難を聞き、解決するらしい、と、聞いている、
つまり、古老たちも、その実態は、よくわかっていなかったのです。

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さて、その”おんやどり”とは?
まあ、医師も知りたいところであったでしょうが、
何しろ、近隣の島民の協力は一切得られない上に、
地図などの資料もない。

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医師の地道な努力も虚しく、
わかった事は、”裏西”だけではなく、
島民は居ないとされている小島が、幾つかある、
そして、”おんやどり”と言う、宗教的指導者が存在し、
近隣の島民たちからは、通常、忌避される傾向にある、と言うことだけでした。

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殆どが、仔細のない事後報告書ですが、
測量調査団と医師は、裏西に乗り込んだようです。
その際の報告書が、K大学病院に回って来たのですが、
報告書内に、珍しい風土病らしき件があったようです。

その風土病のことを
島民たちが、”おんやどり”といい、
患者のことを”おんやどりさま”と呼んで、
宗教的信仰対象としているらしい、と。

「近隣の島民より、
正式な名称ではないが、
裏西と呼ばれる小島がある。
その島の気候風土からして、熱帯性の疾病と思われる腫瘍の症例を
島民は、"おんやどり"と呼び、信仰対象としている。」



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インド大陸の奥地には、
天然痘を女神からの恵みである、と、感染を祝福する部族があったそうですが、
この島では、その腫れ物の症状が表れた患者を
なぜか、聖性ある信仰対象としていたらしいのです。

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「外皮に表れる腫瘍で、脇下、横腹、大腿部によく発症し、
10㎝から15㎝大にむり成長する。
はじめは、疼痛のある親指大の腫れ物から、
次第に大きくなり、三箇所に口のある腫れ物になるが、
その様が深い皺のある人間の顔に酷似していると言う特徴がある」

醜怪に歪んだ老人の顔に似た腫れ物、
これは、「人面瘡」と言ってもよい症例ではないでしょうか。

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「この腫瘍ができた者は、”おんやどりさま”と呼ばれ、
島民たちから特別な扱いを受けるようになる。
生神女(しょうしんじょ)、てぇとこさま、などとも呼ばれている。」

「島民たちは、腫瘍が予言をしたり、供物を食べたりすると強く信じている。
大きな厄災難からの救いを求める際には、
貴重な馬肉と馬の血液を腫瘍に食べさせると言う
島民曰く、馬肉を要求する際、患者に激しい痛みを与えて、
食べさせるまで、痛みが止まらないのだ、と言う」


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島民に対する調査結果を含めて、
世界大戦の影響下、医療調査内容の細分は、
K大学病院の研究室へ送られ、
そのまま、戦禍の時代を封印されたまま、
関係者のみの閲覧可能な資料とされていました。
裏西の島民を知る者も、ほぼ、いなくなっていると言ってもいいでしょう。
K大学病院に回された資料でしか、
“おんやどり”の詳しい症例は、知る事は不可能です。



測量調査団の医師が残した資料では、
あくまでも島民が、”おんやどりさま”と呼んでいるものは、
風土病の症状であり、一見、異様な腫れ物であるが故に、
一族長が、島民に聖性を信じさせる為、作り上げた出任せである、
フィラリア原虫の様な寄生虫が引き起こしている可能性も大いに考えられる、
と言う診断も上げています。




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果たして、”おんやどりさま”とは、本当に「人面瘡」なのでしょうか。

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「薬種・薬剤編」と致しましては、
症例の説明ばかりでは、いけませんね。

医師の医療報告書の中に、
“聖露”(さくろ)と言う、島民が万病の妙薬としている薬がある、と記されていますが、
医師は、その”聖露”(さくろ)について、
強い批判の意見を残していました。

「野蛮極まる慣習であり、強行な手段を用いても、
即刻にも滅すべきものである」

穏やかな見解ではないように思えますが、
“おんやどりさま”に、新鮮な馬肉を供えて、
食べさせた後、腫瘍の口から、親指大の赤黒い血塊がでてくる、
それが、”聖露”(さくろ)と呼ばれる、島民にとって万病の薬で、
患部に塗布する、果ては、服用までしていたようです。
これに関しては、医師が「野蛮極まる」と、
怒りを覚えても致し方ないことかもしれません。



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K大学病院での資料閲覧は、
医学研究目的であれば、閲覧は可能であるとのことですが、
現在、許可が下りるか否かは、不明です。

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