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9月24日のマザコン

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ある日のある瞬間から、両親の不調に巻き込まれて突然人生が激変した悲惨な人の日記です。でもまだ諦めていないよ。
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2020年11月の記事一覧

9月24日のマザコン6

ひとつ前の記事を読む  記事一覧 記事の本題とはズレますが、この文章は無料コンテンツにもかかわらず、また記事の公開を開始したばかりにもかかわらず、すでに何件かのクリエイター支援・サポートをいただきました。 ご支援くださった方に、心より感謝いたします。 いただいた支援は、今後私がなんとか自分の活動に戻れるよう、主に浜松・東京間の交通費をはじめとした、二拠点生活に必要な活動資金とさせていただきたく思っています(まだ今は実家に釘付けの状態で、とても二拠点とか言っていられる局面では

9月24日のマザコン5

最初から読む  ひとつ前の記事を読む 急遽受診予約を入れてもらったこともあって、わかばさんはだいぶ混んでいた。 しばらく待合室で待機するのだが、母の症状には「歩き回らずにいられない」というものがある。構造はよくわからないが、本人曰く「足がむずむずしてじっとしていられない」ということだ。 最初の10分くらいは待合室の椅子に大人しく座っていたが、やがてその場で立ったり座ったりし始め、一応周りには配慮して私だけに聞こえるように小声で「もう帰りたい……!」と囁いてくる。 そう言われ

9月24日のマザコン4

最初から読む  ひとつ前の記事を読む この一連の日記は、当然であるが1ヶ月近く後から、過去を振り返って書いている。 なので、これを書いている今は9月末と比べればいくらかは状況が変わっているし、自分の気持ちも少しは前向きになれている部分もある(もちろん変わっていない部分もあるけど……)。 なので特に友人知人のみなさんには、私のことはそこまで心配しないでも大丈夫ですよと、この場を借りてひと言伝えておきたい。 ただ執筆時の心境がどうかは置いておいて、この日記内ではあくまで当時の出

9月24日のマザコン3

最初から読む  ひとつ前の記事を読む 母の不安妄想は、同居する家族の精神をも少しずつ壊していく。 繰り返しになるが、正常な状態の母から、悲観的な発言などほとんど聞いたことがない。 親戚や近しい人が具合が悪ければ頼まれもしないのにごはんを作ってあげたり病院に連れて行ったり、60を過ぎても料理教室やパソコン教室に通ったり毎日ピアノや二胡を練習して生徒さんに教えたり老人ホームに慰問で演奏に行ったり、息子ながら感心する行動的な人だった。 70になっても私が帰省後に東京に戻る時にはい

9月24日のマザコン2

最初から読む スーツケースをガラガラと転がしながら東京駅から新幹線に乗る自分は、他の人々から見ればGOTOキャンペーンの旅行客や、地方に出張する会社員にでも見えていたかもしれない。 その実、私は誰も想像しない立場にいる乗客なのだ。親が両方とも精神を病み、慌てふためいて地元に帰ろうとしている人間なのである。 人はこんな気持ちで新幹線に乗らなければいけないこともあるんだなあ……。「俺の人生はこれからどうなるんだろうか」と、非常に絶望的な思いで私は走り行く窓の夜景を眺めていた。

9月24日のマザコン1

2020年9月24日、その日の私は、まだ明日も、明後日も来月も来年もその先も……うまくすれば永遠に、今日と同じような、自由で普通の日々が続くものだと思っていた。 いや、思ってもいなかったかもしれない。 だって明日が今日と同じような普通の1日であろうことなどあまりに当たり前すぎて、「明日はどんな日になるだろう」なんてことは、平凡な日々の中では考える暇もないからだ。 実際は、私の東京生活……何十年もかけて積み上げてきた自分の居場所での人生は、この日で終わろうとしていたのに。