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モノへの愛着。

愛用している鍋がある。
バーミキュラ社製のオーブンポットだ。

10年ほど前に購入し、気に入って使っていたが
最近なべ底のコーティングがはがれてきたり、汚れが目立って来ていた。
使えなくはないので、このまま使い続けようか、買い替えようか、悩んでいたところに、
友人から、修理できるよ。という情報を入手した。

バーミキュラ社のホームページを見ていると、修理代:8,000円。
「うう、8,000円か~ 別の鍋が買えてしまうな。」と一瞬迷いが走った。

ホームページを読み進めてみると、どうやら、修理のタイミングで、鍋の色が変えられるようだ。
自分が、購入時には存在しなかった色も選ぶことができる。
これであれば、新しい鍋を買う感覚で修理できるなと考え、修理に気持ちが傾き始めた。
でも、8,000円で買う鍋と何が違うのだろうか。本当に8,000円払う価値があるだろうか。
まだ、半信半疑の状態だった。

さらに、バーミキュラ社のホームページを読み進めると、
「注文から、レシピ、修理まで一生サポート。」
というキャッチコピーが。
そうか、一生使うものとして考えると、大事にしようと思うし、長く使うから、いろんな思い出も詰まってきて、愛着も湧いている。
新しい色のコーティングで見た目は変わるけど、ずっと使ってきた鍋に変わりはない。
この鍋をもっと使い込んで、娘に引き継ぐこともできるな。
この鍋と一緒に、もっと料理生活を楽しむこともできそうだ。
と考え、納得して、修理申込をした。

今まで使っていた鍋が再び蘇り、料理をするモチベーションになってくれている。

最近は、いろんなものを安く簡単に買うことができる。安く手に入れていることもあり、使わなくなったり、悪くなったらすぐ捨ててしまう。
環境のために、モノをすぐに捨ててしまうのではなく、長く大事に使うということの大切さについては考えていたが、長く使うことでモノに愛着が湧く。という観点もあるなと気づいた。

この愛着が湧くとはどういうことなのか。

例えば、先ほどのバーミキュラのオーブンポット。
毎日、毎日の料理が鍋に染み込んでいく感じがする。

豚の角煮作って、みんなにおいしいと言ってもらったな

忙しい時も、人参や玉ねぎの甘みが出るので手をかけていないのに美味しく感じたカレーライス

鍋自体が自分の作ってきた料理と一体化していく。自分の料理の成果が鍋とともにカタチになっていくのが、嬉しいのかもしれない。そうして愛着が湧いていく。

長く使うことで、自分の想い出や、努力がモノに染み込んでいき、モノに愛着が湧くのかもしれない。

我が家に、長く使われているモノはどんなものがあるだろうか。探してみた。
ひな人形。
スキーウェア
北海道民芸家具のビューロー
お正月の着物。

このモノたちに想いを馳せてみると
いろんな思い出がよみがえる。

例えば、ひな人形。
我が家のひな人形は、お内裏様とお雛様の2体だけのシンプルバージョンだ。
小さい頃は、7段飾りを持っている友達をうらやましいと思ったな。とか
ひな人形より、飾ってある菱餅を早く食べたいなと思っていたな。とか。

スキーウェア。
大学の時に、アルバイトでお金を貯めて、奮発して買ったお気に入り。
それまでは、小学校から来ていた派手なショッキングピンクのシャカシャカウェアで
大学生のサークルで恥ずかしい思いをしたなー。とか。
当時の彼氏と一緒に探して、「これ、めっちゃいい!」ってなって決めたやつだなー。

北海道民芸家具は、母の嫁入り道具だ。
今は我が家にあるが、小さいころの住んでいた家の情景が目に浮かぶ。
母親に叱られて、外に出された時、窓から見る部屋の情景にこの家具があり、家具を見るたびに叱られたことを思いだす。

お正月の着物は、自分が来ている時のことは覚えていないが、写真で何度か見ていた、
娘がそれを着てくれて、とっても嬉しかった。

どれも、これも、何かしらの思い出や、頑張った時のことなどが、染み込んでいた。
愛着ということはこういうことか、今更ながら腹落ちした。

そして、長く使っている身の回りのものを思い出したとき、モノたちが仲間のような気がして、何となく心強い感じがしたのだった。

安く変えるからと、使い捨て感覚が染み込んでしまっている。
なくしたら、買えばいいや。
壊れたら、また新しいのを。
それが当たり前になって、使って捨てることに何も感じなくなっていた。

捨てることがもったいない。だけではなく、
捨てるという行為は、モノに想い出を重ねていくチャンスを逃してしまっているとも言えるのではないか。

何か買う時、モノの将来の行く末を考えて買ってみよう。
捨てる時、直して使うことができないか、考えてみよう。
そして、使うときは、長く使うことを意識して丁寧に扱おう。

モノに感謝を。モノからの温もりを感じてみよう。
一つの鍋の修理をきっかけが、私にこんな気づきを与えてくれた。

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