水星の魔女総括の振り返り

 総括の振り返り。補論的な。

 これ読んでなるほどと思った。

 制作側の一枚岩じゃなさというか。もしかしたら作ってる側も忸怩たる思いであれを出してたんかもしれんな、と思う(第2期の出来が悪かったっていうのは前提ではあるけど)。
 (そういうの考えるとあらためてフレームアームズガールはほんとうまいことやってたなと思う。コトブキヤの取捨選択が光ってる。)

 他方で、いやどうなんやろ、とも思った。いかにスケジュールがタイトであろうと、「脚本的に絶対やっとくべきポイント」をやらんってことあるんかな、と。

 これはわたしの単なる信念かもしれんけど、ほんとに大事なことが何なんかわかってるんやったらそれをやると思う。大事なことをやるには1話~2話あれば充分やろう。10分でもいいかもしれん。ほんとに大事な「これだけはやっとかなあかん」ってことがあるんなら、1話でも2話でも10分でもなんとかしてそれをねじこんでくるはず。
 で、制作サイドがいかにもろもろの事情の板挟みになってるとしても、それをまったくやってないとは考えづらい。

 ってことは、たぶん、水星の魔女にはそれがねじこまれてる。

 そう思ってふりかえってみると、おそらく、「一番じゃないやりかた」とか、23話でミオリネがスク水で出てきたとこらへんとか、最終話のスレッタ-エリイ-ミオリネ-プロスペラの問答とか、あのへんが「なんとかしてねじこんだ、どうしてもやりたかったこと」なんではないかと思われる。

 となると結局もとの話にもどるというか、テーマ(あんま好きじゃないことばやけど)の弱さ・取捨選択のセンスのなさにかえってくる。テーマの弱さと取捨選択の拙さは表裏やと思う。けっきょく何が大事かわかってなかったんやと思う。もっというとSF的センスの微妙さとかやたらややこしい勢力図とかもぜんぶ根っこは同じなんじゃないかと思うけど。

 わけてもミオリネ→プロスペラの「親なら等しく愛してあげなさいよ」的なセリフはクソやったと思う。おまいうなのはさておいても、ぜんぶ台無し級のセリフを堂々と「これがこたえ」みたいな顔して投げ込んでくるの、大した度胸やなと思う。それで解決してるんなら最初から問題発生してないやろ。まがりなりにも「ややこしいもろもろに巻き込まれてしまっていたらどうすればいいのか」をテーマとしてやってきたんじゃないんか。それができんで困ってんやろ。いままでやってきたことなんやったんや。

 あのハッピーエンドがどこから来てどこへ行き着くんか。そこんとこの導きがあまりに弱い、あまりにやってなさすぎる。ほっとはするけど、その「ほっ」の行き場がどこになるんか、水星の魔女は教えてくれてない。

 何かやろうとしたのは間違いないやろけど、1期ではそういう「目のつけどころ」の良さが光ってたりしてたけど、結局のところその何かっていうのがどういうもんなんかはわかってなかった(下手したら考えてもいなかった)んじゃないかと思う。それこそが水星の魔女の問題であって、だから、たとえ仮に余裕もってもう1クール作れたとしても大して出来は変わらんのじゃないか。

 というか、「ほんとに大事なこと」がもしほんとにあるんやったら、第1期でいったんちゃんとやっとくべきやろ。いつ死ぬかわからんのやで。それを怠ってた時点でダメ。

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