水星の魔女総括(あんまよくなかった)

 水星の魔女、あんまりよくなかった。特に第2期。あまりによくわからなすぎ、いろいろちらかして整理できてない、全体としてどこに重みがあったんかわからん。

 スレッタとミオリネとの仲が中心にある話やと思ってたんやってな。1期はそこにふれつつもいまいち突っ込んだかんじじゃなくて、12話でああやって終わって。そのへんをうまいことしつつもろもろの問題(親子関係とか)をかたつけてラストに持っていくんかなーと思ってた、勝手に。

 問題は、1期のあの終わりかたをみたあと、2期の途中を全部とばして最終決戦(21話~)まで行ってもそのままみれそう、っていうところ。多少わけわからんところはあるやろけど、でもそれちゃんと2期ぜんぶ追ってたときのわけわからなさと比べて大差なさそうな気がする。そのくらい2期はよくわからない。

 「仲のよいふたり」をかくときに、「ふたりが仲よくしてるシーン」は省いてはならない。「仲よくなるシーン」はなくてもいいけど、仲よくしてるとこは省いたらダメ。そこをやらんかったら「ふたりの仲」がそもそもわけわからんようんなる。
 水星の魔女は、そこを省いた。少なくともわたしにとっては物足りんかった。だからよーわからんのやってな、スレッタの12話のあれが結局どういうことやったんか、スレッタ-ミオリネはどういう仲なんか、お互いにとって何がどう大事なんか。ただただ「ふたりは特別」っていう前提で話が進むだけになってる。

 で、そこについて、23話をみていてふっと思った。これ「スレッタ-ミオリネのダブル主人公」なんじゃなくて「スレッタ-グエルのダブル主人公」なんじゃないか、と。
 1期は表主人公スレッタ-裏主人公グエル、2期は表主人公グエル-裏主人公スレッタ、ミオリネは仲立ち役というか狂言回し的ポジションなんじゃないか、と。
 そう考えてもいろいろ問題はあるけど、「スレッタ-ミオリネのダブル主人公」で考えるよりはまだ納得がいく。2期に入ってスレッタ-ミオリネがあんままともに向き合ってなかったのは「1期でひと段落したことになってるから」なんかな、とか。
 仮にスレッタ-ミオリネのダブル主人公のつもりで2期あんなんにしたんやったら単にあほや。構成どうなってんや。表主人公がスレッタ→グエルに交代したんやと考えればなんとか「ちょっとわかりにくいですね、あんま上手じゃありませんね」くらいで済む。23話でわざわざ改めてジェターク家の問題の解決をやってたのも納得いく。

 でもまあなんにせよ構成わるいとは思う。脚本のせいか監督のせいかプロデューサーのせいかしらんけど、各期各話でそれぞれこういうことをやろうって決めて全体並べたとき「なんかバランス悪いっすよね」って誰も言いださんかったんか。物語上のフックとネット上のバズりとをあるていど絡めてコントロールしたかったんかなーとは思うけど、それやるんやったらプロモーター兼総指揮みたいなポジションでちゃんとしたひとつけるべきやったと思う。つけててあれならしらんけど。

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 基礎設定班と脚本班とのズレみたいなの、ずっと昔からあるんやろけど(攻殻アニメとか、最近ならリコリスリコイルも感じた)、水星にかんしては根っこからSF的細部への感覚が微妙のような気がする。

 パーメットとかデータストームとかふわっとしすぎていまいちわからんってのはさておき、エリーがデータストームのなかでしか生きられんとか、それが残酷やとか、だから世界中をデータストームに巻き込むとか、わけわからん。ふつうの人間も物理的基盤に依拠してるし、たとえば体なしでは生きられんやろう。それと何がちがうんや。このへんはまどマギ的やなと思った。「「心とは何か」についてみんなわかってるやろ」と思ってるひとたちが作った話、というか。

 組織とか対立構造とかもややこしすぎる。ややこしいっていうか、構想時点で一回はちゃんと整理したんか? 一度もおかしいと思わなかったのか? わたしはたとえばミオリネが19話で会いに行った地球側代表みたいなひとたちがいったい何者なんかすらよくわかってない(そもそもなんで相手方だけあんないっぱいいるんや)。
 エヴァなんかもややこしくてわかりにくい典型やけど、あれはわけのわからなさがそのままシンジ君自身の「このわけのわからん世界で何をどうすればいいんや」に繋がってて、それはそのまま我々の「このわけのわからん世界で何をどうすればいいんや」に繋がる。だからあれは軽々に「わかりやすくしろ」とも言い難い何かがあるんやけど、水星の魔女にかんしてはわかりにくさがどこにも繋がってない。ただただ純粋にわかりにくい。冨野もごちゃごちゃしがちやけど、それぞれの組織にぐちゃぐちゃした思いがあるとわかればわかりやすかったりする。そういうのも特に何もなくただただ構図が複雑なだけ。

 あと、これがいちばん大事なんやけど、結局これみたひとにどうなってほしいんですかね。特に中高生、これをみた中高生にどうなってほしいんですかね。リコリコとかぼっちざろっくとかスキップとローファーとかはそういうのがちゃんとあったと思う。水星の魔女はなんかあるんすか。なんもないのにそっちに目くばせして「ガンダムはあなたたちのものでもありますよ」アピールだけしてたんなら相当いかれてると思う。ハッピーエンドならいいってもんじゃないやろ。そのハッピーにふつうのまいにちと繋がるところがなかったらそれはそこまでのもんでしかない。
 最後に「日常へかえれ」って言いたいなら「かえるべき日常」をみせとかなあかん。それを怠ったらハッピーエンドはただそこで終わって、どこにも至らん。

 呪いみたいなもの、親子関係をこえていけっていうなら最初から親子関係なんかやらんとけばいいと思う。そのへんの取捨選択の根っこからもうおかしい。ほんとに誰かをどうにかしたいならやることなんてだいたい決まってくるやろ。


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 学園っていう枠組みじたいはよかったと思う。もっと露骨にウテナにすればよかったのに。
 スレッタ・グエルあたりのキャラもよかった。スレッタは2期わけわからんかったけど。ミオリネ・シャディクあたりの頭いいふうのキャラは微妙。頭いいふうのキャラ苦手なんじゃないか。無理してそんなふうにせんでもいいのに。
 戦闘シーンもよかった。特にグエル絡み。あとから解説みて「ほー」となったりした。あのへんは流石ガンダムシリーズってかんじ。
 毎回の引きもなんだかんだよかった。引きもふくめてハッタリはよかったと思う。なかみがついていってなかった(特に第2期)。
 最終話のおわりかたもあれじたいはよかったと思う。ただどうしてもなあ。ああやって終わらせるなら途中でやっとくべきことがもっといっぱいあったやろ。スレッタもけっきょくいまいちわからんかったし。なにをしてたんや。けっきょく何をやるべきかわからんままずっとやってたんじゃないかと思ってしまう。

 なんかG戦場ヘヴンズドアみたいな言いかたやけど、アニメの向こう側にあるもんに思いが及んでなかったような気がする。視聴者がいて、それぞれの視聴者それぞれの生活があって、アニメはそこに繋がりうる、っていう。及んでなかったっていうか、最初からそういうつもりなかったんかな。極めてプロスペラ的なアニメになってしまってた、結果的に。


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 つづき


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