映画日誌’21-06:私は確信する
trailer:
introduction:
フランスで実際に起こった未解決の“ヴィギエ事件”をモチーフにした法廷サスペンス。遺体や証拠もないまま妻殺害の容疑をかけられた男の裁判をめぐり、彼の無実を証明すべく奔走する弁護士らの姿を追い、フランス特有の司法制度の問題点をあぶり出す。監督はこれが長編デビューとなるアントワーヌ・ランボー。主演はコメディエンヌとしても人気の高いマリーナ・フォイス、実在の弁護士デュポン=モレッティを『息子のまなざし』などのオリヴィエ・ グルメが演じる。(2018年 フランス,ベルギー)
story:
2000年2月、フランス南西部トゥールーズ。ある日、38歳の女性スザンヌ・ヴィギエが3人の子供を残して姿を消した。夫である大学教授のジャックに殺人容疑がかけられ起訴される。明確な動機がなく、決め手となる証拠も見つからなかったジャックは第一審で無罪となるが、検察に控訴され、第二審で再び殺人罪を問う裁判が行われることに。彼の無実を確信するシングルマザーのノラは、敏腕弁護士デュポン=モレッティに弁護を懇願。自らも助手となって250時間の電話記録を調べるうちに、刑事、ベビーシッター、スザンヌの愛人らの証言がそれぞれ食い違っていることに気付き、新たな疑惑が浮かび上がってくるが...
review:
当時、“ヒッチコック狂による完全犯罪”とメディアがセンセーショナルに報じ、偏向報道と世間の声が証拠不十分の人物を容疑者に仕立て上げた“ヴィギエ事件”の第二審が舞台だ。2000年2月、妻のスザンヌが3人の幼い子どもを残して忽然と姿を消すが、破綻した夫婦生活や失踪の届出状況から夫ジャックに疑惑の目が向けられる。ちなみに映画の謳い文句にもなってるヒッチコックは映画の内容とほとんど関係ない。
フランスの司法では、確たる物証がなくても疑わしい状況証拠があれば殺人罪で刑事告訴されることがあり、陪審員の判断によっては有罪判決となる可能性がある、ということに驚かされる。遺体もなく、目撃者も自白もない。ジャックが犯人だという証拠も犯人ではないという証拠が無いにもかかわらず、「疑わしきは罰せず」という推定無罪の原則が無視されてしまうのだ。
父ジャックに殺人容疑をかけられたことで人生を狂わされたヴィギエ一家の苦悩、ジャックの無罪を確信し、敏腕弁護士デュポン=モレッティに弁護を懇願し、自らも助手となって事件にのめりこんでいく主人公ノラの姿が映し出される。展開もスリリングだし、物語もそこそこ面白い。でも、どうしてノラが子育てや仕事やパートナーとの関係を犠牲にしてまでジャックの無罪にこだわるのか、さっぱり分からんのじゃ・・・。もっと言えば、証拠もないのに検察がジャックの容疑にこだわる理由も不明なのである。
ただ、250時間にも及ぶ通話記録を分析するうちに事件の真相に迫る快感を覚え、自分の「確信」にとらわれてしまったのだろう。客観的に観ている私たちでさえ、ノラが真犯人であると確信した人物に対して疑惑を抱き、彼が司法に吊し上げられるクライマックスを期待して興奮を覚えてしまう。彼が犯人である確固たる証拠もないのに、である。これこそが、この映画の真骨頂だろう。
デュポン=モレッティ弁護士は憎しみの感情に囚われ正義感が暴走するノラに、「これはジャックを無罪にする裁判だ」と諭す。真犯人をあぶり出そうと躍起になるノラと、同じくそのエンディングを期待していた我々は、ジャックを容疑者へと仕立て上げたかつてのメディアや大衆と同じなのだ。そして陪審員のひとりひとりに訴えかける、デュポン=モレッティ弁護士の最終弁論へとつながっていく。って気付いたのは暫く後で、観終わってすぐはノラさん何のために...とだけ思っていたのは内緒である。
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