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9月24日のマザコン3

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母の不安妄想は、同居する家族の精神をも少しずつ壊していく。
繰り返しになるが、正常な状態の母から、悲観的な発言などほとんど聞いたことがない。
親戚や近しい人が具合が悪ければ頼まれもしないのにごはんを作ってあげたり病院に連れて行ったり、60を過ぎても料理教室やパソコン教室に通ったり毎日ピアノや二胡を練習して生徒さんに教えたり老人ホームに慰問で演奏に行ったり、息子ながら感心する行動的な人だった。
70になっても私が帰省後に東京に戻る時にはいつも浜松駅まで車を出してくれ、「うちはなんとかやってるから。心配しないでいいからね!」と明るく見送ってくれた。
そういえば、Youtubeに上げている動画で、母の練習する二胡が聞こえているものがあった。9年前、まだうちが平和だった時に撮った動画だ。ムク20111029

私の本の読者さんや、Podcastのリスナーさんは私の人となりをある程度把握していると思う。だからなんとなくわかるのではないか。
私は多分、世の中的に言って「マザコン」という部類の人間である。母親に甘やかされて育った人間独特の気質が、私の作品から(特に旅行記などのエッセイから)感じられるのではないだろうか。
一人っ子の男となると、割とそういうタイプが多いと思う。
まあ何十年も離れて暮らしているわけなので、現在進行形の真性マザコンではないかもしれないが、40歳を超えて完全におじさんの年齢になっても「ツヨシくん」とくん付けで呼ばれていることからも、マザコンの関係がうっすら引きずられているのは伝わるのではないか。

だからこそ、この世に誕生した時からずっと自分を甘やかしてくれ、子どもには心配かけまいかけまいとずっと気を配ってきてくれた人が、突然表情も人格も変わり「破滅だ、うちはもう目茶苦茶だよ! 破産だよ。もう終わりだ、もう治らないよ!」と執拗に言葉をぶつけて来るというのは、私には大きな苦しみとなる。

7年前、母が最初にうつ病を発症した時も、原因は許容量を超えたストレスであった。
その時は、まず飼い始めた犬(上の動画のムクの次の3代目のムク)が1年以上経ってもなかなか懐かないというストレスがあった。
しつけ教室までせっせと通ってがんばっていたのに、なぜか「ごはんを食べた後」になると3代目ムクは目の色が変わり凶暴になって、本気で家族を噛んでくるのだ。もしかしたらあのムクも、先天的になにか病気を持っていたのかもしれない。私は帰省した時に母を安心させようと「ほら、全然怖くないよ、ムクは本気で噛んだりしないよ、大丈夫!」と言って目が変わっている時のムクに抱きついたら思いっきり噛まれて流血、病院送りになり、母に余計にストレスを与えることになってしまった。
さらに並行して、その時期に父が脳に腫瘍があることが発覚、なおかつ母の親族が金銭トラブルに巻き込まるなど、悪い偶然で同時多発的に大きなストレスが襲いかかってしまい、母は心を病んでしまったのだ。
最初は我々素人が持っていたうつ病のイメージ通り、「落ち込みがひどい」というくらいであったのだが、徐々に運転や家事(特に火を使うこと)など今までできていたことができなくなり、やがて不安の妄想が発動したのだ。
当時我々家族にはうつ病の知識などなく、どう対応していいのかもわからず、行動が遅れてなかなか母を入院させることができなかった。そのため、同居していた(私は「長い帰省」だが)父と私が精神を削られ、家族全員共倒れになったのである。

なおひとつ断りを入れておくと、母の病気は「うつ病」か「不安神経症」というものか、2つの可能性があるらしい。ただその2つは区別がつきにくかったり同時に発生したりするもので(治療法もほとんど同じとのこと)、一応7年前の診断は「うつ病」となっていたので、記事内ではうつ病としておく。

「言霊」という言葉があるが、後ろ向きな言葉というのは基本的に発言する者にとっても聞く者にとってもマイナスに作用するものだ。リアルな会話でもそうだし、SNSなど文字だけの世界でもそう、他人の愚痴や文句を見れば、誰しも多少なりとも嫌な気持ちになることだろう(この事態が起きてから私もTwitterで頻繁にネガティブな発言をしており、フォロワーさんには申し訳なく思っている)。
もちろんストレス発散のための、たまの愚痴は精神の健康のために必要だと思う。週末にお酒を飲みながら同僚と仕事の文句を言い合うというのも、気持ちをリフレッシュさせて来週への英気を養うためには有効なのではないか?
が…………、その愚痴が、現実を超えて妄想まで達した支離滅裂な愚痴となり、それをお経や呪文のように繰り返し長時間ぶつけられると、聞いている方は「嫌だなあ」を通り越して本当に病気になるのだ。それを私は7年前に自らうつ病になり身を以て学んだ。

そして今。
あの悪夢の状況が、7年経って、再来してしまった……。「もう1回あの事態に巻き込まれるくらいなら死んだ方がマシだ」と何度か思ったことのある、あの事態に、またなってしまったのだ。
まだ7年前のあの時は、父は正気であった。母の症状の出始めにはまだ父はピンピンしており(頭に腫瘍は見つかっていたのだが、当分経過観察でいいような軽めのものだったらしい)、母を車で病院にも連れて行けたし、母をいったいどうすれば良いのか私と2人で理性的に話し合うこともできた。
しかし今回は、あの元気だった父はいない。今いるのは、歩いたり喋ったりはできるがうつ症状と薬の飲み過ぎと軽い認知症により、73歳にして90歳や100歳くらいにも見えるくらい、いろいろが鈍くなってしまった父なのだ。
今回は「私と父で母をなんとかする」という状況ではなく、「私が父と母をなんとかしなければならない」という状況なのだ……。

それでも一応父に話を聞いてみると、父が退院して来て、ほんの5日ほどで母はおかしくなり始めたそうだった。
7年前はもう少し、時間をかけて徐々におかしくなっていたはずだ。今回はスピードが早い。あれから7歳年を取ってしまったからだろうか。

今回なにがそんな短期間で母のストレスになったのかというと、これはもうはっきりしていて、入院前とさほど変わらずぐたっと弱っている……むしろ少し認知症が進んでしまったように見える父が、退院してずっと家にいることが大変なストレスなのだ。
入院前は長い間その状態で暮らして来たのだし、だから私も「今までもなんとかやって来てるんだからこれからもなんとかやっていくだろう」と、子としての責任を放棄しておめでたく考えていたのだ。
ただむしろ一度父が入院して家からいなくなったことでストレスから解放され、楽になったところにまた父が戻って来たことで、気持ちのアップダウン、揺り戻しが強烈だったのだと思う。
父と一緒に暮らすことがなにがそんなにストレスなのかというのは、色んな要素が組み合わさっていて、今の説明だけでは足りずもっとうちの家族固有のドロドロした闇の歴史のようなものが関わってくるのだが、そこまで詳しく書くと長くなる。
この父との生活が精神を破壊されるほどのストレスだということはすでに母が証明しているが、この後この私も自らの身で学ぶことになる。また後で順次、うちの家族が抱える闇についても書いていければと思う。

ともあれ……
こういう局面になった今、まず、なにから手をつけるべきだろうか?
7年前はだいぶ路頭に迷ったが、あの経験を踏まえているので、今はやるべきことはわかっている。
まずは母を病院に連れて行くことだ。精神科の病院をすぐにでも受診させなければいけない。
今日はもう夜の10時になろうとしていたので、私は「お母さん、明日わかばさんに行くからね!」と伝え、とりあえず寝てもらうことにした。
わかばさんというのは、私が7年前から通っている浜松の精神科のクリニックである。父が入院していた総合病院とは違い、先生が個人で開業している小さなクリニックだ。
私は20代からずっと東京住まいなのだが、7年前の「家族全員うつ」という第一次家族崩壊の時に、しばらく実家に滞在しておりそこでわかばさんに通い出した。その後私はうつの症状から回復しても、経過を見てもらったり睡眠導入剤を出してもらったり、なにかと用事(?)があり数ヶ月に1度、浜松に帰省する度に私はわかばさんに通っていたのだ。

そして、先月、8月から母もそのわかばさんに通い始めていた。
それは私が勧めたのだ。先月に帰省した時、母が父の退院を不安がっていたので、「なにかあった時のために診察券作って頓服の薬でももらっておけば?」と勧めておいたのである。
別に病気でなくても、抗不安薬や、睡眠導入剤はお守り代わりに持っていていいと思う。実際に飲まなくても、家に常備していて「寝れない時はあの薬があるぞ」と思うだけで気が楽になって寝れるようになったりするものである。
ただそれより大きな理由として、とにかく精神科は予約してから初診まで時間がかかるということがある。初めての場合、今日電話して明日かかるというのは大抵のクリニックでは無理である。だから、なにもない時にこそ(もしくはまだ少ししか困っていないうちに)、なにかあった時のために診察券を作っておいた方がいいと思ったのだ。
明日は金曜日なので、再診ならば当日で受け付けてくれるはずだ。
すぐにかかれる病院があることは、この先が見えない暗闇の中ではひと筋の光である。

今日はもう寝ようと言うと、母は何割か残っている理性で私の心配をし「ごはん食べたの?」と聞いてきた。
食べていないし、今日の午後から私も精神的に追い込まれ食欲は無になっているので、食べたくも無い。
が、そんなことを言うとまた母に余計な不安を持たせることになるので、私は「最近ごはん食べる時間遅いんだよね。夜中になったら1人でなんか食べるから!」と伝えて強引に両親を2階に追い立てた(うちの家族はみんな2階のそれぞれの部屋で寝る)。

私もなるべく早く寝よう。寝られる精神状態でもないが、睡眠導入剤を東京の部屋からリュックに入れて持って来ている。このような難局に陥ったからには、薬の力を借りてでも寝なければならない。
この事態は間違いなく長引く。家族が滅亡するか、滅亡をギリギリで免れるのか、それは、この私が心身を正常に保てるかどうかにかかっているのだ。


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