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子どもの小学校就学で1番学びになったと感じること
5月に入ってなかなか天気予報が当たらない。雨の予報から曇りの予報、晴れたなぁと思いきや、でもやっぱり雨…と、もう梅雨入りなのか?と感じる日もあります。そして寒い。
雨の日は、保育園児である我が子の送り迎えが億劫だと感じるだけではありません。
新型コロナウイルスによる感染予防対策のため、雨の日は室内で過ごす時間が多くなるということもあり、自宅で過ごせる方は過ごして欲しいという保育園からの書類通知から、育児休業中の我が家は、子どもを保育園に預けることが後ろめたく感じています。
まん延防止期間の約2ヶ月の間は保育園を休み、子どもは自宅にいましたが、ようやく慣れてきたタイミングで雨の時期。年中ともなると集団生活が大好きなようで、難しい。
感染症関連についての考え方は、立場や考え方によってさまざまな意見があるので、何が正しいとか間違いとかはないですが、意見や考え方を話すと、知らないうちに人に自分の考えをなすりつけているかも知れないので、伝え方は控えないとなぁ、と人に話すことを避けていますが。
さて、新生活が始まり、我が家の1番上の子どもは小学2年生になりました。
今回は、昨年公立小学校に就学し、それまで6年間お世話になった保育園という場所では感じなかったことに気付かされた話です。
「多様性」とはなんぞや、を子どもに伝える
近年は「多様性」の文字を見かけることや感じることが多くなりました。
私が小学生の頃にはなかった言葉。子どもと一緒に考えながらも、伝えていく必要もあると感じています。
男の子なのに、女の子なのに
「多様性」の中には.話題になりやすいのが性別だと感じます。我が子は、男子女子を気にするタイプ。
ちなみに、私は「男の子なのに」「女の子なのに」だけでなく、「お兄ちゃんでしょ」「お姉ちゃんでしょ」の言葉は使わないタイプです。
けれど、夫が「男なら」「女の子でしょう」と男女分けた言葉を使うタイプ。いわゆるTHE・体育会系、年功序列!な環境で青春時代を過ごしてきたようで、ここぞというときには、性別について分けた考えを押しつけている場面に遭遇することがあります。
時代錯誤だなぁ、と感じながらも「まあ、色んな人いるし」とやんわりと伝えてはいますが、上手くはいきません。
私自身も、多様性についてはあまり詳しくないため、性別でこれが出来る出来ないはないんじゃないか、ということを話す程度です。
年齢が上がるにつれて、子どもの中に経験値は貯まるので、無理しない程度に「個体差」は伝えていけたらと考えています。
みんな性格が違うし、行動や話し方も違う
大人の世界には、あんな人もいればこんな人もいて。穏やかな人やおおらかな人、心遣いが心地よい人、気がよく回るなぁという人。反対に、自分が自分がの人や怒りっぽい人、気分によって感情が変わる人、などなど…。
大人になった私自身、「世の中いろんな人がいる」とある意味、人に対して理解しようというよりも諦めて深く考えることをやめていたようにも感じます。まあ、本当に世の中いろんな人がいるのですが。
子どもの世界の多様性
保育園に通園していた頃は、1学年1クラス20人程度でした。20人なので先生も目が行き届き、誰がどのような性格なのがも把握されていて、トラブルも丸く収めてこれる人数。はみ出した人はすぐさま注意を受けるような環境でした。
小学生になると大人の世界だけでなく、子どもの世界にもいろんな子がいます。
俺様ジャイアンなタイプの子
お母さんから離れられない子
人の話を聞かない子
人の学習机は自分の腰掛け用な子
見えない何かと闘うために人の傘を持ち帰る子
車が来ていても後ろから突き飛ばす子
テンション上がって走り出して赤信号を無視する子
怒るとすぐに死ねと連呼する子
話かけても話かけても聞いていない子
オナラとゲップは人の顔の前な子
人に鼻くそをなすりつけたい子
人の家の鍵は俺ん家の鍵な子
先生の話は上の空な子
これまで保育園生活では、顔見知りな子がいて慣れた環境の中でした。けれど、小学生になるとドンっと集まって1学年120人。さまざまなバックグラウンドを持った子がいます。我が子もその一人。
大人であり、親である私も多様性を受け入れる
子どもの小学校就学に合わせて、今まで話をしたことがない方と話す機会が自然と増えました。
「はじめまして」から始まると、これまではどこの幼稚園や保育園に通わせていたのかなどのお互いの属性につうての自己紹介。しばらくすると、会話の中で気づくことが出てきます。
勝手にカテゴライズして、話を聞いていた
入園後、集団登校の待ち合わせ場所にしばらく子どもを連れていきました。そのときに話した元幼稚園児ママさんの情報収集の速さに驚くばかり。
学校がオフィシャルに出していないような内容の情報を知っていて、それをサラリと教えてくれます。
「あの先生はパソコンが上手らしいから、オンラインになっても安心ですよね。」
「あの先生はすぐに怒鳴りつけるらしいから、小学1年生にやめてほしいですよね。」
「しばらくすると、子どもの手書きで連絡帳を書いてくるらしいから、ちゃんと読めるか心配ですよね。」
などなど。
このやりとりは、入学して集団登校が始まった1〜2週間以内のエピソード。てっきり上のお子さんが小学生で、ある程度体験としての情報かと思いきや、1番上のお子さんが今回小学1年生になった、お子さんは一人っ子という方で、入学前は幼稚園に通園されていたとのこと。幼稚園児ママはコミュニケーション能力が高い!
保育園児ママでも情報通な方はいらっしゃるでしょう。幼稚園児ママでも、情報交換はされないという方もいらっしゃるでしょう。
幼稚園児ママだから、保育園児ママだからというカテゴライズは怒られるかもしれません。幼稚園児ママ、保育園児ママというバイアスは自分で勝手に作って、エピソードもたまたまかもしれません。
ママ友を作ることが苦手だったことが顕著に
私が保育園の送り迎えのときは朝も夕方もバタバタで子どものお友達の保護者と話すこともなく、土日など休みの時も遊ぶということをしてきませんでした。
児童館や公園などで、無理矢理ママ友を作らないといけないような雰囲気がとても苦手で避けてきました。ママ友というカテゴリーの友人関係を作らずに過ごしてきた寂しい母だということでもあります。
なぜ、ママ友を作るのが苦手だったのか…自分の考えと違う方を受け入れられなかったのだと思います。けれど、子どもが就学するタイミングでまたママ友と言わずとも、さまざまな考えや行動をされる方がいるということを感じる機会がありました。
「あぁ、こんなときに多様性をすんなりと受け入れられる自分がいれば…」と思った子どもの就学でした。
世の中、さまざまな人がいる
小学校には、日本に帰化された子や外国人の子と国籍を越えた多様な人種の人が集まって学習しています。多国籍な環境もまた刺激もあり、英語のみのコミュニケーションだったお友達が日本語を少しずつ話す姿があるようで、私になかった小学生活を子どもが過ごしています。
男性、女性といった大きなくくりの性という多様性だけでなく、育った環境や育てた環境がみんな違って多様性な世界が小学校にはあるということ。
子どもが小学校入学まで過ごしていたそれぞれの保育園や幼稚園で、ある程度自分の考え方にバイアスがかかっていることに気づきませんでした。
子どもの就学と合わせて、自分の偏った考え方に改めて気づき学ぶことがあると日々感じています。子どもと一緒に多様性を感じながらも受け入れ、認め合い、個々が輝ける場所があちらこちらに出来たら良いなぁと思います。
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