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金がなきゃ恋すらできない世の中で、微笑みの種を見つけたい

※このnoteは映画『PERFECT DAYS』のネタバレを含みます。鑑賞予定の方はお気をつけください。


毎日寝る前に、FEMMUEのリップマスクを塗る。美容狂いな高校同期から誕生日プレゼントでもらった、やさしい薄ピンク色のリップで、唇に塗るとぺたぺたと甘い。

唇にピンクを塗りたくるわたしを鏡越しに見つめながら、たいした変化もなく繰り返す日々に、灰色の水彩絵の具が滲むようなほんのりとした退屈を感じる。毎日毎日飽きもせず一連のクソ長美容ルーティンをこなして眠りにつく自分はあまりにも機械じみていて、それがなんだか怖くて眠れなくなるときもある。

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先週の土曜日、映画『PERFECT DAYS』を観に行った。

その映画はもう上映開始からだいぶ日にちが経っていたから、都合の良い上映時間の映画館がなかなかなくて、はじめて行く新宿の小さな映画館に足を運んだ。脂質大好きダイエット永久機関ことわたしは映画館でいつもコカコーラゼロを頼むのだが、そこにはゼロのタイプのコーラがなくて、仕方なくアイスのカフェラテを頼んだ。

ほどなくして出て来たアイスカフェラテは、氷がいっぱいに入ったプラスチックの透明カップ。まさかのセルフサービス式。レジの隣にあった自動のコーヒーマシンで注ぎ、ひとくち飲んでみると、人工的な甘みが舌に残る。

お供の力不足ぶりに若干眉を下げながら(なんなら氷が多すぎて早く飲まないと不味くなるのでカービィのごとく吸い込んだ)観たPERFECT DAYSは、かなり豊かでやさしい映画だった。


主人公は、まめまめしく丁寧な、 MBTIでいうとぜったいJ(計画性)のトイレ掃除のおじさん。おじさんは少ない収入で満足し、ちいさな幸せに微笑みの種を見出す、いわゆるダウンシフター的な暮らしをしている。

外の土から丁寧に掘り起こして持ち帰り、毎朝水をやる観葉植物、毎週末必ず現像しに行く木や空のフィルム写真、近所のおばあさんが道を掃くほうきの音とともに起きる朝、変わらない行きつけの銭湯と居酒屋、給料が上がるわけでもないのに工夫してカスタマイズする掃除用具。

おじさんは、J故に(勝手にJと類推してしまいすみません)気に入らないフィルム写真を破って捨てたり、仕事で自分の負荷になるような大きな変更があったりすると腹を立てたりするが、基本的には微笑みを絶やさず暮らしている。

穏やかに日々を送るおじさんの暮らしには、ときどき資本主義的、結婚至上主義な野次が飛んでくる。特に印象的だったのが、清掃仕事の後輩にあたる若い男のひと。

後輩はおじさんに、「その年で独身、寂しくないんですか?」と不躾な質問をしたり、おじさんのカセットテープを「デートをするためのお金になる」と中古屋に持っていってしまったりする。おじさんがカセットを売ることを拒否すると、「金がなきゃ恋すらできないんですか?」と嘆く。

おじさんは結局後輩に現金を貸してあげるが、結果的にお金が足りず、そのカセットを売ってしまうことになる。

おじさんは、そうした個別事象に怒りこそすれ、その後輩に対しては極めてフラットな視線を向けつづける。その後輩が、公園のトイレの清掃中にいつも来る、障がいを持った少年と仲良くしていることを知ると、軽く微笑む。おじさんは、その後輩が資本主義や結婚至上主義の仕組みの権化なのではなくて、ただその仕組みを採用している、「少し短絡的で無責任だが憎めない奴」なのだと知っている。

おじさんは、海から顔を出すおおきな岩みたいだな、と思った。
今の世界を支配するいろんな秩序や仕組みのなかで、非効率で無意味な自分だけの小さなたのしみを守り、丁寧に、主体的に命を使う。その営みのなかで、少しずつ変化していくものを見つめつづける。

映画の最後に、作品内に何度も出てきた「木漏れ日」の言葉の解説があった。木漏れ日は日本独特の概念で、木の葉によって光や影のかたちが変わることを指し、"二度として同じ光景はない"と。

わたしは「繰り返す退屈な日々だ」と思っていた自分の感性のザルみを恥じた。コーヒーフレッシュの人工的なコクと甘みが残る水っぽいカフェオレだって、今日はじめて来た映画館だって、晴れ晴れとした天気とまぶたの裏に残る雲の影だって、2度として同じ体験はないわけで、そこに自分だけの「微笑み」の種を見つけることを怠ってはいけない。


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わたしが毎日飽きもせず寝て起きてはたらいて自分を磨くのは、この資本主義、情報資本主義下、外見至上主義、恋愛至上主義下においてその競争ルールを採用して生きているからであるが、その世界観を自分のすべてだと錯覚してしまうのは、とても貧しいことだと思う。

だからこれからは、変わらないように見える日々のなかで、甘いリップマスクで唇をぷるぷるにする瞬間を、毎日ゆらぐわたしを丁寧に見つめたい。どれだけ非効率でも無意味でも、ときめきと微笑みの火種を絶やさぬようにしたい。退屈な繰り返しを繰り返したらしめているのは、いつだってきっとわたし自身だから。

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