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9月24日のマザコン2

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スーツケースをガラガラと転がしながら東京駅から新幹線に乗る自分は、他の人々から見ればGOTOキャンペーンの旅行客や、地方に出張する会社員にでも見えていたかもしれない。

その実、私は誰も想像しない立場にいる乗客なのだ。親が両方とも精神を病み、慌てふためいて地元に帰ろうとしている人間なのである。
人はこんな気持ちで新幹線に乗らなければいけないこともあるんだなあ……。「俺の人生はこれからどうなるんだろうか」と、非常に絶望的な思いで私は走り行く窓の夜景を眺めていた。

いや。まだ、絶望と決まったわけではない。
まだ母の具合がどこまで悪いかはわからないのだ。実際に会って見てみないことには。
とにかく、7年前のような事態だけは避けたい。というか避けなければ、うちはもう破滅の道しかないではないか。
きっと息子が帰って来たことでいくらか安心し、案外簡単に10日前の、これまで40年知っていたいつもの母に戻ってくれるさ……。戻って欲しい。頼む、戻ってくれ。
私はひたすら祈るしかなかった。

我が家族は70代の両親が浜松で2人暮らし、一人っ子の私は東京で1人暮らしと離れて生活する3人家族なのだが、7年前、父だけでなく3人とも……つまり家族全員が立て続けにうつ病を発症する(父は躁うつ病だが)という、壊滅的な状況に陥ったことがある。
その時は、まずはじめに母が発症。そして、次に一緒に暮らしていた父が発症。
私は母が危うくなった時点で実家に戻り事態を収拾しようとがんばっていたのだが、両親とも入院できるまで時間がかかってしまったせいで、間に合わず私も精神を病み、うつ病を発症した。
うつ病は感染症ではないが、特に少人数の家族で誰かが発症した場合、一緒にいる人間も巻き込まれて心を病んでしまうことがよくある。少なくともうちは100%そうなっている。その点ではうつ病は、「他人にうつる病気」であると言えると思う。
私は入院こそしなかったが(というか両親が病院に入ったので、私はなんとしても家に留まらなければいけなかったのだ)、しかし1年近く病気を引きずり、仕事を飛ばし大勢に迷惑をかけ意欲のあることはなにもできず物も食べられずカカシのように「ただ毎日そこに存在しているだけ」という具合で生きていた。

今回の局面は間違いなく7年前から繋がっていることなのだが、またおいおい、7年前の家族崩壊の発端や、細かい経過についてもここで書いていきたいと思っている。
この記事は全体のプロットを作ったりストーリーをきちんと構成しているわけではまったくなく、いきなりパソコンに向かって乱雑に書いているので、話が前後したり同じことが何回も書かれたり、あるいは私の精神状態によっては更新が止まったりするかもしれないが了承いただきたい。思い出したくもない出来事を思い出してアウトプットする作業は、今の私にはなかなかの負担なのだ……。

東京の部屋を出たのが夕方5時ごろで、浜松駅に到着したのは夜の8時頃。
まずは駅のコンビニで、ウィダーインゼリーをいくつも買う。
昼までは美味しくごはんを食べられていたが、母からの電話を受けて一切の食欲はなくなった。当分食欲が戻ることはないとわかるので、カロリーは流動食でなんとか確保しなければいけない。

いつも実家に帰る時には私鉄の最寄り、遠州鉄道のさぎの宮駅まで母が車で迎えに来てくれるのだが、ほんの1週間前まで父の病院へ何度も通っていた母は、この1週間で運転ができる状態ではなくなってしまった。
私は電車ではなく、バスターミナルから市バスに乗った。
私がバスで実家に帰るということは、イコールで「親が2人とも深刻な健康状態にある」ということを意味する。両親のどちらも最寄り駅まですら車を運転して来られないということなのだ。7年前の、あの時以来だ……。だから、バスの車内から浜松の景色を見るということが、私は嫌でたまらない。

駅から北に向かって40分ほど。スーツケースを抱えてバスを降りる。
バス停からうちまで、電灯もほとんどない、暗い住宅地を歩く。……暗い。
荷物が多いので徒歩15分くらいかかった。実家に到着したのは夜の9時。
インターホンを押すと、すぐ母が鍵を開けて迎えてくれた。

さて。
両親ともから「おかえり」という言葉はあったものの……。
実家は、先月帰省した時とはまったく違う、陰鬱な空気に包まれていた。
2人とも会うのは1ヶ月ぶりである。父は先月は病院にいたが、退院後の父も相変わらず、「退院の許可が下りた人」とは思えないほど入院直前と変わらない、覇気の無い様子であった。なにをするでもなく、テレビもつけず、調子が良くなさそうにただじっとリビングの椅子に座っている。

そして、母。
もしかしたら会ってみたらそれほど、心配するほどは悪くないかも……と、薄い望みではあるが切実に願っていた、私の希望は虚しく打ち砕かれた。
1ヶ月前にはバリバリすべての家事をこなし、明るくぺらぺらと喋り、うちのことは心配しないでいいよ、なんとかやっていくからね、と頼もしく言ってくれた母は、まったくの別人のようになっていた。

少し様子を見ただけで、7年前の症状が再発していることがわかった。
ストレスが許容量を超えたことで、うつ病が復活してしまったのだ。
母がすごく不幸なのは、うつ病の症状が、ただの落ち込みや無気力とは大きく異なっていることだ。
これは高齢者には珍しくないケースらしいが、高齢の(とはいえ7年前の母は64歳と、そこまでの高齢ではない歳だったのだが……)人がうつ病に罹ると、落ち込んだり動けなくなるところを通り過ぎ、「急激な認知症」のような状態になってしまう場合があるのだ。

うちの母について言えば、まず、じっと止まっていることができなくなる。家の中を、せわしなく行ったり来たりぐるぐると歩き回るようになる。
また、これはどういう作用が起きているのかわからないのだが、脳がまともに働かなくなって、今までできていたことが突然できなくなる。車が運転できなくなる、料理が作れなくなる、パソコンが操作できなくなる。母は家事全般と音楽が得意で、7年前まではピアノや二胡の講師をやっていたのだが、それもうつを発症してから突然ぴったりとできなくなった。人に教えることだけでなく、自分でも演奏できなくなるのだ。
これは多少は理解できる部分もある。父もうつ状態の時期には車に乗れずパソコンも使えなくなるし、私もうつ病だった時はとにかく物忘れがひどくなって(特に「物を変なところに持って行ってしまう」ということがよくあった。例えば歯を磨いた後に歯ブラシを定位置ではない箸箱に入れてしまったり、食後に食器を洗おうとしたら皿を台所ではなく洗面所に持って行ってしまったり、「なんで俺はこれをここに持って来ているんだ?」となることがよくあった)、頭を複雑に使うようなことができなくなったので、母はそれが特にひどく現れているのだろう。

しかし……、母の場合は、さらにもっと辛い症状がある。
これが1番辛いのだ。少なくとも家族にとっては1番辛い。
それは、「心配事の妄想がひどくなり、その心配を口にし続けなければ気が済まなくなる」ということだ。
例えば、「うちはもうダメだ」「もう破滅だ」「もうお父さんはボケちゃって治らないよ……!」「お金ないんだからもう病院なんて行けないよ!」「もう私も治らないよ!」など、元々少し心配だったことを自分の中で無限に膨らませ、妄想のレベルまで心配を高めてそれをどんどん口にするのである。
うろうろとキッチンとダイニングとリビングを歩き回りながら、私や父の顔を見れば「もうダメだよ」「破産だようちは!」と訴えてくる。

これはまったく、7年前のコピーと言っていいほど同じ症状である。記憶から消したくてたまらなかったあの悪夢が、また現実として、私の目の前に現れたのだ……。
今の母は本来の母とは完全に別人であり、私から見ると、なにか悪い霊のようなものに取り憑かれてしまったのではないかと思うほどだ。
そもそも顔がいつもの母ではなくなっている。
ほんのひと月前まで、7年前を除いては私が物心ついた時からずっと40年以上、母は後ろ向きなことはほとんど言わず面倒見が良くいつも明るく楽しくお喋り好き、人間の世話も動物の世話も好きで道に落ちて弱っているスズメの雛を見つければ拾って帰って元気になるまで一生懸命介抱するような優しい人であった。
10日前には電話口で「お父さんには早く治ってもらわないとね」と前向きに言っていた人が、今は「もうお父さんも私も治らないよ!」と歩き回りながら怖い顔で繰り返している……。

7年前には、最初に母がうつ病になりこの症状が出たことで、一緒にいた父も私も精神をやられたのだ。

父の躁うつ病の場合は、妄想の症状は出ないようである。7年前も出なかったし、今回も大丈夫なようだ。どこまで頭が働いているのかわからない鈍い雰囲気でリビングに座っているが、しかし母と比べれば、まだ父の方がまともである。
父は私に向かって、「お母さんが具合悪いから、ツヨシ、一週間くらいうちにいてくれないか」と言った。
一週間って……、なにを言っているんだろうこの人は。
私は「一週間でこの状況がなんとかなるわけないじゃん。当分いるよ!」と答えた。

もちろん、いたくない、こんなところに。
私は、今日の午後2時までは自分の人生を生きていたのだ。
ジムから帰ったら日課のオンライン英会話をやろうと思っていた。その後は英単語を覚えたり仕事の原稿を書いたりネットサーフィンをしたりゲームをしたり、夕食はスーパーで買って来た天丼を食べる予定だった。そしてストレッチをして風呂に入って布団を敷いてスマホをだらだらと見ながら、いつも通り、眠りにつくはずだった。
ここは、自分の家ではないのだ。
高校を卒業してから、もう何十年もここには住んでいない。
嫌だ……。今すぐにでも東京の部屋に帰りたい。仕事もしなきゃいけない。飲み会の予定だってある。こんな暗くて絶望的な状況の家に、いたいわけがない。

でも……、明日にせよ一週間後にせよ、私が2人を放置してこの家を離れたらどうなるだろうか。
2人とも頭がまともに動かず運転もできない、パソコンも使えない、長く歩けないのでスーパーやコンビニに行くこともできない。食べる物がない。
それだけの問題ではない。私がいなければ正気をなくした母は父に対して1日中うろうろしながらずっと妄想の心配事を投げつけ続けるだろう。それをうつ状態で具合が悪い父が、1日中受け止め続けることになるだろう。空腹か過労か精神崩壊でどちらかが倒れるまで、それが続くだろう。
いや、両方が倒れるまでか……。

今、この家族の中で、まともでいるのは自分だけである。
私がなんとかするしかないのだ。


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