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『魔道祖師』を語りたい! -感想・考察・こぼれ話-


<はじめに>

 2023年8月某日、私はふと「普段とは違うジャンルの小説を読んでみたいな」と思い立ち、『魔道祖師』を手に取りました。二年前に日本語版が発売されたとき、SNSで話題になっていたのを思い出したのです。でも、中華ファンタジーもBLもあまり馴染みがないジャンル。とりあえず冒頭だけ読んでみよう……と数ページ試し読みしたところ(んんん?!?)と心の中で叫びました。なにこの小説……めちゃくちゃ面白いんですけど!!! 貪るように読み進めて、一気に最終巻まで駆け抜けました。完膚なきまでに打ちのめされて跪いた私は、この熱量を覚えておきたくて、この文章を書いています。既読の方、ぜひ一緒にご覧いただけたら嬉しいです。未読の方、完全にネタバレしていますので、ぜひ今後の楽しみのために回れ右してください。

※最初にごめんなさい。全部で約2万字です。私は普段小説を書いているのですが、短編一本分の長さです。パスカル先生は友人に長い手紙を書いたあと、短く書く時間がなくてごめんと述べていたそうですが、熱量のままに書いた私は当初の感動をそのまま残したくて削れませんでした。スクロールに疲れたら好きなだけ私を罵ってください。
(2024/3/4追記 読み返してみたら、ちょっと語りすぎてて恥ずかしい…MXTX先生初読み読者の熱量としてご覧いただけましたら幸いです)

●物語の流れ ※各編は仮称(巻-章)
【現世編】
莫家荘(1-2)→ 大梵山(1-3)→ 雲深不知処(1-4)→ 清河(1-5・6)→ 櫟陽(1-7)→ 義城(1-8/2-8・9)→ 蒔花女の花園(2-9)→ 百家清談会:金鱗台(2-10)→ 雲深不知処(3-14)→ 乱葬崗(3-14・19)→ 蓮花塢(3-19/4-19)→ 雲萍城(4-20)→ 観音廟(4-21・22)→ 雲萍城のはずれの林(4-23)→ 広陵(4-23)

【前世編】
雲深不知処:15歳(1-4)→ 義城・金光瑤が仙督の頃(2-8)→ 百家清談会・温家の弓比べ:15歳(2-9)→ 射日の征戦(2-10)→ 暮渓山・屠戮玄武:17歳(2-11)→ 蓮花塢(2-12/3-12)→ 射日の征戦(3-13)→ 百鳳山巻狩場:20歳(3-15)→ 雲夢(3-15)→ 蓮花塢:10歳頃(3-15)→ 金鱗台・宴席(3-16)→ 窮奇道(3-16)→ 乱葬崗(3-16・17)→ 窮奇道(3-18)→ 血の不夜天(3-18)


<感想>

第1巻〜第4巻

●第1巻
・冒頭から会話で世界観が説明されているので、ファンタジー作品に慣れていない読者でも物語に入りこみやすい。

・主人公、前世では嫌われ者だったけど、コミカルでいい奴そう。有名な世家で彼の発明品が使われていたり、それを痴れ者のふりをして点検したり……って実はかなり優秀なのでは? ぱっと見、足蹴にされて立場が弱そうな主人公の隠された実力(莫家はもちろん、姑蘇藍氏より強そう)が分かって、今後の展開にワクワクしてしまう(みんな大好き「最弱主人公が実は最強でした」!)

・ジャンルがBLなので、藍忘機と主人公は恋愛関係になるはず……でも藍忘機はつんつんしてるし、主人公も恋愛感情は皆無だし(いや、敵同士?)ここからどう発展していくのか、二人の恋愛も気になるところ。

・最初に(……あれ?)と思ったのが、金凌と出会った大梵山。主人公は失言に気づいて「自分の心が盤石のように揺るがないと強がったところで、結局人間は草木のように無感情にはなれない」と内心でつぶやく。ずっとコミカルだった彼が、初めて心の柔らかな部分を見せた場面。この小説は面白いだけじゃなく、こんな繊細な感情も掬いとってくれるんだ、と引きこまれた瞬間だった。

・驚いたのが、第四章を読んだとき。(……んんん? 江澄、藍忘機、あんたたち、主人公の敵じゃなかったの? 仲良しやん!)と心の中で突っこみを入れた。彼らは敵同士だと思っていたのに、この回想を読んで序盤の人間関係がひっくり返された。ここでまた物語に対する印象が変わって、魅了された。

・主人公が金凌に「お前もいつか、泣きながら言う日がきっとくるよ」という台詞。尊大でわがままな金凌の成長を示唆する言葉だと思い、どう変化するのかな~と楽しみになった。

・酔った藍忘機がかわいい。なるほど、お酒の場面で恋愛が進んでいくのか~と納得。緊張をはらんだ場面が多い物語のなかで、楽しく息が継げる場面の一つ。

・義城の場面から、物語が深く潜っていくように感じた。主人公が藍思追たちの先生みたいな立場になるのは、ワイワイして楽しい展開。最後の「う、し、ろ、の、ひ、と」のクリフハンガーは鳥肌ものだった。

●第2巻
・ここから暁星塵たちの物語も展開していき、物語が二重奏のようになる。一巻までは「軽快な冒険活劇」といった雰囲気の小説だったが、印象ががらりと変わった。当初の想像よりもずっと深みのある展開に、どんどんのめり込んでいく。

・抹額の場面、にやにやしてしまう(みんな大好き「秘密の関係が露わになって周囲がびっくり」な展開!)。

・主人公と藍忘機が、金光瑤の寝殿に向かう場面は、読者としては「罠じゃないかな~」とハラハラしてしまう。案の定、夷陵老祖の正体がバレてひやひや……と思ったけど、主人公は逃げている間も「あああ、怖い怖い怖い、まさか……」と、おどけた調子のモノローグ。主人公の飄々とした人柄のおかげで、物語がときに暗く重く悲しみに沈みかけても(褒めてます)手が止まることなく、安心して読み進められた。

・11章からは暮渓山。辛い辛い前世編の始まりです。なんて初回では分からなかったけど、王霊嬌が蓮花塢を訪ねてきた場面からもう、嫌な予感しかしない。正直、物語中でさらりと言及されていた「射日の征戦」が主人公にとって、これほど辛い話だとは思わなかった。あと、序盤では藍忘機との絆なんてないように見えたけど、互いに命を庇い、庇われ、敵を討って助け合って(……あるやんけ、絆ーーー!!!)と内心で叫んだ読者は私です。

●第3巻
・王霊嬌と温晁の最期は残虐な場面が続くが、嫌悪感は抱かなかった(私は基本ホラーもグロも苦手)。淡々と観察するような描写だからか。

・14章で言及された温氏の子どもは、悲しいエピソードだと思っていた。まさかあの人に繋がるとは、この時点で全く予想がつかなかった。

・17章はタイトル(漢広=含光)からたまらない(最後まで知った上で読み返すと、もう情緒がぐちゃぐちゃになる……)。

・19章で現世編に戻ってからは、さらに戦いが始まり、主人公は再び孤立していくんだと思っていた。前世と違って、藍忘機が隣にいることが唯一の救いなんだと。だけど予想に反して金光瑤の悪事が暴かれて、主人公と藍忘機がみんなを救う展開になってびっくりした。思いがけないカタルシスを味わえた。

・初回では物語を追いかけるのに必死で、あまり泣く場面がなかったが(むしろ、物語を全部知ってからの二度目、三度目の方が泣けた)、後述する温寧の汁物の場面と、血の池の温氏の人びとの場面は泣いてしまった。この物語の中で、彼らは権力に翻弄される民の象徴のようで、その精一杯の生きざまに涙がこぼれた。

●第4巻
・温寧が明かすまで、主人公が剣を佩かない理由を気に留めもしなかった。完全に意表を突かれた場面だった。確かに三巻で「金丹の復元なんて出来るんだ」とは思ったものの、そのままスルーしていた。だからこそ、主人公は鬼道を選ばざるを得なかったんだ。そう思うと、ずっと知らずにいた江澄も、一人で隠し通していた主人公も、それを知った藍忘機も、それぞれの気持ちを想像するだけで胸が苦しくなった(後から「苦痛なのか」と温寧に尋ねた藍忘機のことを思うだけで、もう泣きそう……)。

・観音廟の場面、ここで初めて「あ!そうだ、この小説はBLだった!」と思い出した。てっきり「好きだ!」とかそういう類の告白だと思いきや、まさかの……!!! いきなりぶっこまれたコメディ展開、私は好きです。

・藍忘機の戒鞭の理由は、読みながらいくつか想像していた。主人公の魂をかき集めようとしたとか? 藍思追を門弟にするためとか? だけど、ここまで直接的に主人公を助けたとは思わなかった。もう読者が代わりに泣いておきます……。

・この観音廟から、さらにもう一戦あるのかと思っていた。最終決戦は(血の不夜天のように)世家総出となって金鱗台で戦うのだろうと。でも総力戦の山場は三巻の伏魔洞の戦いで、観音廟は伏線回収の場なんだと気づいた。主人公VS金光瑤でも、金光瑤VS四大世家でもなく、金光瑤VS聶懐桑なんだ、と驚いた。
(主人公たちも戦っていますが、この場面の一番の対立は、金光瑤と兄を殺された聶懐桑の(心理戦も含めた)個人戦だと思っています)

番外編/総論

●番外編
・たぶんみんな大好き「香炉」(綿谷りささんも言及されてましたね)が一番の衝撃だった。この話、作者さんの手腕が光ってるなあと思う。一般的には、藍忘機の夢の話として(読者がのぞき見るように)書かれることが多いのでは、と。それを香炉というアイテムを使うことで、15歳の藍忘機と主人公の情事を35歳の彼ら(と読者が)のぞき見るという、非常にやらしい話に仕立てられている。しかも、これがもし本当に起これば犯罪行為だが、あくまで「夢の話」として処理されている。とても嗜虐性の強い性行為を、倫理的に正しくあろうとする藍忘機の人格を損なわずに描かれている点が、凄いなあと思った。
(含光君、わりと嗜虐性がありますね。よく噛みつくし、作者さんのWeiboでは「縛るのが好き」と書かれてますし……このギャップがまた読者を抉ってきますね~)

・正直、この小説のラストは、①主人公は再び孤立する ②主人公と藍忘機は世家から追われて旅に出る、のどっちかかなーと思いながら読んでいた。ただ前世とは違い、①なら藍忘機と②なら藍思追や江澄たちと、たまにこっそり会えるのが救いとなるのかな、と。だから番外編で、主人公が姑蘇藍氏に迎え入れられて、藍思追たちの先生のような居場所も得て、藍忘機とともに過ごせているのが嬉しくてたまらなかった。主人公も藍忘機も、報われてよかったね……としみじみと感慨深い番外編でした。

●総論
 この小説で、最も惹きつけられた要素はギャップでした。

 まず、世間からは「残虐非道」と罵られている主人公ですが、その言動から実際は陽気で思い遣りがある人柄だと分かります。この人物像が一つ目のギャップです。加えて、序盤はとても軽く読めるんです。物語の目標も明確で、「莫玄羽の復讐を果たさなければならない」と提示されています。しかしそれは仮の目標に過ぎず、主人公はすぐにクリアします。次に提示される「左手のお兄さんの正体を突きとめる」ことが、物語の核心に迫る目標であることが分かります。それに沿って話が展開されるため、読者は主人公と目標を共有しながら読み進めることができます。
(なお、主人公は軽妙な語り口ながら、序盤ではさまざまな情報を(読者に対して)クローズドにしています。藍忘機や江澄との絆、失った金丹……これらの情報が明かされることで主人公への印象ががらりと変わり、このギャップも巧妙な仕掛けだと思いました)

 物語は、現世編と前世編の二つの時間軸で進んでいきます。これが二つ目のギャップです。

 この展開にハマった読者が多いのではないでしょうか(私もその一人)。なぜなら……前世編が進めば進むほど、序盤の軽妙なイメージが覆り、どんどん深みを増していくからです。一冊の本を、最初から「これはシリアスな物語だぞ」という心構えで読むのと、ライトな語り口の物語を読んでいたはずが気づけば深すぎて溺れそう……という展開になるのとでは、感情の揺さぶられ方が違います。もちろん、あまりに重たすぎれば読者が離れてしまいますが、主人公のユーモアのある言動は終始一貫していて、ぐいぐい読者を引っ張っていってくれます。その語り口と展開される物語のギャップが非常に巧みであると思いました。
 集英社さんの「すばる」のインタビューにもあるように、この展開は作者さんの意図したものでしょう。ジェットコースターのように物語が展開することで、読者は飽きることなく読み進めることができるからです。

 また、正直なところ、前世編は辛すぎます。なにしろ家族も地位も、仲間も実力も持っている主人公が、それを一つずつ失っていく物語だからです。この小説では繰り返し「凌遅」という言葉が登場しますが、前世編は、まさに主人公にとって凌遅のような人生です。それを読む読者の心もまた、凌遅のように削られていきます。だからこそ、この小説が現世編から始まり、前世編と交互に展開する構成は見事です。前世編とは反対に、現世編はすべてを喪失した主人公が、一つずつ取り戻していく再生の物語です。この再生が最初に提示されているからこそ、読者は辛い前世編にも耐えることができるのです。
(また、辛い前世編のなかでも、夷陵で藍忘機と食事をしたり、江厭離の花嫁姿を見たりと、折々に木漏れ日のようなエピソードが挿入されています。そしてそれが終わる度に、主人公はさらに辛い状況に追い込まれていくという……藍忘機が「ありがとう」を聞きたくない、という気持ちがよく分かりますね……)

 この小説は神視点で語られています。大河のような物語に、この視点はぴたりとよく嵌まっていました。一巻の序盤と四巻の終盤では、世間の人びとの会話が展開されています。そして終盤では、一人の名もない少年が「陰虎符」について尋ねています。金光瑤の死も歴史の一幕に過ぎず、再び第二、第三の金光善や薛洋が生まれるかもしれない――そんな未来を示唆する場面は、あたかもカメラのレンズが主人公たちから離れ、物語を俯瞰するような描写です。主人公たちにも、金光瑤にも聶懐桑にも、どの人物にも行動原理があり、その善悪、正否はひと口に語れるものではありません。物語は彼らに焦点を当てて展開されていきましたが、その人生さえも長い歴史の一遍に過ぎない――そんな作者さんからのメッセージのように思えました。最後にレンズはまた主人公と藍忘機に戻り、歴史に揉まれながらも、懸命に生きる個々の人間たちを映し出しています。そのラストはこの小説に相応しく、心から拍手を送りました。


<考察>

主人公の魅力/藍忘機の恋愛感情の変化

●主人公の魅力
 この物語の強い求心力は、まず主人公の魅力にあると思います。世家公子の風格容貌格づけで第四位、鬼道では右に出る者がいない夷陵老祖、粋で軽妙な人柄――魅力あふれる彼ですが、私が最も魅了されたのは彼の優しさでした。序盤から、彼はややもすれば軽薄な口調で、気楽なお調子者のように振る舞っています。この気質は前世のときから変わりません。しかしその陰で、彼はいつも他者を気にかけています。

 一巻では、召陰旗の描き方が間違っていないかを確認し、井戸からロバを遠ざけて、金凌への心無い言葉を後悔して後に謝り、天女像から彼らを助けます。冷泉では藍忘機の衣服を乱すのを忍びなく思い、(左腕を放たれた責任に)うなだれる藍思追を励まし、金凌から悪詛痕を移し、藍忘機の前では(姑蘇藍氏の人間を手にかけた)温寧を呼ぶのを控えます。
 二巻では、(自我を取り戻して)跪く温寧に一緒に跪いて見せ、金凌にケンカの仕方を教え、暮渓山では足をケガした藍忘機に声をかけ、温晁を捕らえ、綿綿をかばって焼印を受けます。
 三巻では、江澄のために金丹を譲り、温寧たちを助けるために窮奇道に向かい、彼らを守るために雲夢江氏と決別します。そして再び現世では、自らが召陰旗となって人びとを守ろうとします。そんな彼を血の池から飛び出て助けた温氏たちに、頭を下げて礼を述べます。
 四巻では、宿で自ら湯を沸かして桶を運び、番外編では、金凌を気にかけて茶屋で話をします。命がけのものから些細なものまで、枚挙にいとまがありません。

 彼のそんな優しさは、ともすれば「巻き込まれ主人公」になる可能性があります。四巻で金光瑤が触れたように、「義侠心に厚いことは、至るところで恨みを買う」ことにも繋がり、現に彼とは無関係の、金子勲と蘇渉の因縁から窮奇道の悲劇が起こりました。だけど、考えてみてください。藍忘機を、綿綿を助けず、金丹を失った江澄に見て見ぬふりをし、温寧を見放す主人公――そんな想像ができるでしょうか。彼の魅力はまさにこの優しさにあり、そうでなければこの物語は成り立ちません。だからこそ、彼の悲劇は(金光瑤の言葉の意を借りれば)「起こるべくして起こった」とも言え、どうしても避けられなかったからこそ、余計に読者の心に訴えかけるのだと思います。

 また、主人公のもう一つの魅力は、繊細さです。一見、奔放で豪気な彼とは相反するような一面が、彼の人物像に深みを与えています。
 三巻の乱葬崗で、「誰か俺に上手く歩ける道をくれないかな。鬼道に頼らなくても、自分が守りたいものを守れる道を」とこぼした台詞。窮奇道の暴走後、「最初から、この道を選ばなければ良かった」と漏らした後悔。「ふいに、ある恐ろしい考えが心の底から湧き上がってきた」と生まれた弱さ。四巻の蓮花塢で、「もし誰かが受け止めてくれたなら、それ以上のことなどない」という、いたいけな言葉。金丹について、「本当のところ、彼はそこまで物事にこだわらない人間ではない」という言葉。こんなぽつりと零れた言葉もまた、強く印象に残っています。
(このように、軽妙で優しく繊細な主人公ですが、「射日の征戦」では非常に残酷な一面が現れます。その正否はともかくとして、このギャップもまた、彼の魅力の一部であることは否定できません)

 ところで、主人公はいつから藍忘機に恋愛感情を抱き始めたのでしょう。そのヒントになるのが、二巻の暮渓山の、「人とくっついたり触れ合ったりすることが好きなのだ」という一文だと思います。彼はおそらく、(幼少時の孤児の経験からか)他者に甘えたり、接触したりする行為に喜びを感じるタイプの人間です(一方で、藍忘機が他人と接触したくないというのも興味深いですね。水と油…)。基本的には異性愛者ですが、自分に好意を寄せてくれる相手であれば、同性であっても恋愛対象となるバイセクシャルの性的志向もあったのでは、と思います。そんな彼がずっと藍忘機と行動を共にし、その思い遣りに触れることで好意から恋愛感情へと発展していったのかな……と想像しました。

●藍忘機の恋愛感情の変化
 前世では、主人公は藍忘機に対して恋愛感情を持っていません。一方、藍忘機は約20年間(!)片思いをしています。そのうえ、命がけで主人公を助けたにもかかわらず、当の相手は覚えていないという……見返りを求めない彼の代わりに、全読者が沢蕪君に拍手を送ったはず(お兄ちゃんぶっちゃけてくれてありがとう……!)
 ただし、藍忘機の恋愛感情もずっと同じではなく、前世で主人公が亡くなるまでに多くの葛藤があったのだろうと推測します。恋心を秘めていただけではなく、「正しくないもの」として否定していたのではないかと。主人公に冷徹な態度を取ってみたり、衝動的に口づけをした後で自分に怒ってみたり。しかし血の不夜天に至り、ついに彼は主人公を助ける道を選びます。初めて、自分の心に忠実に行動した瞬間だったと思います。
 ではなぜ、この時点で藍忘機は主人公の傍を離れたのか。それはあくまで彼の片思いであり、主人公にとって自分は必要な相手ではない、と判断したからではないでしょうか。結果として、藍忘機は主人公の訃報に接します。彼の後悔は計り知れません。
 その後悔を経て、彼は現世の主人公にどこまでも寄り添うと決めたのだと思います。前世の主人公とは乱葬崗で別れましたが、彼はすべてを投げうってでも現世の主人公の隣に立ち続けます。その結果、主人公は独りではなくなり、前世とは違う未来を迎えます。現世の二人の恋愛は、前世での辛い経験があったからこそ叶えられた。そう思うと、前世で彼らが受けた痛みが少しだけ、和らぐような気持ちがします。

 では、彼の方はいつから主人公に恋心を抱くようになったのか。これは想像ですが、最初の出会いから強烈な印象を残し、一目惚れのような存在だったのではないかと思います。主人公の容姿に加えて彼を惹きつけたのは、その人柄ではないでしょうか。主人公は悪びれもせず、一切の遠慮もなく藍忘機に接します。雲深不知処で、そんな態度をとる人間は一人を除いていなかったはず――その一人とは、そう、彼の母親です。三巻で藍曦臣は、「母はとりわけ忘機をからかうのが好きだった」と述べています。主人公の言動は、否が応でも彼に幼少時を思い出させ、その心を動かしたのではないでしょうか(主人公と母親を重ねているわけではなく、懐かしい記憶が呼び覚まされて、どうしても意識せざるを得なかったという意味で)。また、藍曦臣は「忘機は、子供の頃からかなり執念深いところがある」とも述べています。彼が20年間ひたすら主人公を思い続けた背景として、説得力が生まれたひと言でした。
 また説得力といえば、姑蘇藍氏の人びとは、意外とあっさり主人公を受け入れてくれます。その背景として、開祖の藍安が還俗して道侶を見つけたり、藍忘機の父親が一族の敵となった愛する女性を助けるために結婚したりと、作者さんが前例を作っている点も巧みだなと思いました(そんなご先祖様たちがいれば、藍啓仁も「……まあ仕方ないか」と諦めの気持ちが生まれますよね……)。

 二人が両思いになるまで、酔ったときと性的な場面を除けば、藍忘機が積極的に恋愛感情を表す場面はさほどありません。その代わり、ささいな言動で主人公への思いが露わになる場面が多くありました。

 一巻では、聶懐桑の石室から二手に分かれる際「必ず行くから」と言う主人公を、彼は目に焼きつけるように見つめます(前世での度々の別れを思い出し、もう二度と会えないんじゃ……と不安がよぎったんですかね……涙)。金凌の悪詛痕を移した主人公に「……ほんの数時辰離れただけなのに」とぽつりと言います(涙)。石室では、主人公が遺体の下衣を脱がせるのが(たぶん)嫌で「私がやる」と言って聶懐桑を愕然とさせてみたり、酒場では、主人公の肩に手をかけた雇人を睨んでみたり(……嫉妬! 綿綿の匂い袋もですね)。
 三巻の前世編では、温晁の宿場で再会した主人公に「私と一緒に姑蘇へ帰るんだ」と切り出しますが、「他人にいったいなんの関係があるんだ?」と主人公に突き放されて、言葉を失います(他人どころか、誰よりも大切に思ってるのに……涙)。とどめに江澄から「他の誰かと一緒に帰るとしても、それは決してあなたとではない」と言い切られ、固まります(涙)。二人から追い払われた後も、宿場をずっと見守っています(……涙)。
 雲夢で再会した際も、「魏嬰、やはり私と一緒に姑蘇へ帰ろう」と繰り返します。金鱗台では、藍曦臣に「連れ帰り……隠します」と告げます(これはもう、完全に父親の行動をなぞらえていますよね)。主人公を咎める金光瑤に対して「彼は間違ったことを言いましたか」と返し、「(魏公子は)心に大きな変化があったようだな」という兄の言葉に、瞳に悲哀を滲ませます。その後、金光善の作り話には「聞いていません」ときっぱり否定し、主人公を庇った綿綿に礼をします。
 血の不夜天では、主人公から「どのみちお前はずっと、俺のことを目障りだと思ってただろうしな」と言われ、「魏嬰!」と声を震わせて怒鳴ります(……もう言葉もない)。姉に駆け寄る主人公を、目を充血させて目のふちを赤くしながら引き寄せます(藍忘機も読者も泣いてる)。最後には、なりふり構わず主人公の元へ走りますが、その途中で主人公は少年の首を折り、陰虎符を取り出します(ここから四巻の藍曦臣の述懐へ)。
 四巻(述懐)では、主人公を連れて不夜天城から逃げ、夷陵の洞窟に隠します。主人公に「失せろ!」と言われながらも、その手を握って霊力を送り込み、ずっと小声で話し続けます。そして主人公を守るために姑蘇藍氏と戦って、乱葬崗に送り届けた後で戒鞭の罰を受けます。

 こうして振り返ってみると、おそらく彼の恋愛感情が変化したのは、鬼道を選んだ主人公を「姑蘇に連れて帰りたい」と思った瞬間だったのかなと気づきました。揺らぐ恋心から一歩進んで、主人公を守りたいという気持ちが生まれたのではないかと。自らの気持ちを伝えることはできなくても、その時点で最大限の彼の愛情表現であったと思います。

江澄の後悔/金光瑤と薛洋

●江澄の後悔
 気が強く負けず嫌いの江澄は、序盤から主人公の敵のように振る舞います。しかし読み進めるなかで、彼の気持ちも一筋縄ではないことに気づきます。江澄が主人公に対して嫉妬心を持っていることは、端々で書かれています。それにもかかわらず、彼が主人公を大切に思う気持ちもまた本心に違いありません。

 三巻(前世編)で再会した主人公に怒鳴りつけた「死ぬなら俺の目の前で死ねよな!」の言葉。これは乱葬崗殲滅戦のフラグのようにも思えます。一巻の序盤で、世間の人びとは「もし江宗主が夷陵老祖の弱点を突く計画を練らなかったら」と噂しています。その詳細は物語中で明らかにされていませんが、温氏を人質に取るような、主人公の動きを封じる計画だったのではないかと推測します(他人を見捨てられないという、主人公の性格(弱点)を最も知っているのは、彼と藍忘機でしょうから)。直接手は下さずとも、この時点でもう、江澄は主人公を殺す覚悟を持っていたはずです。だけどせめて、他人ではなく自分の前で死んでくれ……そんなふうに思っていたのかなと想像すると、胸がいっぱいになります。

 乱葬崗を訪ねた江澄は、「温氏の残党たち全員を金氏に引き渡せ」と迫ります。彼も母親と同様に、優先順位は自分の身内(主人公)であり、他人である温氏を切り捨ててでも主人公を守ろうとしたのです。一方で、主人公は分け隔てなく他者を助けようとする人間です。その信念の違いから二人の決別は免れないものでした。それでも、江澄は主人公を守りたかったのだと思います。強大な力を持つ主人公が、いずれ世家から疎まれて危うい立場になることを、(藍忘機と同様に)彼も予測していました。だからこそ、自分の側に留めておきたかったはずです。「お前が頑としてこいつらを守ろうとすれば、俺がお前を守れない」と正直に吐露すれば、「守らなくていい。捨ててくれ」と言われます。顔を歪める彼の気持ちを思うと、遣りきれない場面です。またその後も、夷陵ではこっそりと主人公を誘い出し、江厭離の花嫁姿を見せてくれます(この、世間的には離反したけど実は交流を続けていた、というのも胸に迫る展開ですね……)

 現世編の伏魔洞では、主人公が召陰旗となったあと、(たぶん加勢しようと)洞窟内に自分も戻っていきます。四巻のラストでは、主人公を守るために温氏に捕まったことが明らかになります。
 一方で、主人公もまた、江澄の背反する思いを分かっていたはずです。二巻では、温寧に「あいつが俺を殺したんじゃない。俺は、術の反動で死んだんだ」ときっぱりと江澄の関与を否定します。

 13年間、奪舎された人間を捕らえては拷問していた江澄にとって、主人公はもう「可愛さ余って憎さ百倍」の存在だったのでしょう。勝気な彼にとって、主人公に対する後悔は弱さであり、直視したくない感情だったはずです。その後悔は、余計に主人公への憎悪をかき立てたのではないでしょうか。主人公が現世に蘇ったことで、江澄はその死にまつわる陰謀と、金丹の真実を知ります。たとえ主人公を守るために捕まった、と口には出せなくても、江澄にも主人公にも時間はたっぷりとあります。彼らの関係も少しずつ変化していくのかもしれない――と希望を感じます。夷陵老祖の復活は主人公にとってだけではなく、藍忘機にとっても、また江澄にとっても、後悔を乗り越えて前に進むための出来事だったのだと思います。

●金光瑤と薛洋
 この小説で痛烈な印象を残したのが、この二人でした。

 彼らは、幼少時に親や大人から拒絶された経験を持っています。金光瑤と薛洋、どちらも埋められない喪失感、根本的な飢えを抱えている人物です。もちろん、心に深い傷を負っていても、罪を犯さない人間の方が圧倒的に多いです。その傷をもって、彼らの罪を軽減することはできません。そうと分かっていてもなお、私は彼らへの同情を止めることができませんでした。それは作者の優れた描写力のためであると思います。怖いとさえ思うほどに、彼らのエピソードに感情を揺さぶられました。

 薛洋は最初、暁星塵を利用します。しかし、彼の話を聞いた暁星塵が飴を渡すようになってからは、変化が見られます(おそらくこの頃から、夜狩の対象を彷屍ではなく幽霊や家畜に変えたのだと思います)。三人の同居生活はいつ亀裂が入るとも分からない、危ういものですが、疑似家族のようです。これは薛洋にとって初めての「家族」だったのではないでしょうか。(金光瑤との関係は「友人」であり「家族」ではなかったので)。
 彼が再び暁星塵に敵意を向けるのは、正体がばれて「反吐が出る」と言われたときです。逆に言えば、彼はそれまで(腹を刺されても)暁星塵に敵意を向けはしませんでした。その後、暁星塵を攻撃しながらも、その死後は目を赤くして、凶屍を作ろうとします。それが不可能だと(つまり永遠に暁星塵と再会はできないと)悟ったとき、一切の表情を失くします。そして藍忘機の攻撃で命を落とすまで、暁星塵からもらった最後の飴を手放しませんでした。

 これらの描写から、薛洋にとって暁星塵がどんな存在であったのかが伝わってきます。宋嵐とは違い、薛洋はけして暁星塵の友人にはなり得ません。二人はあまりに違っているからです。彼は暁星塵に自分の側に来てほしかったのだと思います。すでに汚れた手の自分と同じように、暁星塵にも汚れてほしかったのです。だからこそ、阿菁に「汚いのはあんただけだ!」と言われて切れたのでしょう。図星だったからです。彼の言動は、道理をわきまえない幼子のように身勝手で、自己中心的です。彼はそんな自分を暁星塵に受け入れてほしかったのではないでしょうか。さながら、幼児が親に自分のすべてを受け入れてくれと望むように。薛洋にとって、暁星塵は友人でも敵でもなく、兄のような――家族のような存在であったのだと思います。

 また、金光瑤も最期に「お前に害を加えようとしたことはない」と言い切り、藍曦臣が彼を信頼せずに攻撃したことを痛烈に非難します。これは嘘ばかり重ねた金光瑤が、唯一の本心を吐露する場面です。非常に心に残るとともに辛い場面でした。金光瑤にとってもまた、藍曦臣は義兄弟――父よりも妻よりも、本当の「家族」のような存在だったはずです。その最も心を許した存在にとどめを刺されることは、彼にとって最も辛い事実です。だからこそ、罪を重ねた彼には最も有効な「罰」だともいえます。そうと分かっていても、私は聶懐桑に怒りすら覚えました(私は彼が好きですし、彼の行動がもっともだと頭では分かっていたのです。それでもなお、感情が追いつきませんでした)。金光瑤と藍曦臣との間にあった最後の絆を、聶懐桑が断ち切ってしまったからです。

 金光瑤も薛洋も、もしも幼少時に、まだ父や常萍に拒絶される前に、藍曦臣や暁星塵と出会えていたら――彼らの未来は違うものであったかもしれない。そう思わずにはいられません。そう思ってしまうほどに、彼らの一挙一動にいたる描写が秀逸でした。最後の最後で藍曦臣を突き飛ばして助けた金光瑤、飴を手離さなかった薛洋。彼らの右手は血に汚れながらも、その左手には束の間の「家族」を握りしめていたのかもしれません。

 また、金光瑤は上述の場面で「……友を殺し」と言っています。この「友」は薛洋を指していると思われます(蘇渉は臣下なので)。ではいつ、金光瑤は薛洋を殺したのでしょうか。ここでまず、二巻の義城に戻ってみます。この時点で、主人公が「金光瑤が薛洋を「始末」した」と思っているのは、あくまで彼の想像だと受け止めていました(主人公は、金光瑤と薛洋が友人同士だとは知らないので)。薛洋が死にかけた理由は他にあると思っていたのです。しかし、四巻でこの台詞が出てきて、金光瑤は本当に薛洋を「始末」したのかもしれないと気づきました。

 最初に読んだときは、この「……友を殺し」とは、主人公&藍忘機と戦って瀕死の重傷を負った薛洋を(間接的に)殺した、と言っているのだと思っていました。でも改めて金光瑤の性格を考えてみると、自分が仙督の座についたことで、汚れ仕事を請け負っていた薛洋が用済みとなり「始末」したと考える方が自然です。私は愕然としました。

 だって、義城で薛洋は「すごく有名な友達が一人いる」と主人公に言っているのです。殺されかけてもなお、金光瑤のことを「友人」と思っているのだとしたら、そんな薛洋の命を助けたのが暁星塵だとしたら……その因果に胸が苦しくなります。伝送符で薛洋を「回収」した目的が「陰虎符の回収」だったとしても、蘇渉の最期に涙を流した(と思われる)のと同様に、金光瑤は密かに胸を痛めたのはないでしょうか。それは身勝手な痛みですが、それでも非情になりきれない二人は似た者同士で、まさに命がけの「悪友」だなと思いました。

三種類の敵/伏線/テーマ

●三種類の敵
 この小説には(主人公と対峙するという意味で)三種類の敵が登場します。一つ目は、主人公を討伐した側の人間である江澄や藍忘機、また金子軒たちです。しかしそう見えるのは序盤のみで、一巻の回想(雲深不知処:主人公が15歳)を読めば、むしろ彼らは仲間のような存在であることが分かります。二つ目は、金光瑤や薛洋です。しかし彼らの過去が明らかになるにつれ、素直に悪感情を抱くことができなくなります。三つ目は岐山温氏です。彼らは物語上の「真の敵」であり、同情の余地は描かれずに残虐な末路を迎えます。そして二と三の中間にいるのが、蘇渉や金子勲です。金光瑤や薛洋が幼少時の悲痛な経験から利己的な人物となる姿と比較して、彼らは自身の未熟さゆえの利己的な人物として描かれています。けして好ましい人物像ではありませんが、圧倒的な悪として描かれてはいない点が興味深いです。このように、序盤からグラデーションを描くように敵役が変わっていく点も、物語に引きこまれた要因の一つかなと思いました。

●伏線が多い!
 読み進めるにつれて、ここも伏線、ここにも伏線!と驚くほど多くの伏線が張られていることに気づきます。
 すでに一巻の時点で、大梵山で奏でられたあの曲はもちろん、彩衣鎮では蘇渉が登場し、藍忘機は財嚢を持ち歩き、義城ではお粥を食べた藍思追が回想しています。二巻では、薛洋が「すごく有名な友達」について口にして、聶懐桑は金光瑤と藍曦臣を引き留めて(おそらく秦愫が使者からの手紙を受け取ることができるように)、暮渓山では藍忘機が歌を歌い、主人公は陰虎符の材料となる剣を見つけます。三巻では、主人公は江澄に追いつけず(江澄は追手に捕まっていたため)、江澄は金丹を取り戻します。これらの伏線は徐々に明かされ、四巻では、ついに江澄の金丹の秘密や、藍思追の出自、藍忘機の戒鞭と烙印の理由、そして聶懐桑の正体が明らかになります。
 これらの伏線が、投稿サイトで毎日連載しながら書かれていた、という点でも驚愕してしまいます。完結作品の連載とは異なり、執筆しながらの連載は基本的に後戻りが出来ないためです。集英社さんの「すばる」の対談で述べられていたように、作者さんが事前によく練られたプロットの結晶なのだと思いました。

●テーマ
 この小説には、繰り返し、いくつかのフレーズが登場します。

 一巻では、常氏について、「結局のところ、どんなに考えたとしても魏無羨は常萍本人ではない」と、その真意は分からないと述べています。
 二巻では、聶明玦と共情した際に「そもそも、視点も立場もまったく異なる二人が、孟瑤という人間を同じように論じることなどできようもない」と触れています。
 三巻では、藍曦臣が「兄上の首を彼が持っているかどうか、私もお前も自らの目で確認してはいない。ただ私たち自身が、別の誰かに対する信頼を頼りに相手の言い分を信じているだけだ」と藍忘機を諭します。乱葬崗では、修士たちを前に「たとえ彼が何を言おうと、信じる者など誰一人いはしない。彼が認めなくとも無理やり罪をなすりつけられ、認めたことでも事実を捻じ曲げられる」と述べています。また、主人公を討伐しようとする修士たちについては、「ここに押し寄せた全員が、欠片も疑うことはなかった。彼らがやっていることは輝かしい偉業であり、偉大なる義のための行為だということを」と述べます。前世編では、人びとの流言飛語に対して「言う度胸があるのなら、その結果も受け止めるべきだろう」と言い放ちます。
 四巻の終盤では、聶懐桑について「推測はただの推測にすぎず、誰にも証明はできないのだ」と述べています。また金光瑤については、「なぜ金光瑤が最期の一瞬に考えを変え、藍曦臣を押しのけたかについては、彼が何を思ってそうしたかなど、誰にわかるというのだろう?」と触れています。そして修士たちを見て、「真実になど誰も関心を持たないし、誰も信じない」と述べます。最後に、「皆、自分のことは自分自身にしか解決できない」と述べています。

 私たちの日常でも、たとえ家族や友人同士であっても、その心の内までは分かりません。言動から推測する以外の術はないのです。会ったこともない他者であれば、なおさらです。しかし、その他者が著名であればあるほど、人びとは憶測を交わします。古来からそれは変わらずとも、SNSが普及した現代においては、「集団の暴力性」はより顕著です。ところで私たちは一体、どれほど見ず知らずの他者のことを知っているのでしょう。相手が著名であれば、無名な自分はなにを言っても構わないのか? 自分が正義の側にいると信じこめば、なにを糾弾しても構わないのか? 結果として、相手の人生を捻じ曲げても構わないのでしょうか。
 作者さんは本書のなかで、この「集団の暴力性」をテーマとして、読者に問いかけていると受け止めました。前世で主人公は、彼をよく知る人ではなく、噂でしか彼を見聞きせず、自分の信じたいものしか信じない人びとの手によって、追いつめられていきます。その死の要因となった金光瑤もまた、手のひらを返されたように、集団(世家)から追いつめられていくのです。結局のところ、人の心は分かりません。それならばせめて、流言飛語の暴力を振るうのではなくて、自分自身をまず見つめ、周囲に対して出来ることを精一杯すればいい――この物語には、そんな思いが込められているように思いました。

 また、この物語では「復讐」というテーマも挙げられます。序盤では、江澄も金凌も主人公と温寧を憎み、復讐を遂げる機会を狙っています。しかし相手を知れば知るほどに、それは困難になります。前述のように、憶測でしか測れなかった相手の真意に近づくことで、見えるものが違ってくるからです。言葉にすれば容易いですが、この誤解が、今日まであらゆる悲劇を生んでいることは想像に難くありません。
 この物語の魅力には、エンタメとしての面白さや恋愛としての楽しさなど多くありますが、加えて、全体を貫くこの普遍的なテーマが、各国の読者を惹きつける背骨であると思いました。

その他

●聶懐桑はお助けキャラ……?!
 彼が登場する度に、胸を撫でおろしていました。よかった、彼がいる場面だから少し息がつけるぞ~と。韓国ドラマの『宮廷女官チャングムの誓い』には、主人公を助けるお茶目なおじさんたちが登場します。聶懐桑もそんな役割の人物だと思っていたら……四巻の観音廟で、金光瑤と一緒に「見抜けなかった!」と叫びたくなりました。まさか彼が--だったとは! この物語で最も驚いた伏線でした。
 金光瑤の帽子を拾い上げた聶懐桑は、一体なにを思ったのでしょうか。胸がスッとしたのか、それとも一抹の淋しさを覚えたのか――読者はただ、想像することしかできません。

●虞夫人と江楓眠
 虞夫人はけして善良でも優しい人間でもありません。息子の前で父親の浮気を仄めかすような、毒親ともいえる言動さえします。二巻で彼女が、主人公の腕を切り落とそうとしたのは本気だったはず。なぜなら彼女には譲れない優先順位があり、その頂点は自分の息子だからです。江澄を守るためなら、主人公の腕を犠牲にしても構わないと判断したのだと思います。結果として主人公がそれを免れたのは、たまたま王霊嬌が江澄を侮辱したためです。最後まで、彼女の行動原理は自分の息子を守ることでした。けして善人ではなく、主人公には容赦がなく、プライドの高さから息子や夫に当て擦りも言うけれど、それでも自分の息子を愛している――そんな一貫した人格形成に惹かれました(こんな人、現実にもいそうです)。
 また二巻のラストで、江楓眠は初めて彼女の真意を知ります。長い間、夫として軽んじられていると思っていたのに、実は紫電の主として認められていた――死闘が迫った最後で妻の思いに気づく場面は、短いながら、二人の関係性や虞夫人の秘めた思いがよく表われていて胸を突かれました。作者さんは、行動で人物たちの思いを語らせるのが非常に巧みだなあ、と感嘆した場面の一つです。

●姚宗主
 当初、彼は伏線の一部なのではと疑っていました。実は聶懐桑と通じていて、四巻ではわざとみんなを焚きつける言動をしたのかと。しかしそれにしては、三巻では乱葬崗で主人公の討伐を煽っていたし、行動が一貫していません。結局のところ、彼はどういう人物だったのか……読了後に考えていたときに、百度百科のWebサイトを見て腑に落ちました。つまり、彼は「象徴的」な人物であったのだと。「義」のためと言って主人公に刃を向けたかと思えば、形勢が変わった途端に翻して金光瑤を罵ります。四巻のラストでは、蘭陵金氏が落ち目になったのを見届けて、金凌に説教を垂れます。常に保身に走り、一貫した主義主張は持たずに強い側につき、自らを正義の側にいると信じて止まない――社会におけるそんな人間たちの集約が、この姚宗主という人物に象徴されていたのでしょう。

●温寧の蓮根の汁物

「以前温寧が、江厭離から蓮根の汁物を一杯もらった時、山の下にある町から乱葬崗までの道中ずっと両手で大切に持ち、一滴もこぼさなかった。たとえ自分が飲めなくとも、人が飲んでいるのをとても嬉しそうに眺め、飲み干すとどんな味なのかを尋ねてその味を想像していた。そんな彼が、自らの手で江厭離の夫を殺して、いい気分でいるとでも思うのか?」

(第三巻・第18章の回想の場面)

 私がこの小説に「落ちた」のは、この場面を読んだ瞬間でした。一見、どうということのない場面です。江厭離からもらった蓮根の汁物を、温寧が乱葬崗に持ち帰る回想の描写です。しかしこのたった三つの文が、温寧というひとがどんな人物であるか、余すことなく伝えています。私は涙が止まらずに、一体なんという物語を読んでいるんだろう、と呆然としてしまいました。たった数行の描写から彼の人柄、彼の失くしたもの、喜び、悲しみ、そのすべての感情が伝わってきたからです。一杯の汁物をこぼさないように大切に持ち運ぶその人柄。しかも彼はそれを絶対に味わえないにもかかわらず。それを自分の仲間に持ち帰り、分かち合う喜びと、その味を想像するしかない悲しさ。そんな彼の姿を思い返したからこそ、主人公も自問自答して、自省しました。
 この文章を読んだ時点で、私はこの小説に自分を委ねることにしました。こんなにも端的に、繊細に、人物を描く物語を読んでいるのだと、自分が貴重な読書体験をしているのだと、心底実感したのです。

●気になった点
①藍思追が天女を懐かしいと思った理由(一巻)
 大梵山で、天女像を見た藍思追は「どこかで会ったような」と回想します。彼が幼少期を過ごしたのは乱葬崗だし……なにかの伏線だったのでしょうか(まだ温家にいた頃になにかあったとか?)

②主人公は凌遅をしたことがない?(一巻/三巻)
 一巻の7章では、主人公について「彼が命を奪った人たちの中に、凌遅で殺された者は絶対にいなかった」と述べられています。しかし三巻で、彼は温晁の脚の肉をそぎ落とし、自らに食べさせています(!!!)。確かに実際に削っているのは刃ではなく鬼童ですが、これはもうほぼ主人公の凌遅と言ってもいい行為のはず。私は当初、一巻を読みながら「ふんふん、主人公は残虐非道と言われてても本当は違うんだ~」と鼻歌まじりで思っていたので、この場面は衝撃でした。「凌遅!しとるやんけーーー!!!」と内心で叫んでしまいました。作者さんは、主人公の孕む残虐性をあえて一巻では見せなかったのか、それとも単に主人公が忘れていたのか、あくまで自らの手ではないので凌遅にはカウントしていないのか……と、気になった場面でした。

③金光瑤と藍曦臣の出会い(二巻/四巻)
 二巻で、聶明玦が「お前たち二人は面識があったのか?」と尋ねます。この伏線は、四巻の金光瑤の台詞で「雲深不知処が焼かれて逃げ回っていたお前を、窮地から救ったのは誰だ?」と簡潔に説明されています。具体的には何があったんだろう……と気になっていたのですが、この疑問については、アニメとラジオドラマで補足されていました。作者さんのWeiboでも【10の不思議】(2017-10-31)の一つとして語られており、原作で読めなかったエピソードなので嬉しかったです(二人の洗濯の場面が和む……)。


<こぼれ話>

墨香銅臭さんのWeibo

 先述した作者さんのWeiboに、エピソードがたくさん載っていて「わーい」と思いながら、翻訳機能を使って微妙に不安な日本語(魔翻訳)で読んでいます(これだけの人気作品なので、すでに翻訳された方のサイトがあると思うのですが……まだ見つけられず)。以下はいくつかのエピソードの意訳です。

・藍啓仁は、主人公の父と江澄の父と夜狩りに行った際、死にそうな目に遭わせたのに謝罪をしなかった。怒った主人公の母は、彼のひげを切り落としてからかった。だけどひげを落とした藍啓仁もハンサムでした、と。

(2018-3-17)

・窮奇道では、本当に主人公の暴走だった。金鱗台は事故ではない。
・藍忘機の三番目の拝は、二回目のあれの前に間違いない。
・沢蕪君は、酒に酔うと情熱的になり、口調は優しくも上品でもなくなり、会話に「!!!」が付くほどの力強い人になる。藍啓仁は「臣、お前はどうして……」とショックを受けた。

(2018-3-17)(2018-3-17)(2016-9-5)

①金凌の霊犬・仙子のモデルはハスキー犬。/②藍啓仁は若い頃からひげを生やしている。/③金光瑤は逃亡する藍曦臣を助けた。彼の洗濯を手伝ったこともある。藍曦臣は力が強すぎて洗濯したら衣服を破ってしまった。/④暁星塵の笑いの沸点はとても低い(薛洋も阿菁も知ってたけど黙っていた)。宋嵐はそもそも笑わないので気づかなかった。/⑤江澄は三回お見合いをしたけど、色んな理由でブラックリスト入りした(美女で優しく従順、勤勉で節約家、確かな家柄、修業は高すぎず、性格は強すぎず、お喋りではない……要求が多すぎる)。/⑥藍思追は金凌より年上だけど、背丈は172㎝と同じ。幼少時は栄養不良で、引き取られてからはあっさりした食事のため、成長が遅い。藍景儀は168㎝。/⑦金子軒は江厭離に告白するために長くて美しい台詞を書いて暗記した。結婚まで使う機会はなかったが、あるとき彼女の前で朗読した。彼女は金子軒の顔を撫でて、向こうに行ったが、優しいので彼の前では笑わなかった。/⑧藍忘機は主人公が犬を恐れていることを、とっくに知っていた。昔、金子軒も霊犬を飼っていて、雲深不知処に預けたことがある。ある夜、主人公が帰ってきてこっそり壁を越えようとしたとき、霊犬が吠えたので、彼は驚いて木に飛び上がった。犬を連れていたのは藍忘機だったが、主人公は彼が自分に気づいていないと思っていた。/⑨主人公は、藍忘機が口には出さないが、あの最中に色んな物で自分を縛るのが好きだということに気づいている。/⑩攻受で先に人物を決めたのは主人公。攻は性格や容姿、年齢、背景、経歴……いろいろと悩んだものの、結局は最初の人物(藍忘機)を選んだ。つまるところ、彼でよかった。彼らの縁は天の定めだ。

(『魔道祖師』に関する10の不思議(2017-10-31))

アニメ・ラジオドラマ

 現在、アニメは完結編まで、ラジオドラマは途中まで、実写ドラマは序盤のみ視聴しています。アニメもラジオドラマも大変クオリティが高く、原作愛が感じられてファンとして幸せです。

 私はアニメにとても救われました。それはラストの観音廟の場面です。原作では、金光瑤が藍啓仁を助けた理由は明かされていません。しかしアニメでは、藍啓仁は抵抗を止めて自らを彼に委ねています。最後の最後で、藍啓仁は金光瑤を受け入れたのです。だからこそ、金光瑤も手を離したのではないでしょうか。本作のテーマが「人の心は分からない」であると仮定すれば、原作どおり金光瑤の心中を明かさないことが正解なのかもしれません。それでも、もしかしたら二人の間にはこんなやり取りがあったのかもしれない。そんな解釈を与えてくれたことは、金光瑤の最後がやりきれない私にとって大きな救いとなりました。
 ただ一点だけ気になったのは、射日の征戦と窮奇道の暴走は、主人公が陰虎符の影響を受けていたという点です。主人公の過信から悲劇が起きた原作と比べて、アニメでは主人公の罪が軽減されています。このエピソードは主人公の後悔へと繋がるため、原作の方がより強く心に響きました。

 アニメの最終回で、忘羨の歌に対して「俺はすごく好きだ」という主人公の台詞があります。ここ、原作で確認してみると「気に入ってる」という表現なんですよね。これは中国の検閲をクリアするためで、比喩的に「(藍忘機のことが)俺はすごく好きだ」という意味が込められているのでは……と想像しました。可能な限りで原作の二人を表現してくれたのかもしれないと思うと、スタッフの方々に感謝が尽きません。また、忘羨の歌が①大梵山での再会 ②暮渓山の洞窟 ③最終回のEDのみで流れる、という演出(に触れている方のTwitter(現X)を見て気づいた)にもぐっときます。アニメもラジオドラマも、主題歌がものすごく良くて聴くだけで泣いてしまう……。

 ラジオドラマも主題歌からもう、とても素敵です。1期主題歌の歌詞中に登場する「城」について、義城でもないし不夜天城でもないし……と考えていましたが、おそらく中国語の「城壁に囲まれた街」といった意味なのでしょうね。ちなみに、ラジオドラマが日本語表記なのは、邦訳版小説やアニメよりも先行して日本で配信されたため、少しでも日本の視聴者に向けて分かりやすいように、という配慮ではないかと思っています。アニメもラジオドラマも、各々の声優さんたちがイメージにぴったりで聴き惚れてしまいます。実写ドラマもいずれ最後まで観たいです。楽しみ!

(また、ちびキャラの『魔道祖師Q』もオススメです。完全にオリジナルのスピンオフかと思ったらアニメや原作、また作者さんのWeiboのエピソードが多くありました。小説で心が削り取られた読者には、乱葬崗での畑仕事や、金光瑤の狩場のため息などなど、ほっこりする話が盛りだくさん。そんななかで、29話だけは藍忘機の切ない場面もあって、それも含めて良い作品でした)

その他

●藍忘機の戒鞭
 
鞭打ちというと、昔の寄宿学校の懲罰やSMプレイ、現代にも続く刑罰まで幅広くあり、その強さも軽度の痛みから死に至らしめる物までさまざまです。藍忘機が受けたのは33本の戒鞭でした。最初は、三年も床に臥せるような罰なのか?と疑問に思いましたが、北米版の挿絵を見て考えを改めました……藍忘機の背中、血肉が飛び散ってました(!!!)おそらく、一本鞭に霊力をこめて打つような威力だったのではないでしょうか。1本で皮膚が引き裂かれ、肉が抉られるような鞭打ちが33本……骨までむき出しになりそうです(仙門の人間じゃなかったら確実に死んでますね)。鞭打ちというよりも、ナイフで凌遅されるような傷。主人公を助けて、その罰を粛々と受け入れた藍忘機……もう読者の方が泣いてしまいます。

●ごろつきと君子
 二巻では、主人公が薛洋に「君子の恨みを買ってでも、ごろつき(薛洋)からは決して恨みを買うな」と言っている一方で、四巻の番外編(悪友)では、金光瑤が薛洋に「卑しい者から恨みを買ってでも、君子(暁星塵たち)からは決して恨みを買うな」と釘を刺していて、笑っちゃいました。互いに敵に回したくないという……。

●日本も出てくる
 三巻で「東瀛」という名前で登場して、嬉しくなりました。もしも金光瑤が日本に逃亡できていたら、各地で曲を収集して藍曦臣にこっそり送って、藍家の禁書室に新たな異譜誌が増えていたりして……。

●現世では別人(の身体)だけど気にしない
 前世と現世では、主人公は(一応見た目は)別人です。が、藍忘機は特に気に留める様子もなく(莫玄羽の姿をした)主人公と行動も寝所も共にします。……アレ?と思いましたが、これはおそらく、招魂をしたり奪舎が起こったりする修真界という世界だからなのでしょう。魂と肉体の結びつきへの考え方が、現代日本とは異なるのだと思います。もしこれが現代日本を舞台にした作品であれば「愛する人が別人の身体で蘇ってしまったが(この肉体を)愛してもいいのだろうか」と別の視点の悩みも生まれそうだなーと思いました。
(この点、アニメでは(たぶんキャラの設定上)ほぼ同一人物に描かれていますし、ドラマでは(たしか)莫玄羽が前世の主人公の姿に変化したうえで蘇ったことにして、各々クリアされていました)


<おわりに>

●「すばる」2023年6月号
 作者の墨香銅臭さんたちの対談を含む特集は、とても読みごたえがありました。企画してくださった綿谷りささん、関係者の方々に深く感謝しています。

・『魔道祖師』は現在、世界各国で発売されており、さまざまな絵師さんが素敵なイラストを描かれています。なかでも私は、日本語版等の表紙を担当された千二百さんと、北米版等の挿絵を担当されたBaoshan Karoさんのイラストが非常に美しくて魅了されました。

・こちらは、金光瑤と沢蕪君の出会いから別れまでを描いた、ファンの絵師さんの動画です。公式の作品かな?と思うぐらい完成度が高くて泣きそう。金光瑤の最期が辛かった私にとって救いとなりました。こちらも、よければぜひ。

 最後に、この長い文章をご覧いただいた読者さま、ほんとうにありがとうございます。私は最近、『天官賜福』の日本語版を読み終えました……どっちの沼も深すぎて、上がれる気が全くしません。もし同じ沼にいらっしゃれば、またどこかの記事でお会いしましょう!『天官賜福』のアニメ2期と4月発売予定の第三巻、『人渣反派自救系統』のアニメ版と邦訳版と、まだまだ楽しみがいっぱいですね~!
(ところでこの小説のなかで、自分がどの人物に近いかな……と考えてみました。私はたぶん、10倍に薄めた聶懐桑と、100倍に薄めた金光瑤、そして1000倍に薄めた江澄と藍曦臣を足して四で割ったような人間です)

●参考サイト


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