映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』をみる。
煽て上げるだけが「ドキュメンタリー映画」ではない。
例えば「プロフェッショナル 仕事の流儀」で描かれた庵野秀明は果たして、本来の庵野秀明の姿だったのだろうか。何かそれらしい筋書きあるいはパブリックイメージの元で、ある種「予定調和」的側面を多分に含むドキュメンタリーだったのではないか。関係者へのインタビューを重ねれば重ねるほど、架空の庵野秀明「像」をますます肥大させてしまってはいなかったか。
ボウイ本人への直接インタビューと、観客に向けられたマイクの音声のみを頼りに編み上げ