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ポカポカの連鎖


私の周りには、ポカポカしてる人がたくさん居ます。
横に居るだけでこちらの心まで温かくしてくれるような、優しい人がたくさん居ます。

優しいとはとても抽象的で
今読んでくださっている皆さんが考える"優しい"とは、人それぞれ違っていると思います。

思い描く場面も違えば意味も違う。

気になってGoogle先生に聞いてみたら、

【優しい・易しい】
《形》
1.[優]細やかで柔らかな感じを与える有様だ。

ていう定義らしいです。
…うーん、難しくね?笑

(※数ある中から引用させていただきました
 Google先生ありがとう。)

上記の定義を用いてもやっぱり
人それぞれ考える意味は必ずしも同じだとは言えないですよね。
だからこそ優しさを感じる瞬間というのも違う。
…と私は考えていて。

"相手が自分に与えてくれた優しさに気づけない瞬間"って言ったほうが
伝わりやすいかもしれないですね。

私自身、そういう瞬間が多いな〜と思っていて
過去を振り返ってみると
たくさんの人に助けられてるんですよね。

小さな場面も挙げればきりがないほど
自分と深く関わりのない人からもたくさん
何度も何度も気づかない瞬間に
優しさを貰っている。

その背景に何の意図があるかは分からないけれど
きっと見返りなど無くて
ただただ、そこには相手の善意があるだけなんですよね。

けれど、その善意に気付けない時がある。
余裕が無くて気付けないのか
ただその出来事にフォーカスしていないだけか
どこか当たり前化してしまっているのか。

理由は分からないけど
相手の優しさをその瞬間には気付けずによく後悔するんです。

そういう過去の過ちから学んで
昔の自分よりかは人の優しさを素直に受け取れるようになったかな、とは思うんですが
優しさの精神を持ってる人と接すると
やっぱりまだまだだなぁとも思うんですよね。

優しさを受け取らせていただく
だけではなく
自分も周りに優しさを連鎖させていけたら。
って強く思うんです。

助けてくれた相手に直接何かを返すことができなかったとしても
周りに自分の心を渡せば
誰かが受け取ってくれるかもしれない。

ただ、受け取ってくれなくてもいいし
たった1人だけにでも届いたらラッキー✌️
くらいの気持ちで
日々生きてます。笑

まぁなんだろう、
それが自分の中の想いなだけであって
実際にはそんな綺麗には生きれてないんですけどね。

理想を高く設定すればするほど
リアルとのギャップも生まれてくる訳で。

自分で自分の首絞めてどーすんねん。
ってセルフツッコミしながら
日々自分との対話で、なんとか平常心保ってる感じで。笑

環境の変化に負けず
自分に余裕がなくても
綺麗事を全うしたいと努力できるように
理想は変えずに生きていきたいです。

上手に生きれなくていい。
綺麗に生きれなくてもいいから。
泥まみれになりながら人生一生足掻きたいです。



…ってか、
今軽く読み返してみたけど
本題ズレてね??😇

そんでもって
長くね???笑


限界ニートがポエマーにでもなりだしたら終わりなんよなぁ。笑


本筋からズレてるこんなチグハグな所も、
愛嬌として捉えていただけるのであれば
そんな幸せなことはないです。
((ツッコミ所満載ではあるけど^^
((何卒お願い申し上げたい🙏


自分の日常の中で感じてることを、何か少しでも届くものがあればと思い
拙い文章ですが晒してみました。

ここまで読んでくださった皆さんありがとうございます🙇‍♀️
今日が少ない人もそうじゃない人にとっても
今日が良い1日になりますように
と願って。

バイビー。



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