わたしの味方 #仲間と作る本
仲間と作る本はTwitterで出会った仲間が
親や友人、知人、恩師、パートナーといったそれぞれの感動・感謝のエピソードを投稿してそれを一冊の本にして販売し、売り上げ金を全額被災地に寄付するという活動です。
私のエピソードは私の味方をしてくれた人たちへの感謝のエピソードです。
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小学校5年生のときに転校先の学校でいじめにあいました。
いじめの理由は
クラスのイケてるグループのリーダーのTさんの言いなりにならないから。
なんで言いなりにならないからいじめられるの?
本当はいじめられてないんじゃないの?
と思うでしょう。
私はTさんたちのことを何も知らない転校生でした。
転校してきた私以外のクラスの女子全員がTさんとその取り巻きの子たちを怖がっていました。
「Tさんの言うことは絶対だから逆らったら酷い目にあう」
「悪いことは言わないから言うことを聞くんだよ」
彼女たちは転校してきてTさんたちのことを何も知らない私が抵抗するのを見て心配して忠告してくれたのだと、このときは思っていました。
私はTさんとその取り巻きの子たちが怖かったけれど、
人を脅したり、馬鹿にしたり、見下してくる人は最低な人間だと思っていたので、
そんな人間の言いなりになりたくありませんでしたし、
絶対に言うことなんて聞きたくなかった。
当時の私は「イヤだ」「やめてよ!」が怖くて言えなかったけれど、
Tさんやその取り巻きの子たちからの命令に素直には従わず
ずっと黙りこくってやり過ごしていました。
私は大人になった今でも、馬鹿にされたり、見下されたり、失礼な嫌なことを言われるとすぐに反応して切り返すことが出来ません。
言われたときは、えっ!?と思って、
思考がストップしてしまったり、感情が先に来て感情に支配されてしまい、すぐに言葉が出てこなかったり行動できない。
何も考えることができなくなる。
いざ言おうとすると、何と言ったらいいかわからなくなってしまう。
今ではこれが発達障害の特性だったのだと理解していますが、
子供の頃は両親にこの困り事を話しても「逃げてるだけ」「甘えてるだけ」と責められ、学校でいじめにあっている私を恥じていました。
特に父は
「いじめられるような弱い人間に育てた覚えはない」
と私に厳しく当たるようになり、
父の許可がないと自分の好きな友達と遊んだり、好きなことが出来ないようになりました。
母はそんな父を止めもせずいつも滅茶苦茶なことをする父の言いなりで、母が奴隷のように見えて悲しくて嫌でした。
父は私に厳しくしているのは全て「私のため」であり、いじめられる私の方が悪いといつも言っていてそれがものすごく悲しかったです。
毎日喜んで学校に行っているクラスの人気者の弟と比べられ、どうして私はそれが出来ないのかと責める両親。
私ができないことの原因を探ったり、どうしたら学校へ行けるようになるのか一緒に考えてほしいとどんなに訴えても、
家では、誰かに助けを求めること=逃げていることになってしまうのです。
学校の面倒事を家に持ち込むな!自分の問題は自分で対処しろ!!
それが出来ない私は精神力が弱いからすぐ逃げる卑怯者なのだと・・・
違う!違う!私は逃げてない!
学校で馬鹿にされたり、悪口を言い続けられても逃げてない。
ちゃんとその場に立って耐えている。
なのに、どうしてお父さんはわかってくれないの?
私は一度も逃げてないのに・・・
それを言う暇さえも父は与えてくれませんでした。
母はそんな父を止めずに
「お父さんの言うことは正しいことだからちゃんと聞きなさい」
と言うばかり。
弟はいつも正しい(正しくなってしまう)父を尊敬していて、父と同じように「いじめられる方が悪い」というのです。
私の家族は誰も私の味方になってくれませんでした。
何も対策がたてられないまま、次第にいじめはエスカレートしていきます。
毎朝、1時間目が始まる前の10分間。
誰もいない女子トイレの中でTさんと取り巻きの子たちに囲まれて、
好き勝手に馬鹿にされたり、からかわれたり。
じっと見てきて気持ち悪いんだよバーカ。何か言ったらどうなんだよ、え?頭が悪いあんたのために言ってるんだけど。あ、でも理解出来ないか。頭悪いもんね。ユキのくせに生意気なんだよ、言うこと聞けって言ってんだろ?なんで抵抗するわけ?さっさと言いなりになれよ、命令してんだからさ。ゴミ人間はゴミらしく生きろアハハハハ・・・
といった感じで、
見下してくるTさんと取り巻きの子からの暴言を言われるたびに傷ついてきたし、怖かったけれど同時に怒りも感じていました。
すごくすごく悔しかった。
怒りを感じてもそれを表に出すことが出来ない。
言葉が出てこない。
何も言えないからいつも無表情になって耐えるしかありませんでした。
それでTさんは私と2人きりになった時に言うのです。
「言うことを聞かないとあんたの友達になってあげない」と。
この子は私を馬鹿にしているけれど、本当はこの子のほうが馬鹿なんじゃないの?
誰が自分に嫌なことをしてくる人間と友達になりたいと思うのか。
こっちから願い下げでした。
「友達は自分で選ぶものだから私はあなたの友達になれなくていい」と勇気を振り絞って断りました。
友達は友達の嫌がることはしないし、友達になりたい子でも同じことだ。
嫌なことをしたら嫌われるのに
どうしてTさんは私がTさんと友達になりたがっていると思うんだろう?
理解できませんでした。
私がTさんのことを突っぱねたことは瞬く間にクラス中に広がったようで、
数日後、私はTさんでも取り巻きの子たちでもない、Tさんたちが怖くて言いなりになり下がっている子たちから責められました。
Tさんの言うことは絶対だから
私がTさんの言いなりにならないのはあり得ないというのです。
実は転校生は私の他にもう1人いて、その子は取り巻きの1人でした。
「理由は言えないけれど、もう一緒に帰れないし学校であなたのことを助けられないかもしれないから先に謝っておく。ごめんね」と謝られて、
そのときは何のことかわからなかったけれど、いつの間にか取り巻きの1人になっていたことに、ああ…このことだったんだ…と納得しました。
もう1人の転校生がTさんの言いなりになっているのに、
私だけ言いなりにならないのはおかしい、あり得ないと言うんですね。
どうしてそうなるの!?
私の方があり得ないと叫びたかった。
いじめに抵抗する人間がいて、ずっと抵抗し続けるなら1人また1人と抵抗する仲間になっていくものではないかと私は思っていたのです。
クラスの男の子たちがそうでした。
最初はただ見ているだけでしたが、1人、また1人と味方になってくれたのです。
仲間外れにされたときに、
「おまえらいい加減にしろよ!仲間外れなんてしてんじゃねーよ!」
と助けてくれたり、
上履きを隠されたときに一緒に探してくれたり、
授業で女子2人組のペアを余りが出ない人数なのにわざと1人きりにさせられたときに、嫌な顔一つせず快くペアになってくれる親切な子もいました。
怯えて怖がっている子たちも1人で耐えている私の行動に勇気づけられて、いつか私の味方になってくれるとそう信じて耐えてきたのに、
「あんたが早くTさんの言いなりにならないから私たちがいじめられるの!迷惑だから早くTさんの言いなりになって!!」
そういわれて、開いた口がふさがりませんでした。
彼女たちが言うには、
自分たちがいじめの一番の被害者であるから、私がTさんたちの言いなりになって私一人だけがいじめられるようになればもう自分たちはいじめられないのだと・・・
あんなに言うことを聞けと忠告してあげたのにどうしてわからないの?バカじゃないの?と馬鹿にしてくることには頭が痛くなりました。
私を心配してくれて忠告したのではなく、自分たちのわが身可愛さで言っていただけなのだと知って、ショックを受けたものです。
それでも、
私にはKちゃんとNという友達がいて、
他の女子からの嫌がらせや馬鹿にされたりしても、KちゃんとNがいてくれたら、あとは何もいらないと思っていました。
私はいじめられていることを2人に言えなくて黙っていました。
それを言ってどうなる、2人が困るだけだろうと…
私は登校拒否をして休みがちでしたが、KちゃんとNと楽しい時間を過ごしたくてなんとか学校へは通っていました。
しかし、
ある雨の日、
(Kちゃんはその日はその場にいなかったような、休みか何かだったように思います)
教室でNから
「もう私の友達じゃないから話しかけてこないで、バイバイ」と言われました。
私の目の前でNがTさんにそれを言わないとぶん殴ってやると脅されて怖がって嫌々言っているのをわかっていても、その言葉は私に突き刺さりました。
胸をえぐり取られるような痛みを感じて、とても悲しかった。
「あーあ、ひとりぼっちの○○は友達が1人もいないなんてかわいそう。そんなかわいそうなあんたのために私が友達になってあげる。私は一番強いから」
とニヤニヤしながら私に言ったTさんを、
何言ってんの?
あなたがクラスのみんなを怖がらせて言いなりにさせてるだけじゃない!
何を勘違いしてるの?
自分が一番強いからみんな言うことを聞く?
違うでしょ?
みんな怖いからあなたの言うことを聞いてるだけなんだよ!?
友達がひとりもいないのはあなたの方でしょ!
私の大事な友達に手を出すなんて絶対に許さない!!
そう、大声で言えたらどんなに良かったか・・・
怒りでいっぱいで声が出なかった。
とても悔しかった。
それ以上に言いたいことを言えない自分が、
大事な友達を守れない自分自身が一番許せない。
Nはそれ以来私のそばに寄りつかなくなりました。
声をかけると聞こえないフリ。
近づくと逃げていく。
とにかく極力私と視線を合わせないようにしていました。
Tさんのことを怖がってい言いなりになっているNを責めることはできない。
これはしょうがないことなのだ…
自分を納得させようとするけれど、Nに避けられ続けるのはやっぱり傷つきました。
Kちゃんに相談したかったけれど、どう言えばいいのかわからなかった。
Nを責めることはしたくないけれど、Kちゃんに話したらNを少なからず責めることになってしまう。
そんな葛藤の中、私は学校へ行きたくなくなっていきました。
学校に行くと嫌なことばかり起きるからです。
学校へ行きたくないと毎朝泣き叫んで両親に訴えていました。
両親は世間体を気にする人たちで、私の不登校を絶対に許しませんでした。
不登校なんてとんでもない!
そんなことをするのは不良や犯罪者の子供や施設に預けられている子供がすることだという偏見を持っていて、義務教育を守らない親は逮捕されるとか…。
近所に住む中学生のお兄ちゃんが不登校だったので、そんなことある訳ないのですが…
どうにかして学校に行かせようとしていました。
私が学校でいじめを受けていることを私の勘違いだと、
悪口を言われたり、見下されたり、無視されたり、
そんなことは本当はなかったのだと、
私が被害妄想をしているだけなのだと言ったり、
私が学校に行かないせいでこっちは迷惑している、
親に迷惑をかけて何様のつもりだ!と怒られることもありました。
学校でも、家でも誰も味方がいなくて私は責め続けられていました。
そんなことが続いていたある日、担任のA先生から連絡がありました。
「ずっと休んでるけどどうしたの?」と。
最初は私は先生にいじめられていることを言えませんでした。
父親から先生に告げ口するのは卑怯者のする事だと何度も言われていたからです。
大人の手を借りようとする私はすぐ逃げる卑怯者で、弱い奴だからみんなにいじめられるのだと言い、
忙しい先生の手を借りるのは迷惑なことで先生にとても失礼なことなのだと…
頑なに沈黙を守る私に先生は根掘り葉掘り聞いてくることはなくて、ほっとしたのを覚えています。
二度目に先生が家庭訪問してきたときに、
※卒業後に分かったことですが、KちゃんとNは私が不登校になっていたときに、学校で私にあったことを先生に話してくれていたようです。
「きみが先生に話したことを先生はみんなには言わないよ。約束する」
とまっすぐな目で言われて、
ちょっかいが悪口になって嫌がらせになったこと、
みんなから見下されるようになったこと、
みんなと仲良くしたいのに迷惑だと言われること、
クラスの女子が自分たちのことを棚に上げて全部私のせいにすること。
ポツリ、ポツリ、と話しているうちに、そのときのつらく、悲しかったことが溢れてきて、ぼろぼろ涙をながしていました。
どうして、この人は私が泣いていても怒らないんだろう?
どうして、この人は私の話を聞いてくれるんだろう?
どうして、この人は私に優しくしてくれるんだろう?
不思議に思いながら全部洗いざらい話しました。
自分の父親から「いじめられた私が全て悪い」のだと言われてとても悲しいのだと。
私はなにも悪いことをしてないのに全部私が悪いことになることも、全て。
話してしまいました。
私が落ち着くまで待っていてくれた先生はこう言いました。
「いじめは暴力なんだ‼
だから、
いじめはいじめる方が絶対に悪い!!100%悪い!!
きみは絶対に悪くない!!!」
とまっすぐな目で言うのです。
衝撃を受けました。
一番欲しかった言葉でした。
先生は続けます。
「もし、きみを悪く言ったりいじめる奴がいたら先生に言うんだよ!
先生が懲らしめてやるから!
先生はきみの味方だ!!」
夢を見ているのかと思いました。
味方がいなかった私に味方が現れたのですから。
私が反応がないことを疑っているのかと思ったのか先生は、「本当だよ!」と念を押して。
「だから、安心して学校においで!」
と言うのです。
とても嬉しかった。
先生の言葉で
わたしには味方がいるんだ!!
わたしは1人じゃないんだ!!
と嬉しくなりました。
また、A先生はタイヤ飛びや縄跳びが出来ない私を昼休みや行間休みに、
「特訓するぞ!」と誘い出して、毎日一緒に練習していました。
最初は私はできないことはできないままでいい、放っておいてほしいと思っていましたが、
初めてタイヤを飛べた時、
「ヤッター!!飛べた飛べた!スゴイ!!!!」と
自分のことのように喜んでくれて、
びっくりしたけれど、それがまたとても嬉しかった。
私が出来なかったことを出来た時、
A先生みたいに褒めてくれたり、
飛び跳ねるように喜んでくれる人はそれまでいませんでした。
そんなの出来て当たり前。
出来ない私は普通じゃない、おかしいというのが家でも外でも当たり前でした。
学校へ行くのは相変わらず嫌だったけれど、
私の話を聞いてくれて、私の味方になってくれて、私を応援してくれるA先生のことを困らせたくなくて
次第に学校に通うようになりました。
先生のおかげでTさんと取り巻きの子たちが堂々と罵声を浴びせてくることも、女子トイレに連れ込まれることも、誰もいないところで意地悪をされることもなくなって、
今まで遠巻きに見守っていたクラスメイトからも話しかけられることが多くなり、ほっとひと息安心したのも束の間・・・
今度はTさんたちを怖がっていた子たちからの陰険で陰湿ないじめが始まりました。
私は裏切り者でクラスの男の子たちや優しい生徒思いのA先生を騙している意地汚い性悪女なのだと、
自分たちが制裁を加えてやるのだと、
自分たちは正しいことをしているのだと、
やってることはTさんたちとなんら変わらないけれど、
正直いってTさんと取り巻きの子たちが私にしていたことがはるかマシに思えるほどでした。
特に、男の子が絡む私への嫉妬が多かった。
転校する前の学校ではクラスの仲がとても良くて、男も女も関係ない間柄で困っているときはお互い様精神で助け合っていました。
私はそれが普通だと思っていて男女分け隔てなく接していたのですが、
Tさんたちを恐れる子たちにとっては私が男の子に媚びを売っていると映ったようです。
また、私だけに聞こえるように陰口をたたいたり、
話しかけると、○○菌が移る、やだーっ!とみんなで逃げていく。
私を知らない他のクラスの子に、私が不登校だった理由を実は不良だから学校をサボっていたとか、ヤクザの娘だとか、あることないこと吹き込んだり…
(一部の子は悲しいことに信じてしまっていた)
やめてよ!と勇気を出して言うと、
やめてよだってー、私たち何もしてないのにね。酷いよね、頭打ったんじゃないの?そーかも。もともと頭が悪いのにこれ以上悪くなったらどうなっちゃうの?
私の目の前で内緒話をしてニヤニヤ笑ってクスクス笑い。
これを他の子にねぇねぇ聞いてよさっきさぁ○○がさぁ・・・
彼女たちは堂々と私に文句を言ったり、悪口を言ったり、馬鹿にしてくるTさんとその取り巻きの子たち以下でした。
先生に言うほどのことではない嫌がらせが続いていたある日、
体育館の掃除をしているときにクラスメイトのN君が私に
「お前、よくあいつらのわがままに我慢してられるよな。尊敬するぜ」と。
他の数人の男の子たちも
「そうそう、Tに色々されてもあいつらと違ってお前は絶対に逃げないし、意外と根性あるよな」
「見直したぜ」
「お前は女だけど認めてやるよ」
とそのままの私を認めてくれたことがとても嬉しくて。
嬉しさでいっぱいで「ありがとう」の言葉がなかなか出てこなかった。
ちゃんと私のことを見ている子は見てくれているんだと、
それまでずっと耐えてきて頑張ってきたことが報われた気がしました。
A先生の言葉や、N君たちの言葉、
KちゃんとNの優しさ、クラスの男の子たち・・・
手助けして応援してくれたことを感謝しています。
その後の人生でも窮地に立たされた時に常に思い出してきました。
わたしには味方がいるのだと。
わたしの味方になってくれる人は必ずいるのだと。
信じることができることに本当に感謝しています。
「いじめは暴力でいじめる方が絶対に悪い、いじめられる方は絶対に悪くない」というA先生の言葉は私の原点でもあります。
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とても長くなってしまいましたがここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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