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都市に祝祭はいらないのか(眠りながら考えた (1))

『都市に祝祭はいらない』(平田オリザ著)という題の本がある。え、そうなの?と驚いて読んでみた。
どうも、都市=東京、祝祭=「ストレス発散のためのお祭り」、という意味であるらしい。
なあんだ。それなら、はじめからそう書けばいいのに。

「祝祭」って何だろう。「ストレス」って何だろう。

「祝祭」=「ストレス発散のお祭り」? まさか。

平田氏は書いている。
「例えば農耕社会ならば、草取り、稲刈りといった単調な生活の繰り返しがあり、その繰り返しのなかで、内面に過剰を抱えた人間がストレス発散の場として祭りを求めた。そこから芸能が生まれ、芸術が生まれた。」(『都市に祝祭はいらない』p34-5)

「私たちは、都市の様々な情報と刺激によって、身体感覚による判断から切り離される危機に常に直面していると言えるのではないだろうか。(中略)単調な日常から来る旧来のストレスとは異なるこの『都市のストレス』は、従来の、単なるストレス発散型の祭りだけでは解消できない。」(同p38)

ちょっと待ってくださいよ。
農業は単調だから、ストレスがたまるのでしょうか。都市生活のストレスは、情報と刺激の過多だけが原因でしょうか。
これでは、私の、レンゲ畑が害虫で全滅して苦しんでいる養蜂家の友人も、会社に寝袋で連日泊まりこんでクライアントに出す報告書を書いている友人も、浮かばれない。彼らが聞いたら、怒るより、あきれるだろう。

平田氏の想定している「ストレス」は、現実のほんの一部でしかない。
「ストレス」の想定がちっちゃいから、その「発散」のための「お祭り」の想定も、当然、ちっちゃくなる。そんなお祭り、たしかになくてもいい。
でも、少なくとも私の知るかぎり、「祝祭」という言葉は、はるかに豊かな使われ方をしてきている。

「祝祭」は必要だ。都市に、いや、私に。

私自身は、ストレスでいっぱいな人間だ。じゅうぶん恵まれた生活をしているのだから単なるわがままなんだけど、少なくとも、「情報と刺激の過多」よりは、もっといろいろなことで苦しんできた。はたから見れば平凡な不幸でも、本人にとっては、ちょっとした生き地獄だった。
あのとき平田氏の言うことを真に受けて、現代の芸術に「ストレス発散」はいらない、「救い」や「癒し」を求める観客はバカだ、と思いこまされていたら、ひょっとすると入院していたかもしれない。

だから私は、そういうことは言わない。私たちの舞台を見てストレスを発散してくれるお客さんがいれば、本望だ。
私自身が、「救い」や「癒し」や「祝祭」を必要とする人間だから。

つらかったとき、カウンセリングに通った。アロマ足つぼマッサージにも通った。でも、つらさは解消できなかった。
キッチンの床に座りこんで泣き、立ちあがってシンクに手をついて泣き、三歩歩いて泣いた。泣いても、なんの解決にもならなかった。

あるとき、舞台を見た。エディット・ピアフの生涯だった。小柄な女優さん(注:大竹しのぶさんではありません。ぜんぜん別の人です。)は走りまわり、歌い、悪態をつき、下品で、わがままで、まぬけとしか言いようがないくらい男運の悪いピアフを、全身で演じていた。
終幕近く、薬漬けでぼろぼろになって入院しているピアフを、彼女のファンだという青年が訪ねてくる(後にピアフ最後の伴侶となるテオ・サラポの役)。車椅子のピアフは聞く、「いい男?」うなずく看護婦。「じゃ、通して。」おずおずと青年が入ってくる。まだ四十そこそこのピアフ、老婆のように弱々しくせきこむ。青年はかけよって、そっと彼女の口もとをぬぐう。

会場の全員が、息をのんでいた。
じっさいにそういう出来事があったかどうかは、知らない。でも、そんなことは、どうでもよかった。何かが、ひとつの手とひとつの唇がふれあっている一点に、レンズに集められた光のように、集中していた。

誰の物語なのか、ということ。

数か月たってから、考えた。私は、カウンセリングでは、お金を払って自分の話を聞いてもらっていたのに、なぜ、劇場には、お金を払って他人の話を聞きに行ったのだろう?

そのときはわからなかったけれど、いまはわかる。
私が見聞きしたのが、「他人の話」じゃなかったからだ。
もちろん、私は、ピアフじゃない。スターでもなければ、薬漬けで入院したこともないし、優しくよだれを拭いてもらったこともない。

でも、舞台上のピアフが唇を拭いてもらった瞬間、なぜか、私自身が唇にふれてもらったような気がした。「生きててよかった」と痛いほど思った。思ったのは、私だったんだろうか、ピアフだったんだろうか。

観客たちの息が、一気に舞台に向かって流れ、役者の体をとおって、一気に客席へと逆流する。劇場へ来るまではにごってよどんでいた何かが、ほとばしって再生する。

それが祝祭だ。



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