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vol.20 オカンのクソヂカラ

実は今、右手の内出血をはじめ
全身相当な痛みでテキパキ動けません。

でも、
いっちばん痛いのはココロです。

昨日あろうことか、
出勤するバスの中で泣けてきました。
(パネェ鼻水、ありがとうマスクさん)

でもどちらかというと仕事あるので
マスカラ落ちないように必死でした。

無論、内出血はワタシの自己責任です。
ワタシは息子に特大ビンタを浴びせました。
なんなら、蹴っ飛ばしもしました。

理由は写真のような
アートとも笑えない作品を
家主の許可なく制作したからです。

笑えないアート作品の一部。壁紙内部の石膏ボードもボロボロ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

この家はね、
亡くなった主人が遺してくれたものなんです。

度重なる地震からも
猛暑の日々からも
凍える寒さからも
護ってくれているのは「家」なんです。

家や物は喋らない。
でもね、
ワタシは生きていると思ってるんです。

痛いよ…って泣いてると感じます。
(チカラが強すぎるワタシは机を持ち上げて投げつけ、それで別箇所も傷つけてしまい猛省)

本当にごめんなさい。
(勿論、はじめから机は投げてません)

キッカケは明らかに
彼自身で解決できる自責の範疇を超えて
人様に迷惑を掛けている社会的現実があり
非常に強く注意しました。

言葉で質問からはじめましたが
現在ならぬ過去も含めて
まぁ嘘が溢れてくるわけです。

嘘を貫くにまた嘘を重ね
やがて何が嘘なのか?
本人も、よう分からん状態なのでしょう。

しかしながら
向き合った一瞬一瞬で
彼の "言葉" を信じてきた身としては
やられた!というより
なんだかものすごく寂しくなりました。

そんな中で苛立ちを募らせた息子が
写真のような、ならぬアート作成…そして
母は大爆発となったワケです。

お恥ずかしいですね、ホント凄まじい家です。
シクシク泣き寝入るような
そんなオカンにはなれないワタシです。

パパが生きて居たら何て言うだろう?
パパだったらどういう方法で伝えるだろう?

家に住まう大人が一人しかいないと
ルールも独裁になりやすい。

お位牌に向かって
何度となく問いかけるけど
特殊能力に長けてないワタシは
自分の情けなさに
パパの御仏前で泣くことしかできない。

でも時間は止まらないし
向き合うべき現実のアプデも止まらない。

その後、ワタシはさらに
息子に楽器をケースごと投げ付け
ならばそれを売って自分で生活してこい!と
夜の町へ追い出しました。

その晩は河川敷で寝ていたのか知りませんが
翌朝、楽器を連れて帰って来ました。

そのまま息子は朝イチからのバイトへ行き
ワタシも情けなさに泣きながら出勤した次第です。

でも、ここからが大事。
やりっぱなしはダメ、提案を持つこと。
(ギリギリのメンタルですけど)

鮮度が生命のイクジには
泣いているだけのヒマも無いんです。

昨夜「家庭内大移動」を発案しました。
いわゆる、シャッフルです。
三兄弟全員に伝え、全員準備に入りました。
(断捨離も兼ねて部屋をキレイにします)

環境を変えて「相互理解」を促します。
お互いがそれぞれの立場になってみて
相手への理解を本当の意味でできるように。

とはいえ家庭内ですから
そんな大それたお題はありません。

でもですね、
「家族」は子供にとって
「生まれて初めて出逢う社会」なんです。

しっかりと個々を尊重しつつ
チームワーク再編は肝要です。

○通学
○アルバイト
○食事の支度
○洗い物
○洗濯は回すのみならず干すとこまで
○トイレ掃除
○お風呂掃除
○大切なニャンコズのお世話!

これらを全員が意識して生活していく。
一見、
物理的行動にしか見えないかもしれません。
しかしこれはとても大切なプロセス。
精神的自由を獲得するための術を得ていきます。

そしてそれらを
多面的に理解できるようになるにつれて
相手への理解、わかっているからこその協力。

「お互いを労い、リスペクトし合える」
そんな関係性と喜びを得ることが大ゴールです。

カンタンではありませんし
また一悶着、二悶着あるでしょうけど
机は投げないようにしたいと思います。

そして同じ "手" をつかうのならば
特大ビンタではなく、最大のバグをしたい。

オカンのクソヂカラは
怒りではなく "愛" であるべきだと思うから。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

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