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アーマードコアを語るときの「過去作」とは何なのか(AC6のアクションのキモについて)


「過去作」を引きずったキーアセン(かもしれない)




「過去作」を語ることの問題

 アーマードコアが語られるときは、必ずと言っていいほど「過去作」をベースにして(あるいはそれを引き合いに出して)語られる。しかしその「過去作」とは具体的には何なのか。一体どれのことを言うのか。

 具体的にこれこれって書くのはなんかはばかられる気もちがあったりするのもわかる。ACシリーズはなんか「シリーズ通してやってないと」あるいは「ぜんぶわかって言ってるんやろな」的な空気がある。気がする。あとは単純にめんどくさい。いちいち「PSシリーズはやってない」とか「MOAとLRと4とFAしかやってない」とか書くのめんどいやろう、みんな。
 かくいうわたしもちゃんと書いてなかった

 ということで、まずわたしがちゃんと(最後まで)やったことあるのはNX、FF(PSP版)、NB、4だけです。
 いちばんやってたのはNB。友達と対戦するうえでいちばん操作しやすくていちばんバランスよかった(4も出てたけどわたしがPS3持ってなかった)。3系とかLRとかも触らせてもらったけど、3系は操作に難があったりLRは明らかにバランス悪かったりで、ふたりの間で消去法的にNBが遊ばれてた。NB、バランスはすごいよかったと思う。NBとかFFのままでLRやってくれればよかったのに。
 わたしはやったことあるのはほんとその程度で、あとは大学生になってからニコニコで4系を中心に動画で楽しんでた。これもよく言われることやけど、faとニコニコは盛り上がった時期がちょうど重なってたんすよね。そういう波に乗ってた。NXが過去作のおさらい的なディスクもついた2枚組やったおかげで、過去作のネタもわかったりして。そういう楽しみかたをしてた。

「過去作」とはどれのことをいうのか

 で、長くなったけど、AC6が語られるときも、やっぱりとにかく「過去作」を前提にして・引き合いに出して語られる。でも、シリーズのファンならわかってるように、ACはナンバリングが変わるたびにゲーム性がけっこう大きく変わる。
 それをあらためて感じた(きっかけになった)のがこれ。

 「幼き日に近所の兄ちゃんがプレイしていた初代『ARMORED CORE』に見惚れた」とは言ってるけど、おそらくこのひとが言ってる「過去作」っていうのは主に4系なんではないかと思われる。
 「残念なことにアセンブルの自由度については過去作に水を開けられているように思う」って言ってるところでブレードが左手にしか装備できない点に触れてたり「両手ブレードは同作のロマンであったため残念で仕方がない」とか言ってたりするけど、ブレードが両手持ちできるようになったのは4からやったと思う。
 「過去作のようにとっさの反応に頼る戦闘ではなく、「DARK SOULS」のように死んで覚えるタイプの戦闘だと言える」っていうのもやっぱ4系が念頭にあるんやろなというか。4系以前は基本的には期待値ゲーやったと思うんやってな。

QB以前は何かをとっさに避ける方法はなかった。だからこそQBが実装されて、それが新しく感じられたんやろし。対戦ではお互いがQB使う関係で期待値ゲーなのは変わらんかった印象やけど。

 みんなけっきょく思い思いの「過去作」からAC6を語ってる(感じてる)んやろと思う。あたりまえのことなんやけど、でもそこを見とかんと「思ってたのとちがう」っていうよくないほうばっかり引きずってしまわんか、と思う。
 わたしなんかはやっぱりN系というかNBがいちばん濃く記憶に残ってるので「AC6、むっちゃ飛べるな」って思うけど、faの印象が強いひとやと「あんま飛べんな」と思ったりしてまうやろう、どうしても。それもまあ悪くはないけど、AC6としてやりたかったことっていうのに思いを馳せてもいいんではなかろうかと。

AC6のアクションのキモ

 そんなこんなでやっと本題というか。

 AC6は、そんなこんなの過去作への反省(?)が強くこもってるのはひしひしと感じる。AC愛と同じくらい強く、反省も感じる。

 AC6がスタッガーが軸なのはまず間違いないと思う。個人的にはサイティングの廃止とゲームスピードの低下によって回避が重要になったことも大きいなーと思ってる。これっていうのはつまり、スタッガーと回避とのふたつの軸によって「ひとつひとつの動作が大きく意味を持つ」っていう方向に大きく舵を切ったってことなんやろなーと。

 過去作(N系以降)はあえて言ってしまえばぜんぶ期待値ゲーやった。ひとつのミスが命取りになることももちろんあったけど、基本的には「敵の弾が自分に当たりにくく、自分の弾が相手に当たりやすい動きを続ける」っていうゲームやった。で、いわばそこに「コントロール可能なスパイス」みたいな感じで常に中心にあったのがサイティング(とEN管理)なんやろと思う。「やってしまった」をサイティング(とEN管理)のせいにできるというか。とにかく集中と維持がキモやった。

 AC6はそこを大きく変えてきた。サイティング廃止によって当てることにかんする維持の部分を大幅に緩和して、そのぶんしっかり見て・予測して回避する(回避できる動きを組み立てる)ことに重きがくるようにした。そのうえで、スタッガーによってイヤでもメリハリがつくようになってる。山村Pが言うところの「バトルが決着するまでの過程の中にも,区切りとなる成功体験や,達成感や高揚感を感じられる瞬間を作りたかった」っていうやつ。

 すくなくともN系以降、ナンバリングごとにいろいろ特色はあれど、一撃離脱を繰りかえす戦法とか地形を活かした戦法を取る機体以外は「同じ動きを淡々と続ける」ことが重要な期待値ゲー(maedaさんの言う『「自分の被弾率をできるだけ下げ,相手の被弾率をできるだけ上げる」という持続的な最適化のゲーム』)やったと言っていいと思う。これはわたしがずっと思ってた「引き撃ち強すぎ問題」とほぼ重なる。

 それを打破するのに、フロムで培われてきたアクションの要素を取り入れて考えられたのがスタッガー(とサイティング廃止とか立体的なマップとそれにふさわしいEN周り)なんやろなーと。瞬間的なひとつの動き・見て学んで組み立てられたひとつの動きに重きをおくことで、そのときその場で「やった!」っていうのを感じやすくしてる。

 もちろん「これはこれで単調」とか、あるいは「クソ」「調整不足」っていう声もあったりするのはわかるけど、まあなんというかそういうゲームなんですってことなんやろう。で、わたしはこれを気に入ってる(すくなくともいまのところ)。

(デモンエクスマキナの「ダウン」に無敵時間があったのと対照的やなーと思ったりもする。あれもダウンのゲージあればもっとゲーム性あがったかも)

対戦についてすこしだけ

 あと、うまいなと思うのは、対戦をしっかり実装しつつランクマとかは設定してないところ。「あくまでお楽しみ・お遊びですよ」っていうメッセージやと思う。あんまそこにムキになるなよというか。DXMもソロ(ストーリー)と対人対戦とのバランスで苦労してそうな印象があった。そこから学んだわけでもないんやろけど、あくまでキャンペーン・ストーリーモードが主ですよっていうふうにしたのはうまい。ほんとプロデューサー力高い。
 強いミサイルは対戦でどうしようもなさそうな気がするけど、チーム戦もあるしまあいいじゃないでしょうか。このへんはもうちょっと環境がまわってみんとわからんけど。

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