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9月24日のマザコン16

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わかばクリニックの待合室。
一応周りにいる人たちには気を使えるようで、母は私だけに聞こえる小声で「帰りたい……!」と言ってくる。
不思議だ。「公共の場では騒がない」という配慮はきちんとできる人が、どうして家族にはあんな遠慮なしで精神攻撃を仕掛けてこれるのだろうか……。
本来は家族も他人も同じように思いやれる人だった母が、性格がひっくり返って誰も思いやれないのならともかく「他人には配慮できるけど家族にはできない」状態になっているのはなんだか不思議な、ねじれ現象に思える。
もしかしたら、母はずっと家族のことが嫌いで、今までは理性で一生懸命それを抑えていたのかなあ……。

いいから座ってて!とかごたごたやり取りしてるうちに母の名前が呼ばれ、診察室へ。
わかば先生は、姿を見るだけで安心感をくれる先生だ。話す時に常に緊張を強いられる大病院・S病院の先生がたとは大違いである(失礼ながら)。
これは多分、もともとの先生の人間性に加えて、私が相当長い間(7年に亘って)つき合ってもらっているからだと思う。医者と患者でメリハリをつけるべき間柄とはいえ、そこは人間と人間なので、つき合いの長さというのはやはり大事なのである。

ただそれでも、入院のお願いをわかば先生にするのは初めてであり、ドキドキはしている。もしいつものように(あちこちの総合病院で何度も繰り返されたように)「いやいや、入院するほどではないですよ」と言われてしまったら、私はもう本気で非常手段の実行を考えなければいけない。
7年前も今も、私は最終手段を頭の片隅に置いている。もう終わりだとなったらその前にこれをやるという方法。具体的になにかというのは、本当に切羽詰まった先の手段のため法律や社会道徳に反するものであり、ここで書くのははばかられる。無料記事は簡単に炎上するので、これはしばらく後で、閲覧が制限される有料noteとして書こうと考えている。

着席すると、先生は母と私に「前回お薬を出してから1週間ですが、いかがですか?」と尋ねた。
私はもう心になんの余裕もなかったので、開口一番で、「先生、僕がもう耐えられそうもないです。先週から良くなった様子はないし、むしろ、悪くなっていると思います。入院をさせてくれませんか……?」と単刀直入にお願いした。

先生は、いったん心得顔で「そうですか」と相づちを打ってから、母に向き直り、直接母に「入院しますか?」と聞いた。
もし聞いたのが私だったら、早々に「無理だよ! 入院してこれが治ると思うの!?」と攻撃的な返しが来ることだろう。
しかし幸いだったのは、母はこうなっても「他人にはそれなりに配慮できる」という性質を保っており、他人であるわかば先生がそれを聞いてくれたということだ。しかもわかば先生は、先生である。母のような高齢者は特に、「お医者さんは権威であり無条件で偉い」という刷り込みのある世代であろう。
母は私に対するのとは違う、少し落ち着いたモードになって、「入院して治りますかねえ……」と答えた。

わかば先生は私のことも長く診てくれているだけに、きっと私が瀕死状態にあることを悟ってくれたのだろう、母に対して「とりあえず入院してゆっくり休んでみるといいと思います。ご家族の方もそれで一度落ち着けますし」と仰ってくれた。
あああ………。
私は、とりあえず…………、ホッとした。とひと言で表すのは軽すぎるほどの、右肩に乗しかかっていた1トンの荷物が8割方取り除かれたかのような、大きな安堵感を得ることができた。
今私が話しているのは、看病している家族が全員精神を病んで診察室で倒れないと入院を認めてくれない先生ではない、ちゃんと患者本人だけでなく家族をも救ってくれる先生なのだ……。私はきっと、自分の病気のためではなく、今日のこの日のために、今まで7年間このクリニックに通っていたのだ……。

母は納得はいっていなかったはずだが、入院に対して特に強く異議は唱えなかった。
そこで私は、KM病院でもらって来ていた、診療情報提供書を先生に提出した。参考:KM病院と診療情報提供書の話
先生は書類に目を通し……というか、本来はわかばクリニックでの今後の治療のためにもらって来た書類なのだが、この状況になってはもはや重要なのは、内容というよりこの書類がKM病院で作られたという事象そのものだ。
「なるほど、KM病院でこれだけ情報があるのであれば、同じところの方がいいでしょう。ではKM病院に紹介状を書きますので、待合室でお待ちいただけますか?」と、わかば先生は仰った。
わかばクリニックは診察室だけのクリニックなので、入院となればどのみち病棟のある病院に紹介状を書いてもらわなければいけない。KM病院はうちから車で片道45分と遠く、私は「もし近くの病院で入院可能なところがあれば、そちらを紹介していただくことはできませんか?」とお願いしてみたのだが、「いや、過去の診療情報がある病院の方がいいでしょう」と先生は強く仰ったので、従うことにした。
それはもう先生の言う通りだ。120%、先生が正しい。以前と同じ、記録が残っている病院に入るのが母のために1番いいに決まっている。それなのに運転が大変だという理由で、母の治療のための1番を取り除こうとした自分が恥ずかしい……。

それからしばらく待合室で、母と並んで待つ。
先日の、コープの宅食の人が来た日もそうだったが、母は家族以外の人間と喋るとけっこうまともな人になる。そして、その後もしばらくそれを維持できる。
先生と話したことでまた少しまともモードになったらしく、母は「帰りたい」とは言わなくなった。
わかばクリニックでは、待合室に私の著作を置いてくれている。私が書いた心理学の入門書を、本棚に挿してくれているのだ。
母はふとその本を見て、唐突に「ツヨくんは天才だねえ」と言った。「なんでも書けて、天才」と、母は本当の母の口調で言った。
否定の連続の中で、たまに出て来る、私を肯定してくれる言葉……。嬉しい。お母ちゃんに褒められて嬉しいな……。小学校の時に戻ったような気分だ。うーむ、マザコン……。
母が「保険証はお財布にしまったっけ」と言ったので、私は母のバッグから財布を取り出した。財布を開けると、いろんなスタンプカードやポイントカードに混じって、私の名刺が入っていた。母は、私が新刊を出すたびに、名刺を一緒にしてあちこちで配ってくれているらしい。私が送る分以上に、自腹で本をたくさん買って。何度かは、地元の本屋さんに「息子の本を置いてください」と営業をしてくれたこともあった。著者の私でも、仕事中の書店員さんに話しかけるなんてビビってできないのに……。
そんな人を、世界一の自分の理解者を私は、精神病院に入れようとしているのだ……。

しばらくすると、受付の方が説明に来てくれた。
先生の指示で、受付の方(看護師さんかも)がKM病院に連絡を取ってくれたそうだ。今先生は紹介状を作ってくれているとのこと。
さすがにもう午後3時なので、ひと晩待って、明日KM病院を受診するということになった。という手配をしてくださった。明日の午前、8時半から11時半の間に受診しに行ってくださいということ。
ただし朝起きたら体温を計って、37度以上だった場合は家を出る前に電話連絡してくださいということだった。コロナ対策であろう。
そういえば、私はつい先ほど体温が37度以上であった。最初は37度1分、別の体温計で計り直しても37度ちょうどだった。二種類で両方とも37度が出たということは、私は本当に37度以上なのだろう……。もし明日も37度で、電話をして「熱が下がるまで受診は控えてください」とかましてや「熱が下がった後に2週間待機して来てください」とか言われたら、もうジ・エンドだ。対策を考えなければ……。

紹介状も出来たということで、わかば先生も待合室に来て明日の流れを確認してくれた。今日の診察は終わりで、あとは明日KM病院に行けばいいらしい。
私はあつかましくも「入院をするという話で、連絡してくださったのですよね?」と尋ねた。
そういう話をさっき診察室でしたのだからちゃんと話してくれているに決まっているが、とにかく私は7年前の「入院を何度も拒否され一家全滅・全員うつ病」が巨大なトラウマになっているのだ。入院のつもりでKM病院に行ったのに、診察の結果「まあ入院するほどではないですね。ちょっと強めの薬にして様子を見てみましょうか」という具合でただ通院する病院を変えるだけの結果になった、というようなことにもしなったら私は絶望死しかねない。KM病院は海のすぐ近くなので、もし明日入院できなかったら私は帰りに母を乗せた車で海に飛び込むかもしれない。

先生はもう一度受付の方に確認して、「入院ということで話してありますよ」と言ってくれた。……ということは、行ってみるまで100%確定ではないものの、少なくともわかば先生の方では入院に向けて100%の働きかけはしてくださったということである。

わかば先生は、我が家にとっての救世主だ。
7年前は家族が物理的に倒れなければ、紹介状は書いてもらえなかったのに。昨日面談をしてくださった父の方のS病院も、いざとなった時の再入院の許可はもらえたが、それも結局「家族である母が正気を失う」という、ある意味バタンと倒れる方がまだマシなくらいのひどい症状を発症して、やっと入院の許可が得られたのだ。
それくらい精神科の入院というのは「家族が倒れた先にあるもの」だと思っていたのに、今回はまだ、私は倒れていない。私はまだ……倒れていないのだ……! 私が過労で倒れなくても、うつ病を発症しないでも、わかば先生は入院の手配をしてくださったのだ。我が家は、わかば先生から大恩を頂いた……!

しかしまだ油断はダメだ。今日は母を家に連れて帰るのだから。
明日受診をして、KM病院で入院が許可されて母が病棟に入って書面の手続きまで済ませて、そこでやっと本当の入院が達成されるのだ。
それが適うまでは、気を引き締めていかなければ。


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