見出し画像

「人間らしさはどうなるの?」?

 「機械AIのたぐいがあらゆる意味で人間の生産性をうわまわったとき、人間はどうなるんやろう・人間に何が残されてるんやろう」みたいなことをここさいきん考えてた。で、同時に、この自分の考えじたいをずっと疑わしく思ってた。まえの自分やったらシンギュラリティみたいなもんを「すげー」って評価することじたいを疑わしく思ってたのに、いま「すげー」って思えるのはなんで?って。

 そういうときに士郎正宗のこれをみて、なんかはっとした。
 で、きょう、やっとその意味がわかった気がした。

 何かがある意味で人間のナントカ性を完全に上回ることはいままでもあったやろう。で、けっきょくそこに尽きると思う。

 今かって人間は人間のつくったもんに負け続けてる。わけもわからんもんを使って、わけのわからんもんに使われてる。いままでも、いまも。それが機械AIのたぐいになろうと大してなんも変わらん。変わるように思えるのは知性やら生産性みたいなもんを特別に重く評価してるだけなんやろと思う。でもたとえば字・本・学校・国家・インターネット・・・・に負け続けてきたし使われ続けてきた、じっさい。それと何がちがうんや?

 ほんとうに革新的なもんがあるとすれば、人間そのものが変わるときやと思う。でもそれもよー考えてみたらいままでもあったことの気はするけど。加速はするかもしれんけど。けっきょく歴史とか進化とか(あるいは制度・ミームのたぐいのアウトソース化?)っていうもんはそういうもんの気がする。

 機械に世界を教わりたい長生きしたい最強になりたい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?