いまさら『ぼっちざろっく』第5話(気づき・ゴールとしての「この「4人でだ」)

 『ぼっちざろっく』をぼっちちゃんの成長(変化)の話として読む向きはけっこうあるけど、わたしはそれはおかしいんではないかと思ってる。その読みでいくと最終話「今日もバイトかー」でけっきょく成長してなかったってことにならんか。じゃあなんでわざわざあのシーン入れたんや。

 第5話のキモは「この4人でだ」にあると思う。それまで、ぼっちちゃんにとって結束バンドっていうのはある意味では成り行きでたまたまそうなっただけのものやった。虹夏ちゃんに乗せられて乗っかってしまっただけというか。でも、5話で、ぼっちちゃんは結束バンドをあらためて選びとる。それが「でも、それは、この4人でだ」やと思う。

 前半の「バンドとしての成長とは何か?」「なぜバンドをやってるのか?」みたいな問い、これはこたえが出んってことが大事なんやと思う。「バンドとしての成長とは?」の回答として「この4人でだ」があるわけじゃないんすよ。説教臭い言いかたやけど、

 「バンドとしての成長」なるフワフワしたわけのわからんもんが大事なんではなくて、他でもなくこのバンドメンバーが大事、だからわたしはこの4人でやる結束バンドが大事

 っていう気づきと決意が5話なんすよ。

 そこの補助線になってるのが、作中屈指の名シーンでもある、自販機のシーン。
 あそこで虹夏ちゃんが言ってるのは、「あたしたちお互いのこと何もわからないまま流れでここまで来ちゃったね」ぐらいのかなり際どい話なんやってな。ともすれば「あ、ほんとですね、結束バンドはたまたま出会っただけで何の必然性もない成り行きのゆきずりバンドだったんですね、ありがとうございましたさようなら」となってもおかしくない。
 でも、それでもあのシーンはぐっとくる。虹夏ちゃんのあけすけな(でもどこか陰のある)態度と、うまくこたえられないぼっち。その親密さ、その近づきがたさにぐっとくる。不器用かもしれんけど、「ここでお互いを特別やと認めあおう」って言ってるんすよ、あのシーンで、ふたりは。

 だから、オーディション本番、ぼっちは胸の内で言う、「虹夏ちゃんのほんとうの夢も叶えてあげたい」。
 なんとなく見過ごしがちかもしれんけど、この時点でぼっちは「虹夏ちゃんのほんとうの夢」が何かわかってないんやってな。それでもその夢を叶えてあげたいと思ってる。こたえが、なかみが大事なんじゃないんすよ。ひとが、そのひとが大事なんすよ。「何のため」とかじゃない。「この4人で」っていうまさにそのことがゴールなんすよ。そのかけがえのなさにぼっちが気づくのが5話なんやろと思う。

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