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【コラボ小説「ただよふ」番外編】陸《おか》で休む 11 (「澪標」シリーズより)


空が少し明るくなってきた頃、僕は澪さんのセットした目覚まし時計のアラームで目を覚ました。

澪さんはアラームを解除すると、寝ぼけまなこで僕の顔を見た。

「……航さんがうちに居る。夢じゃなくて良かった」
僕の存在にほっとしたのか、澪さんはそのまま二度寝に落ちてしまった。

昨日は澪さんのご両親の挨拶から帰った後も、家事をしたり、僕の相手をしたり、何かと忙しくしていた。看護師長の激務とは違った疲れが出たに違いない。

幸いまだ出勤するまで時間がある。ここは僕の出番だと思った。僕は澪さんを起こさないよう、そっとベッドから抜け出した。

キッチンに立ったのは、久しぶりだった。前妻が亡くなり、息子の家に住むようになってからは、息子の妻の美生みきさんが食事を作ってくれていた。「僕も手伝う」と言っても、「お義父さんは、ゆっくりしていて下さい」と言われてしまい、家事から遠ざかっていた。僕は澪さんの為に、エプロンをかけ、再びキッチンに立ち、料理の腕をふるった。

朝ご飯が出来上がったので、僕は澪さんを起こしに行った。

「澪さん、おはようございます。起きてください。朝ご飯が出来ましたよ。一緒に食べましょう」
僕が澪さんの体を揺すると、目をぱちっと開け、時計を見た。

「航さん、何でアラームが止まってるんですか……」

「自分で止めていましたよ。まだ出勤まで時間があったので、ゆっくりしてもらおうと思って、僕が朝ご飯を作りました」

「何だか申し訳ないです……」

「僕はあなたの夫になるんです。何の遠慮もいらないですよ。さぁ、冷めないうちに食べましょう」

はじめは申し訳なさそうにしていた澪さんだったが、ご飯を食べているうちに機嫌が良くなっていった。

「航さん、このだし巻きたまご、すごくふわふわで美味しいです!」
彼女が幸せそうに僕の手料理を頬張るのを見て、僕も幸せな気分になった。

「今日私が帰ったら、家事の分担を決めましょう。だから、今日は本でも読んで、ゆっくり寛いでいてくださいね!」と言い残し、澪さんは仕事に出掛けていった。

澪さんの本棚の一角には、僕たちが昔付き合っていた頃に感想を言い合った本が並んでいた。それらは、僕たちが別れてから10年以上経って刷られたものばかりだった。あの頃の思い出を懐かしんで、少しずつ集めたのだろう。僕はその中から1冊手に取って、慈しむようにページを捲った。

午後は天気も良かったので、リハビリがてら散歩に出掛けた。澪さんの勤務する病院の周りを一周した後、近くにあったレトロなカフェに入った。壁にはレコードのジャケットが飾られ、流れてくる古いジャズが、心地良かった。

「おや?お客さん初めて見る顔ですね」
僕と同じ年頃の店主が話しかけてきた。

「昨日、東京から越してきました。レコードなんて、珍しいですね」

「サブスクが全盛になってからは、円盤文化自体、廃れましたからね。これらのレコードは私のコレクションなんです。前職はエンジニアだったので、再生機器は古いものを自分で修理したんですよ」

僕はコーヒーとマドレーヌをいただきながら、レコード独特の揺らぎに耳を傾けていた。

コーヒーを飲み終えると、僕は独特なコーヒーカップの意匠に興味を持った。飾り気はなかったが、ぽってりとして、温もりを感じた。

「すいません。このカップについて教えていただけませんか?」

「それですか?益子焼の作家のものですよ。シンプルですが、温かみがありますよね」

益子焼とは、栃木県にある代表的な焼き物である。僕は澪さんとお揃いの益子焼で食事をするイメージがわいてきた。

店主にオススメの窯元を教えてもらい、アパートに帰ってからネット検索をした。小山から益子なら、病み上がりの僕でも出掛けるにはちょうどよい距離だと思った。

僕は帰宅を待ちきれず、「今度の休み、益子までお出掛けしませんか?」と、仕事中の澪さんにLINEを送っていた。


may_citrusさん原作の美生さん初登場回は、「海の静けさと幸ある航海」前編です。


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