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あなたのことを、つれづれに No.6

No.6 やぎさんの家

 地下鉄を終点で降りて長い長い階段を上がると、右手に比叡山がそびえ立つ。
 片側二車線の見通しのいい道路の両端には、同じように広々とした歩道が伸びている。コンビニ、某有名なファーストフードのお店にファミリーレストラン。私立高校のグラウンドでは、少年たちのかけ声が跳ねあがる。そんな大通りからひと筋それると、ゆっくりと時間が流れているような住宅街があり、ところどころに田んぼの緑や畑の土が点在している。やぎさんの家はそんな町の一角にあった。

 築年数の古いアパートは、昭和の匂いがした。玄関の前でうなる洗濯機、飴色の床、障子の向こうの畳の匂い。大学に自転車で通えるこの町には多くの学生が住んでいて、やぎさんもアパートで一人暮らしをしていた。やぎさんはサークルの先輩で、毎月の活動が終わるとたいていサークル仲間たちはやぎさんの家に集まった。玄関の扉をくぐると台所があり、棚には老舗喫茶店の赤い缶が常備されていて、ドリップコーヒーの香りがふわりと漂った。
 日が暮れると、大家族の食卓のようなどっしりとしたテーブルに、大皿に盛られたおかずが次々に並べられていく。テーブルを拭くひと、皿を運ぶひと、お茶を淹れるひと、丼鉢にいっぱいの納豆をひたすらかき混ぜるひと、台所で料理をするやぎさんの背中の向こう側では、役割分担が決まっているかのように着々と夕食の準備が進められていった。
 そんな夕食には、ときには「初めまして」のひともいた。知り合って数時間のひとと食卓を囲み家族の一員のように並んでテレビを眺めているのだから、やぎさんの家はいつ誰と出会えるかわからない、ちょっと不思議な空間でもあった。

 大通りに面した私のアパートから、やぎさんの家は自転車に乗ってすぐの距離だった。同じようにサークル仲間の数人が近所に住んでいて、やぎさんからメールで『冷凍庫にホタテがあります』と連絡をもらうと、いそいそとペダルを漕いだものだった。
 冬の夜、同級生たちとやぎさんの家に集まって、あの大きなテーブルを占拠した。茶色いテーブルに散らばった白い用紙(ゼミの志望書)と格闘する私たち後輩を、徹夜で見守ってくれたやぎさんは、料理上手なだけでなく太平洋のように広い心の持ち主でもある。

 季節はめぐり、やぎさんが卒業して、その家がやぎさんの家ではなくなった後も、私の心にはあの家の明かりが灯っている。それは「家族」という言葉が、かたちとなって現れたような家だった。世界中のいろんな町にやぎさんの家があるのだろうし、どんな町にもやぎさんの家があったほうがいい。あの大学時代、比叡山を見上げる町にやぎさんの家があったことは、食卓を囲んだ誰の胸にも小さな明かりを灯してくれた。

(2021.8.1 左京ゆり)

やぎさんの家
京都市を北上した住宅街にある木造アパート。かつてやぎさんが住んでいた。

※この記事は自分のWebサイトからnoteに転載したものです。記載内容は2021年時点のものとなります。

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