たまには日記でも〜やってたゲームの話〜

「風ノ旅ビト」ってゲームがけっこう好きだった。といっても片手に数えるくらいしかプレイしていないのだけど。

なんかどっかの知らんプレイヤー(CPUなのか人間なのかはよくわからない)とともに、幻想的なダンジョンを登っていく、みたいなゲームだった。

何がいいかって、その一時的な相棒とのコミュニケーションが心地よいことだ。2人でなんかすると共鳴しあって、高く跳べたりとか、まぁいろいろと助け合いができるんですよね。

で、助けてもらうと感謝したくもなるけれど、それを伝える手段が少ない。せいぜい音を鳴らして跳ねるくらいである。

でも、これかけっこう気持ちいいし、言葉を交わさなくても伝わる伝わる。表情も何もないキャラクターだけど、跳ねるだけで意外と意思疎通が取れる。こっちがジャンプしたら、向こうもジャンプするとか。

ジャンプという行為は表情はなくても、意外と感情が伝わってくるような気がする。跳ねるって喜びの動作ですからね。だから、コミュニケーションの手段は制約があったほうが、かえって伝わることも多いのだと思う。ポケベル世代なんかもそうじゃないのかな。

それと同じで、昔ハマっていたソシャゲがある。「ガンダムカードバトラー」というクソゲーをやりこんでいた。システムは多分クソゲーなんだけど、絵のかっこよさと、ニッチなモビルスーツの知識(ガンダムXのガンマスターならぬソードマスターとか)が手に入るのが好きだった。

なによりも楽しかったのは小隊戦で、所属している小隊ごとのMS撃破数に応じて、ランキング形式でレアカードが貰えるとか、そんな感じだった。

基本リアルの友達と一緒にゲームとかはしないので、レベルが自分よりちょっと上くらいの人たちがいる小隊を見つけて仲間に入れてもらった。

小隊のいいところは、定型文でしか会話ができないところだ。ガンダムだから「行きまーす!」とか「親父にもぶたれたことないのに…」とか名台詞20-30個くらいでしか会話ができない。

要するに語録で会話しろという2ちゃんねる的なノリだったのだが、そのくらいが自分にはちょうどよかった。小隊は確かリーダーがいて、そこそこ統制も取れているのだが、その知らない人たちとの間に仲間意識は確かにあったと思う。

最低限の意思疎通ができることもあってか、目標とかやり込み度とかはなんとなく共有できていた。いや、目標なんてないんだけど、小隊のためにこのくらいはがんばろうって思えるだけの絆を感じていた。

今となっては小隊の他の人はリアルの知り合いだったのかも知れないとか、色々思うところはある。けれども匿名で、自由に言葉を交わせない相手だからこそ感じる絆っていうものがあったんだということを、今でもたまに思い出す。

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