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2023/6/15 整備とアドリブ

うぐぐ…久々に働くとちゃんと疲れた。

今日は『部屋』について書こうかな。

僕は実家ではめちゃくちゃ散らかし魔だった。

自分の部屋は布団と座椅子以外は全部物が散らばってて、踏める場所が無い日も多かった。片付けなさいと怒られた時は“片付け“という名の物を端に追いやるだけの作業だった。

今住んでる部屋はその頃と比べると比較的綺麗だ。いや、別に綺麗では無いが、まだマシだ。

作業環境が座椅子から普通の作業椅子に変わった事が多分大きなきっかけだろうなー。座椅子で作業してると、床がどうしても“物を置く場所“になる。一旦そうなると無限に床に物を置いてしまうので、引っ越したタイミングで無理矢理椅子を買ったのは良かったな。

あとつくづく思うのは、全てを綺麗には出来ないという事だ。今僕が住んでる住居も比較的綺麗に保てているとは思うが、それは“押し入れはどれだけめちゃくちゃにしても良い“というルールを自分に定めているからだと思う。ひとつそういう場所があれば、他の部屋の平穏は保たれる。

“どれだけめちゃくちゃにしても良い場所を作る“というのは僕の創作論、人生論…というと大層だけど、そういう部分にも関わってくる結構大事な考え方だ。

絵をひとつ描くにしても、全てを自分の制御下で完結させるのはどこかつまらなく感じてしまう。だから基本的にはちゃんと考えて描くけど、この部分はその時のアドリブで良い、なんなら天任せみたいな事をしても大丈夫…みたいな遊びの部分を構想段階から作れるように心がけている。上手く言語化出来ないけど、写真撮る時もそういう感覚はあるかもしれんな。

普段生きる中でもその事はよく考える。理性でちゃんと整備したほうが良い部分と、本能でめちゃくちゃに動いても良さそうな場面のバランス。例えば、旅行に行く時も僕はその感覚で動いている。泊まる場所とか帰りの時間は正確に決めておくが、他はその場の気まぐれで動けるようにしておく…みたいな。

良い風に書いているが、ただ予防線を張っているだけとも言えるな。全部ちゃんとする事が出来ないけれど、かと言って全部その場のノリでやってのける自信も無い人間が苦し紛れに考え出した日々の楽しみ方だ。

掃除の話からはだいぶズレちゃったかも。でも感覚的には同じ事だと思ってる。

まぁ、ちょうど良い具合にやっていこうという話だ。

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