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信じるものは救われる

 今、日本人の宗教離れが進んでいるらしい。
確かに前職の頃、代々立派な戒名を頂いていたお家でも若い喪主が「戒名はいらない」と言ったり、「家族葬だから祭壇はいらない」と言ったりするのをよく聞いた。

 気持ちはすごく分かる。自分の家がずっとそのお寺様とお付き合いがあっただけで自分自身は特に「戒名」とか「祭壇」とかに必要性を感じないからそうなるのだと思う。


「遠方から引っ越してきたのでお寺の紹介をして欲しいのですが。」

「おうちのご宗旨はなんですか? 」

「○○宗です。」

「ご紹介できそうなお寺様で○○宗の方は本日はご都合がつかないそうで、明日のお通夜になります。」

「じゃあ、他の宗旨でもいいです。」

みたいな会話もよくした。

この会話のどこがいけないんだろう、と思う人もたくさんいるだろう。
時代が変わりつつあるということだと思う。

 宗教離れのもう1つの要因は「宗教」の言葉自体にいいイメージがないことがあると思う。
インターフォンが鳴って出てみたら怪しい勧誘だったとかよく分からない水を売られそうになったとか。「宗教」=「危険」と考える人もいるのではないだろうか。

 こんなことを言っている私自身も特別何か信仰対象をもっているわけではない。
お正月には神社へ初詣に行き、お盆にはお墓参りをし、クリスマスにはツリーを飾る。
日本人によくあるタイプの人間だ。


 そんな私でも宗教は必要だと思っている。それは神様でも仏様でも何かを本当に信じている人は必要以上に「死」を恐れなくてすむからだ。
 大切な誰かを亡くしたら、その人との別れは悲しくても自分がお経を読んだり、祈ったり、その人のためにしてあげられることがある。
 自分が不治の病になって死を待つばかりになったら、死んだら向こうの世界に行くのだと、消えてなくなるわけではないと思える。


 どうにもならない時、何かに縋りつきたくなる時に支えてくれるものだからこそ、なくしてはいけない。誰だってお世話になる可能性はあるのだから節目節目の時くらいはきちんとしたいものだ。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
とてもデリケートな分野なのでリアルでは話せませんが、ずっと感じていたことです。
だからって「みんなこれを信じよう!」っていう話ではなくて、このままだと自分が困ったときに縋れるものがなくなっちゃうかもよ?って話でした。
自分が信じるものを他人にも強制したり、信じない人を排除したりするのは絶対ダメです。

うさぎ


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