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【コラボ小説】ただよふ 2(「澪標」より)


正式に入社してからも、僕は指輪を外していた。
仕事とプライベートは分けたかったし、あなたに指輪をしていない姿を見られている以上、その方が自然なことだと思ったのだ。

公私を分けていることをアピールすることで、妻への余計な詮索を避けられる。
僕にとって、己の未熟さ故に新婚時代に職場で妻を好奇の目に晒してしまった過去は重罪なのだった。

実際、結婚していることを志津の口から伝えてもらった後はそれ以上踏み込んでくる人間はほとんどいなかった。

鈴木澪さん、あなたは気遣いの女性だった。
他の部署の仕事が困っている時は、率先して助けに行った。
初対面の時も、あの店に来る直前まで試験運営部のサポートに入っていたと聞いた。
入社したばかりの僕にも、懇切こんせつ丁寧に仕事を教えてくれた。

あなたの優しい笑顔に僕はどれだけ救われただろう。
僕はあなたの優しさに報いたくて、仕事に邁進まいしんした。

仕事を小休憩した時、僕がおごろうとする前に缶コーヒーを出してくれた。
「海宝課長は、このコーヒーでしたよね。」
あなたは僕がいつも愛飲しているものを覚えていた。

「すいません、今支払いますから!」
僕は財布を出そうとした。
「今回は私の奢りです。今度、奢ってくださいね!」
あなたはノリの良い口調で、相手の気持ちの負担を軽くするのも忘れてはいなかった。
次回奢るのに、あなたが飲んでいるものを目視したら、ホットの爽健美茶だった。

彼女の持ち物は、自分が好きなもの、癒されるもので構成されていた。
バッグからポーチ、文房具に至るまで。

疲れた時は、香りつきのハンドクリームを塗りに席をたつ癖があった。
だからグリーン系の香りを感じた時は、僕はさりげなくあなたのサポートに入った。

あまりにも僕が見ているから、あなたと視線が頻繁にぶつかった。
あなたが僕に好意を持っていることは明らかだった。

目が合うと、僕はすぐに視線を反らした。
あなたの好意に僕は応えられないから、これ以上は深く関わるべきではないと。
しかし、あなたをもっと見ていたいという欲に抗うのは困難だった。

あなたと親しげに話す男性がいた時は、心穏やかにはいられなかった。

「志津課長、鈴木さんと話しているのは誰ですか?」
「ああ、鈴木と同期の竹内たけうちだ。以前はもう1人女性の同期がいて3人でつるんでいたんだが、北関東事業所に異動したから2人になってしまったんだよ。」
志津は説明を終えると、「おーい!」と2人に手を振った。

「志津課長、海宝課長、お疲れ様です。」
僕の姿を見たあなたは、頬が上気していた。
「海宝課長、はじめまして!試験運営部の竹内です!」
竹内君は僕のくすぶった心の内を知ることなく、屈託なく挨拶してきた。
「はじめまして、海宝です。」
僕は彼と笑顔で握手を交わした。
「わー、間近で見てもハンサムですね。」
「でしょ?カッコいいよね。」
あなたが僕を褒めるので、少しだけ心が浮き立った。

それと同時に、僕とあなたには隔たりがあることも再確認した。
年齢の近い彼のような男性の方が、あなたにはお似合いだし幸せになれる。

既婚の不惑過ぎの男が出る幕はないと、思い知らされた。


may_citrusさんの原作「澪標」も併せて読んでいただけると、物語をもっと楽しめます。


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