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【コラボ小説「ただよふ」番外編】陸《おか》で休む プロローグ (「澪標」シリーズより)

この小説は、may_citrusさん原作「澪標」のコラボ小説「ただよふ」のその後の物語です。


窓の外が明るくなってきた頃、僕…海宝かいほうこうは目を覚ました。

小山のアパートの部屋には、昨日焚いたジャスミンのアロマの残り香が仄かに漂っている。

初夏とはいえ、北関東の朝は都会の生活に慣れきった70過ぎの老いた身には寒く感じる。つい最近、脳梗塞を患ったばかりなので、僕は無理をせずもう少し布団の中にいることにした。

僕の傍らには、還暦間近の婚約者、鈴木みおさんが健やかな寝息をたてている。僕はしわだらけの手を伸ばし、あなたの長い髪を節くれだった指に絡めた。少し動くと、お互いに纏っている香水、ロクシタンのエルバヴェールの香りが鼻をくすぐった。

僕たちが上司と部下だった30年近く前、道ならぬ恋をしていた時にはいつも、疲れ切っていた僕の方が先に寝落ちして、あなたが先に起きて僕を起こしてくれた。

あの頃、あなたの寝顔を見たのは一度きり、緊急の出張の為に乗り込んだ広島行きの深夜バスの中だった。眠っているあなたの頬には涙の跡があった。同じ睡眠薬の錠剤を飲んだのに、僕とあなたは別の夢に落ちているようだった。

こんなに穏やかな気持ちで、あなたの寝顔を眺められる日が来るなんて、今でも夢を見ているんじゃないかと思う。

たとえ夢だったとしても、僕とあなたは同じ夢を見ていると信じている──


may_citrusさん原作「澪標」はこちらです。


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