見出し画像

「ムナーリのことば」と「レッジョ・アプローチ」

ブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari)は、イタリアの美術家です。
グラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、教育者、研究家、絵本作家など、ムナーリには多くの顔があり、イタリア本土では「ムナーリ園」という幼児学校があるほど親しまれている有名な方です。

日本ではあまり馴染はないかもしれませんが、美術館の図書館には、美しい仕掛けの施されたムナーリの絵本が沢山あります。
ムナーリに影響を受けているアーティストとして有名な方といえば、荒井良二さん。淡い色や鮮やかな色を組み合わせた絵本が有名な絵本作家でもあり、近年は大きな美術館を巡る個展を開催されている、私も大好きなアーティストです。

今日の話題は、この方のことばがあまりに美しかったので、オンラインで紹介したいな、というエゴ100%の記事となっております・笑

さて、同じイタリア繋がりで、私が幼稚園で行っている
「レッジョ・エミリア・アプローチ」
という幼児教育哲学も合わせてご紹介したいと思います。

レッジョ・アプローチは、日本で行われている自由保育と少し似ています。
一斉に活動する時間は朝の対話の時間だけで、その後はグループに分かれます。グループ内では、子どもの発案により「ダンゴムシの探求」や「木の葉の探求」など、いくつかのプロジェクトがあり、時間を区切らずに子どもの自由な発想で展開していきます。
また、自分たちの考えを、非言語コミュニケーションで表現します。
絵や、粘土、織物、ワイヤーアート、身体表現、演劇など無限の方法があり、使用する方法はあえて子ども達の能力に限界があると定義しません。子どもの可能性、興味を基軸にアートの専門家と相談しながら自由に決めていきます。

このような「自由な活動」を生み出すために一番大切なのが大人の関わりです。レッジョ・アプローチには活動を支える大人にとっての指針があり、常に勉強をしています。レッジョ・アプローチの理念を理解し、状況に合わせ工夫し続けるのが、アトリエリスタや担任の先生方の仕事となります。

100のことば、という創始者のローリス・マラグッツィの詩が有名です

冗談じゃない。百のものはここにある

子どもは百のものでつくられている
子どもは百の言葉を
百の手を 百の思いを 百の考え方を
百の遊び方や話し方を持っている
百、何もかもが百
聞き方も驚き方も愛し方も
理解し歌うときの歓びも百
発見すべき世界も百 発明すべき世界も百 
夢見る世界も百
子どもは百の言葉を持っている
(ほかにも、いろいろ百、百、百)

けれども、その九十九は奪われる
学校も文化も頭と身体を分けこう教える
手を使わないで考えなさい
頭を使わないでやりなさい
話をしないで聴きなさい
楽しまないで理解しなさい
愛したり驚いたりするのは
イースターとクリスマスのときだけにしなさい

こうも教える
すでにある世界を発見しなさい。
そして百の世界から九十九を奪ってしまう

こうも教える
遊びと仕事 現実とファンタジー
科学と発明 空と大地 理性と夢
これらはみんな共にあることはできないんだよと
つまり、こう教える
百のものはないと

子どもは答える
冗談じゃない 百のものはここにある

(佐藤学訳)

具体的な活動としては、個としての人間を尊重し、自由な発想をみんなで共有していくので、発達の遅れのある子どもや、言葉がうまく出ない子どもなども生き生きと表現することができる場となります。

レッジョ・アプローチでは、子どもの個性を大切にしますが、同時に一緒にいる保護者や教師などの大人達の興味や意識も大切にしていると感じます。
というのも、子どもが大人から刺激を受けて活動が発展するとき、大人は子どもにとって一番の環境でもあり、大人が子どもの言葉に学ぶことも多くあります。その場合、大人にとっての教師は子どもです。

私は、レッジョ・アプローチのアトリエリスタとして、ワークショップ型として活動の内容を考えて実行する仕事、そして子どもの言葉を受け止め、その素晴らしさを保護者の方々に発信するお仕事をしています。

いつも感動するのは、子どものささいな言葉と発想力です。
子ども達は宝物を持っている、と言われています。
教師は探偵であり、子どもに聴き入るべし。
そんな厳しい一面も持つ、教育哲学です。


実は、教育という面では、ブルーノ・ムナーリも興味があったようで、
「ブルーノ・ムナーリ・メソッド」
を残されています。
ムナーリ・メソッドは、私自身とても興味のあるものなのですが、国内の文献がかなり少なくほんの一部しか知りません。
しかし、美術の本質に迫る「線のワーク」「紙のワーク」など、レッジョ・アプローチとも共通する素晴らしいワークが多くあります。
こどもまなび・ラボさんのページに詳しく書かれているのでリンクを貼ります。

“現代のダ・ヴィンチ” が開発。考える力を育み、アートで人を育てる「ブルーノ・ムナーリ・メソッド」 (kodomo-manabi-labo.net)

実は、私自身もワーク内容を考えるにあたり、ムナーリ・メソッドも取り入れたことがあります。そのときは一年目だったので、私が未熟者で難しかったのですが、何事も経験。担任の先生との連携という意味でも難しいワークだったと記憶しています。現場はチャレンジの連続です、いろいろと問題も多いので、今度は準備万端で挑みたいものです。。

さて、そんなムナーリですが、レッジョ・アプローチの創始者のローリス・マラグッツィとの交友はなかったようなのです。

同じ年代(1800年代後半)に、同じイタリア国内で行われていた教育にもかかわらず、交流がなかったということは、理念に違いを感じておられたのではないかと推察します。
ムナーリの個性的な絵本を見ると、いろんな思いがあってお二人は交流されなかったのかな?とは思いますが。。

後年建てられたレッジョ園の中に「ムナーリ園」という名前の園があるそうです。これは、幼児教育学校を作るにあたり、市民の意見により決めた名前のようです。実は、jireaの研修でこれをお聞きし、講師のカンチェーミさんに直接質問してお返事を頂きました。

なんとも心温まる話で、私はとても感動しました。
アーティストと、かたや政治家的な面も背負っていたマラグッツィですが。
現代を生きる私たちにとってみれば、どんな教育方法も、子ども達にとって良いものであれば利用すればいいよね、と思うのです…!
こういうざっくりしたところもないと推進力は生まれないのではないかと思います。
(もちろん、モンテッソーリを生み出したマリア・モンテッソーリも重要な人物です。レッジョの発展の礎には、モンテッソーリの理念があります)

最後に、ムナーリの言葉を。。

無理解

芸術作品を見るとき
人は誰しも その中に
自分自身の世界を 見つけたいと願っている
けれども芸術家は
生涯 それを理解せず
芸術家自身の世界を 知らしめようとしてしまう

(ムナーリのことば 阿部雅世訳 平凡社)


ムナーリの言葉から、芸術の本質が伝わってきます。
芸術の本質には、作品を見る相手がいる。
芸術を志す者にとっても厳しい言葉だと思います。
何を伝えるのか。伝わるのか。
対話、グループ活動を重視する幼児教育により、
さまざまな可能性が広がりそうだなと感じています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?