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母から卒業したい

自分の母親は毒親ではない、と思っている。
身体的な虐待を受けた訳では無いし、愛情表現が下手な人ではあるが、彼女なりの愛情を受け、特に経済的に困った記憶もなく、大学卒業後就職が決まらず1年契約の仕事をしていた時も家に置いてくれたし、結婚する時は援助もしてくれ、私が精神科で入院した時は子どものために家事をしてくれた。
なんなら私は母親みたいになりたかった。

だけど、結婚してから、そして子どもを出産してからその思いは疑問へと変わっていった。子どもと過ごしていると自分の子ども時代を鮮明に思い出すようになったのだ。

最初に思い出したのはお箸の持ち方。どうしてこんなことも出来ないの?と言われ最終的にはセロハンテープで指をぐるぐる巻きにされた。鉛筆の持ち方、リボン結び、靴を揃える、歯磨き粉の蓋を閉める、開けた扉は閉める、鍵を所定の場所に置く、学校から貰ったプリントは綺麗に畳む、時間割をしてから寝る、整理整頓その他色々なことが私は何一つ出来なくてその度「なんで出来ないの?何回言われたらわかるの?」「もう私がやった方が早い」と取り上げられ、失望されて、叱られた。
それでも、当時の母は見知らぬ土地で、父も忙しく一人で子育てしていたんだから余裕がなかったんだろうと考えた。
しょうがないよね。時代も時代だし。

次に思い出したのは自分の好きなものを否定される事だった。音楽、持ち物、服、人間関係、友達…友達のことを悪く言われた時は流石に反抗した。でも私が言い合いで母を説き伏せることが出来たことは1度もない。今も。否定は1度では済まされず何度も、恐らく私がそれらを手放すまでずっと言われ続けた。

そして結婚する時。料理が下手な人間はせめて調味料や道具は良いものを使いなさい、とフライパンや調理器具、うちの家計では買えないような高い食材、夫のスーツやワイシャツ、私の服、パジャマ、布団やタオルを「ちゃんとしたものを揃えないと恥ずかしい」「(私の)夫に申し訳ない」という理由で次々と送ってきた。家は母が選んだもので溢れ、自分が選んだものはほとんどない状態だったが、不出来な娘だから少しでも、という母の心遣いを私は有難いなと思った。

精神的に追い詰められていた時、私は「これをしないと夫が(子どもが)かわいそう」「ちゃんとしなきゃ」「私は直ぐに怠けるから」という思いが強く、夫も子ども達もそんなことは望んでないと言うのに無理をし続けた。夫は私のことを「母親の考えをどうしてそんなに尊重するのか、縛られるのか。自分はそんなことまで求めていない、居てくれればいい」と言ってくれたが、理解できなかった。ちゃんとしなきゃ恥ずかしいじゃないか。ちなみにその頃も私は母に否定され続けていて「なんでこんなことも出来てないの」と叱られていたが「流石に子どもの前で私を叱るのはやめてくれ」とは頼んだ。

転機となったのは私の入院だった。
元々私が精神病である事を認めたがらなかった母は、私の入院が長引くことが不服だったらしく、医者の所へ乗り込むと言い出し、私の夫や義理の実家の悪口を言い始め、最終的には「私のやることはどうせ全部裏目に出る」と大泣きして出ていってしまった。キレた私が「あなた(母)の言う事は話半分で聞いとけ」と弟も言っている、と告げた事が原因だった。
母は弟のことを悪くは言うがとても大事にしているので、ショックだったのかもしれない。巻き込まれた弟は申し訳ないと思うけれど。

そうして今は実家の近所だったアパートから引越し、少しだけ遠い場所で住んでいる。15分もあれば行き来できるけど。
こちらからの連絡はせず、夫や弟を通しているけれど、漏れ聞こえる母の声や、弟から母の意図が見え隠れすると、私の頭の中でもはや妄執となった母の「あんたはなんにも出来ないんだから」の言葉でいっぱいになり、調子が落ちてしまう。
声を聞くことも辛い相手から卒業出来るのだろうか。
謝って欲しいとか、今までの辛さを訴えたいとかではなく、ただ本当にそっとしておいて欲しいのだけれど。
そう電話で伝えた時、母は「そんなことは出来ない、あなたも子どもが大人になったらわかる」と更なる呪縛をかけてきた。

この文章を書くのに年単位かかったけれどなにかここから生まれるのか、変われるのか。
進めなくてもいいから後退はしないようにしたいな。

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