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9月24日のマザコン11

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火曜日。
相変わらず母は朝からじっとしていられず、キッチンからリビングまで(1階の端から端まで)を行ったり来たり、ウロウロと歩き回っている。
私が下りて行ってすぐ、私に向けてかそれとも独り言か、母は悲しそうな感じで「全部夢だったらいいのに」と呟いた。
本人はおかしくなって苦しみとかそういう感情も消えつつあるのかなと思いきや、これが全部夢であって欲しいと願うくらい、母は母で苦しいのだなあ。
それは私も同じだ。この状況が夢であってくれたらどんなにいいか。今までの人生で私は無数の悪夢を見て来たはずだが、今の現実を超えるほどの辛い夢というのは、あまりなかった気がする。大げさかなあ……。

母はおかしくなっていても苦しくても、相変わらず私の心配はしてくれる。
私は東京から着替えをスーツケースに入れて持って来たのだが、わりとパニック下だったため「これから秋、冬になる」という季節感を忘れてTシャツばかり揃えており、毎日半袖だ。すると母は「ツヨシくん、もう半袖じゃ寒いでしょう」と、2階の洋服ダンスから長袖のトレーナーを出して来てくれた。親って、「子どもが寒そう」という状況にすごく敏感ですよね。
また私は昨日の深夜に、親が手をつけていなかったお惣菜の焼き鳥を食べて、空いたプラ容器をキッチンに放置していた。
普段だったらゴミ箱に捨てる空容器などをなぜキッチンに置いたのか自分でもよくわからないが多分私も少し病んで来ているのかもしれない。
ともかく、すると朝方母はその容器と串の残骸を発見して、「あ、ツヨくん焼き鳥食べたんだ!」と少し嬉しそうであった。
私は先週から無食欲のため「買い物のついでに外で食べてるんだよ」とか「お父さんとお母さんが寝てから食べてるんだよ」とか言ってこっそりウィダーインゼリーをすする日々で、親の前では物を食べる姿を全然見せていなかった。
ただ深夜にやや食欲が戻るので、昨日の夜中は焼き鳥を食べた。母は私が本当に食事を取っているのかずっと半信半疑だったようで、それが今日はちゃんと食べた証拠を見つけたので安心したようだ。「子どもがしっかり食べているか」ということも、親ってすごく敏感ですね。
焼き鳥になった鳥の苦痛は、この際考えないことにしよう。

さて。
今日は午前に、父の病院だ。精神は関係なく、泌尿器科のクリニックである。
母は脳以外はかなり健康体なのに比べ、父はよくあるタイプの病弱な老人で、病院に行くことが娯楽であるかのごとく色んな病院に通っている。泌尿器科では前立腺肥大だかなんだかの薬をもらっているそうだ。
送迎は当然のごとく私である。
父は、母に送迎をさせていた昔からずっとそうだったのだろう、自分は誰かに送り迎えをされたり面倒を見てもらったりするのが当然の権利だと思っているようだ。「手間をかけて申し訳ない」とか「家族の時間を取ってしまって申し訳ない」みたいな感情が皆無に感じられる。私が仕事もプライベートも全部すっ飛ばして自分の家にも住めなくなっている状況、などはまったく気にもしていない様子で時間になると「よし、そろそろ行こう」だ。
「悪いけど病院に連れて行ってもらってもいいかなあ」「ごめんね、今日病院なんだけど車で送ってくれないかなあ」、最低限そういう言葉があるのが人と人とのつき合いのルールだと思うのだが、父の態度を見ていると、彼にとって家族は対等な人間ではなく「自分が快適な暮らしを送るために存在する、自分のために働く生き物」としか認識していないのではないかと思えてくる。

車で20分くらい。11時から予約ということだったので、10時45分くらいに到着。
受付に診察券と保険証を提出して待合の椅子に座る。
すると受付の人が受付から出て来て、「あのう、予約は12時からになっていますけど……」と仰った。
………………。
父が、予約時間を間違えて覚えていたらしい。我々は1時間も早く来てしまったのだ。
…………もう、本当にイヤだ。なんでこんなに簡単に、自分の時間が犠牲になるんだ。俺の時間というのはこんなに簡単に投げ捨てられるような安っぽいものなのかよっ。
片道20分なので家に帰るのも現実的ではない。はぁ、もう仕方ない……じゃあ12時まで待っています、と言うと、「今コロナの関係で、待合室で長く待っていることができないんですよ。なので一度外に出て、12時前に戻って来ていただけますか?」とのこと。あああああああああああああ…………。誰か助けてくれ……。
我々は、駐車場の車の中で1時間待たなければいけなくなった。父と2人で1時間は耐えられないので途中で私だけふらふらと出歩いて、コンビニで時間を潰した。時間を潰すという表現が大嫌いなのに。私には読んでいない本、やっていないゲーム表現したいこと行ってみたい国や地方が山ほど、どう転んでも「潰していい時間」なんて1分もないと、いつも思っているのに。大嫌いな「時間を潰す」という言葉、それをこんなに簡単に……。
帰りが遅くなるとまた母の不安が爆発しそうなので、あらかじめ電話をして、予約を間違えてたので遅くなるむね伝えておく。

やっと診察が終わって、薬局でもけっこう待って、山のような薬をもらって帰る。父は本当に薬まみれだ。薬を愛して薬に頼り、薬に体と最終的には人生を破壊された人だ。
遠鉄ストアでパンやらお惣菜やらを買って帰る。

午後は、コープの宅配の人が家に来た。
コープのサービスに、「宅食」がある。コープって、全国的にあるものなのだろうか? もしかしたら静岡や近隣県限定かもしれないが、コープは食材とかをネットや注文用紙でオーダーすると家に届けてくれるサービスで、そしてワタミの宅食のように、コープでも高齢者向けにお弁当を毎日(週5日ないしは週3日)届けてくれるコースがあるのだ。
さすがに私が毎日朝昼晩食べるものを買って来るのは大変なので、宅食サービスに申し込むことにした。
これも7年ぶり。第一次家族崩壊で誰もごはんを用意できなくなった時は、ワタミの宅食に申し込んでいた。ただ、申し訳ないが高齢者向けの宅食サービスは、全然美味しくない。老人向けで健康重視過ぎて、薄味で食べていてなんにも楽しくない。なによりワタミの宅食を食べていた時は家が地獄絵図だった時なので、「ワタミの宅食」という言葉を見たり聞いたりするだけでトラウマ級に憂鬱になる。なので今回はワタミは避け、初めて使うコープの宅食に申し込むことにした。
まあいずれにせよ高齢者向けのお弁当であるし、「宅食サービスに申し込む」という行為自体が、親(もしくは自分)が年取ってごはんを自分で調達できなくなったという事実を示すわけで、誰もが宅食サービスは辛い気持ちで申し込むものなのだと思う。宅食へ申し込みするということは、家族のなにかが終焉に向かっているということなのだ……。

配送先の確認を兼ねてだと思うが、申し込みは古風なやり方で、担当の人が家に来て書類を書くという形式だった。
父は寝室で具合悪そうに横になっているため、私と母が応対する。ダイニングに上がってもらい、説明を受けて書類を記入。
母がすらすらと普通に喋っていて驚く。週5日コース申し込みで一人分毎週3000円ちょっと、今の母なら支払いに関する話をすると「そんなお金あるわけないじゃん! 払えないよそんなの、破産するよ!」となるのが定番なのに、見知らぬ人が相手だと、なぜか落ち着いて夕食の申し込みができている。
たまたま調子が良かった時間帯なのかもしれないが、多分、うつ病にせよ認知症にせよ、高齢者というのは「他人の前ではしっかりする」という性向があるように思う。
その性向はまったく良いことではなく、家族としては最悪だ。
だって、1番悪い状態を示して欲しい、お医者さんや介護認定の係の人の前で、急にシャキっとしてしまうのだ。そこでこそ存分に悪い症状を出して欲しいのに。その不幸な傾向のせいで第三者からは「わりとしっかりしていますね」と判定されてしまい、入院が許されなかったり介護度が低くなってしまったりという悲劇が、日本中で起きているのだ。病状を正確に捉えてもらえるかどうかが家族にとっては死活問題なのに。
これが逆だったらどんなにいいかと思う。家にいる時にはわりと調子が良く、お医者さんや認定の人の前で具合が悪くなってくれたら、家族は本当に助かるのに。

コープの人と普通に話せた良い流れを引きずっているのか、コープの人が帰ってからも、母はしばらくの間わりと普通に近い状態であったように思う。
これからうちは夕食を全面的に外の会社に頼るということを、母も不甲斐なく感じているようで、申し込みが済んだ後に母は「ツヨくんにごはん作ってあげたいな」と寂しそうに言い出した。
いつもと違ったのは、さらに続けて「お味噌汁くらい作ってあげたい」と言い、私が「今なら作れるんじゃない? 作ってみなよ」と促すと、冷蔵庫から材料をスラスラーと取り出してあっという間に豆腐と油揚げの味噌汁を作ってしまったことだ。
ごはんはタッパに入れて冷蔵庫に保存されていたものがあったので、それも母はレンジで温めてくれ、ごはんと味噌汁を私の前に出してくれた。
今回実家に帰って、味噌汁だけとはいえ、初めて母が料理を作れた。なんとも喜ばしい。もしかしてわかばさんで出してもらった薬が効き始めているのだろうか……? そうであってくれたら嬉しい……。
時間は中途半端であったのだが、なにごはんかはともかく私はごはんと味噌汁を食べた。母がこれを作れるようになったということに私もホッとして、ごはんと味噌汁くらい入る食欲が出た。この調子でいろいろ作れるようになってくれますように……。

……がしかし、そううまくは運ばないのだ。
やはり味噌汁はコープの申し込みからの「よそ行きバージョン」の流れで作れたものだったようで、しばらく経つと、母はまた妄想モードに入り、具合が悪くなってしまった。
夜になって母は、味噌汁が作れたので他のものもいけると思ったのだろう、「冷凍の『鉄火丼の素』を解凍して鉄火丼を作る」ことにチャレンジし出した。父と2人分の夕食だ。
ところがそれは全然うまく作れていなかった。ただパックを湯煎して中身を取り出して、ごはんに乗せるだけなのに……。マグロもごはんも適切に温められなかったのだろう、盛り付けも上手にできず、べっちゃり固まったごはんの上にべっちゃり固そうなマグロが乱雑に転がっているという、無惨な鉄火丼だった。適切に時間を計るとか、食材を見栄え良く並べるとか、そういうことができなくなってしまっている。そして、そのことに母自身もショックを受けて「ああ全然上手にできなかった、もうなんにもできないよ……」と悲観発言が出てしまう。
せっかく少し良い状態になったと思って喜んで、でもその後にまた元に戻ると、こっちもかなり意気消沈する。
まあ焦らず様子を見なきゃダメだよね……凹まずがんばらなきゃ………


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