佐京、noteを始める。
今日は、そもそもなぜ私がnoteを始めたのか、ここでなにがしたいのかをしたためておきたい。
まさに「なんで、私がnoteに。」ということである。
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そもそも私が予備校講師を目指したきっかけは、高校3年生のときに受けた”師匠”の講義であった。
淡々と、しかし時には熱く語られる「日本」史は、それまでの私の常識を覆す、刺激的なものだった。数十分の延長を「前提」に、何度も何度も「脱線」する講義に、いつの間にか私は虜になっていた。
”師匠”の講義は、受験日本史の内容を非常にわかりやすく、噛み砕いて教えてくださる・・・だけではなかった。
「社会に対する鋭いまなざし」を持ちながらも、同時に「人間に対する愛」にあふれる、そんな魅力的な講義だった。
もっとこの人の話を聞きたい。
受験日本史に全く関係のない話でもいい。いや、むしろそっちのほうが聞いてみたい―。そしてもっと考えたい。一緒に社会に怒りたい。不条理と闘いたい。闘うだけの武器=知識が欲しい。自分なりに一生懸命考えたことを聞いてもらいたい。
そう思って、何度も質問にいった。
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時がたって、私も授業を仕事にするようになった。
ただ、18歳の私が受けたような講義を、学生に提供できているかは甚だ疑問である。というか明白である。できているわけがない(笑)
ただ、私は私の授業を本気で面白いと思ってしゃべっている。そして年々、大学生になっても先生の授業を受けたいですとか、おすすめの本はありますかとか、大学でこんな勉強をしているんですけど先生はどう思いますかとか―そんな言葉をもらうことが少しずつ増えてきた。
授業時間には制約がある。私も延長はするが”師匠”ほどはしない(笑)
そうであれば、佐京の授業をどこかで受けたことがあったり、佐京にどこかしらで興味をもってくれた人に、そしてさらにあわよくば佐京のことなんかは知らないけれど日本史には興味があるぞという人に、
私の考えていることを開陳する場があってもよいのではないか、そんなことを思うようになった。
私が”師匠”の話を聞きたいと思ったときに”師匠”の noteがあれば読んでいただろうし。
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自分が未熟者であることは重々承知している。
でもそれは私の頭のなかをnoteに書いてはいけない理由にはならない。
いつまで続けられるかは正直わからない、けれど、
いろいろなテーマで、さまざまなボリュームで、私の考えたことをここに書き留めておきたい。
私が発信することで、読んでくださっているあなたにとって、そして私自身にとって、いつか何かの「きっかけ」を生み出すことができれば幸いである。
日本史科 佐京
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