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キリンジ「君の胸に抱かれたい」各論A

リリース20周年からちょうどひと月後の世界線へようこそ。5年後10年後にまたお会いしましょうなどと申しましたがやはり筆を折るわけにいかない。逸る気持ちを抑えることができず、春学期終了後まさかの夏休みシーズンに補講を敢行。秋学期にもずれ込む形で、合計何単位分のコマ数に渡るはめになるやら。言い訳がましいですねさっさと始めましょう。前回の続きから。

「恋する二人は家なき子/拠る辺なさなんてのはいつものことだろ」

「家なき子」の意味するところはエクトール・アンリ・マロの作風そのままでしょう。羽を伸ばし、出会いを重ねる中で成長を遂げていく二人を描く。続く「陽のあたる大通り」というフレーズにも聞き覚えが。これはおそらくピチカートファイブですね、「表通りの真ん中で/偶然あなたに出逢って」から始まる有名な一説の世界観もどこか通ずる部分がある。

「つよく よわく きつく」

これぞまさに堀込高樹節炸裂ですね。時間軸の変化、感情の移ろいを映す。靴紐は一度緩めて結び直すことで解れにくくなる、それと同様に「誓うよ どこへも行かないと」という意思表示の下、互いの気持ちを確かめ合うように何度も抱き合う二人の様子が浮かんでくる。映画の1シーンのようです。現実を率直に正確に描き出す美術様式を人は写実主義と呼びました。

「街はタールの闇におおわれて/誘蛾灯をたよりに」

誘蛾灯にスポットを当てた楽曲というのもなかなか見かけませんが、ここは視点を変えて。「汗染みは淡いブルース」や「スウィートソウル」にも登場してくる共通ワード「タール」に注目してみましょう。弟・泰行氏の作詞曲にも見られる点、なかなか興味深いものがありますよね。つまり曲単体ではなくキリンジの作風全般に係る比喩表現ということ。メタ推理が過ぎるか。

各論Bへの布石

2サビ冒頭の一節「Chim Chim Cher-Ee」は映画『メリー・ポピンズ』より。「Though I spend my time in the ashes and smoke(僕は灰や煙の中で時を過ごすけれど)」の一文は、前述の「タールの闇」に掛かっているでしょうか。古典を鮮やかに、それでいて卒なく軽やかに引用してみせる。芸が細かい。残念ながら授業終了のベルが聞こえてまいりました。

案の定、各論Bまでなだれ込みます。2番Aメロの数行を華麗にスキップしていきましたがこれにはちゃんと理由があります。概論の授業を思い起こしてみれば出会いと別れ、健全と不健全、幸せと不幸せこそがキリンジの真骨頂です。影の部分を紐解き、さらに曲の奥深さに迫ってまいります。やんわりとご期待をば。

2020年8月12日

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