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統合失調症になりました(発病編)

タイトルの通り、私、統合失調症という精神病にかかりました。


去年の12月発病(主に不眠)⇒1月に心療内科受診、適応障害、うつ状態と診断される⇒感覚過敏になりすぎてしまったため処方された薬飲まないでおく⇒状況悪化、救急搬送されて統合失調症と診断される という流れです。

統合失調症って何?って方はこのページを参考にしてください。私の症状がほとんど当てはまっています。100人に1人がかかるらしいけど、私の周りにはさっぱり聞いたことがないので嘘だろって思っちゃってますが。

幻聴、幻覚、希死念慮、妄想とかが主な症状です。私は、本当に酷い状態の時に幻聴と関係妄想が暴走していました。

どんな経過だったのか

どんな風にして統合失調症の症状が現れたのか、もう少し具体的に説明したいと思います。

2/20 大好きな藤原竜也の舞台を観に行く


舞台を観に行く前まで、幻聴や幻覚などの症状は全くありませんでした。
しかし、舞台を観に行った際に、「あなたの居場所はここにあるよ」と聞こえたのです。はっきりと。
こだまのような感じで、「ここにあるよ、舞台にあるんだよ」と聞こえたので、私は舞台女優になるんだと決意しました。
さらに、藤原竜也の声で「まいりました、僕についてきてください」と聞こえました。
私は、それが現実のものと信じて疑いませんでした。
自分がおかしくなったのだとは思っていませんでした。
新潟に帰省してすぐ、芸能事務所のオーディションに応募しました。

2/22 自分は女優しか道がないと思う

この日は一日就活の日でした。でも、あまり身に入らなかったことを覚えています。
風の音、川の音、ペンを走らせる音、全部、うるさいくらいに過剰に感じました。
そして、就活イベントに参加している時も、「ごめんね」「ほんとにごめんね」と聞こえていました。
普通の就活の場には、自分の居場所はないんだと思いました。
より一層、女優になるんだと期待に胸を膨らませていたことを覚えています。

2/23 禁断ワードを言ってしまう

忘れもしません、23日は、あきらかにおかしかったです。
まず、私が好きなものたちがみんな私を励ましているように感じて、不気味に思いました。
好きになったバンド、アーティストの方々の励ましメッセージが、全部私に向けられていると思っていました。
そして、23日の夜、私は、この世で言ってはいけない言葉(当時はそう思っていた)を言うことになります。
それは、大丈夫じゃない人に、大丈夫?と声をかけることでした。
大丈夫じゃない人、それはでした。
母は仕事に追われていて、必死に仕事をこなしていました。
そんな母に、大丈夫?と言ってしまったのです。
言った瞬間に、体に電流が流れたような衝撃を感じました。(今思うと、ドーパミンの過剰分泌ですね)
「言ったな!?!?!?!?」という声があちこちから聞こえてきて、恐怖でたまりませんでした。

2/24 親に殺されると思う

禁断ワードを言ってしまってから、親が怖くて仕方なくなりました。
私は110番をしました。「親に殺される」と震えながらの声で通報しました。
逃げました。家から逃げました。必死に逃げました。
一回親に止められましたが、親が赤い化け物に見えて、恐ろしくてたまらなくって逃げ続けました。幻覚とは思いもしませんでした。
逃げた先に、大きな木がある家を見つけて、ピンポンを押しました。
幸いなことにその家の方が迎え入れてくれて、警察が来るまで家に留めておいてくれました
そのうちに、警察が来て、なぜか救急車もいました。
親が捕まると思っていたのに、私が救急搬送されたのです。
そうして搬送された先は、精神科の閉鎖病棟でした。


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