図南の翼

リーダーシップとフォロワーシップについて考えていた。私は明らかにフォロワーシップの人間だと思う。なのにどうして先陣を切るのがいつも自分で、向いても居ないリーダーの様な地位に居たり コミュニティーの中心に居たりするのか…

ふと私の好きな小説の主人公の台詞が浮かんだ

だいぶ前に読んだ作品でうろ覚えではありますが
玉座が空席で統治されず妖魔が猛威を振るっている国のお話し、主人公は 現状に愚痴を零し嘆きながらも誰も(世を良くするために)動こうとしない事に違和感を覚え 自分は王の器では無い…と思いながらも ただ嘆くだけでは無く 行動を起こす事を決意する そして 玉座を目指して危険な旅(昇山)をするお話し こんな感じだったと思う

小説「図南の翼」にある一文(抜粋)

「ひもじい、怖い、辛いなんて、愚痴をいって人を妬む暇があれば、自分が周囲の人を引き連れて昇山すればいいわけじゃない。昇山して初めて、愚痴を言っても許されるんだと思うのよ。それもしないで、嘆くばっかり(中略)
どうして誰も王になろうとしないんだ、王は現れないんだって怒っておいて、自分には王になんてなれるはずがない、そもそも蓬山なんて行けるはずない

だから、まず自分で行こうと思ったの。黄海に行って帰ったら、あたしも堂々と、やるべきことをやってから嘆けば、って言ってやれるわ」

この考えが私もとても同意出来るなって思った
そもそも根底に世の中を良くしたい 人を幸せにしたい
世界平和への願いがあるけれど 私も自分にはそんな力も器も無いってわかってる だけど 自分に出来ることもしないで 世界や人を嘆くのが嫌だった…

私に出来る事なんて 少ないし 意味の無い事かも知れないけど 人の笑顔を見たかった。幸せが見たかった。

そうやって 始めた活動の中で コミュニティの中心に居る自分を見て 今でも 私の居場所はここでは無いと思う

いつか 絶対的な私のリーダーに出会えたら やっぱり隠居したいなと思うINFJなんだなって

もし 慈悲と慈愛に満ちたリーダーに出会えたらその時こそ私はその人を支えながら 私の持つ可能性を十分に生かせるのでは無いかと思う

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